自信満々に言う事でもないだろうが、鋭いか鈍いかといったら、俺は間違いなく鈍いほうだ。
 長門の感情はある程度読めるようになったが、それは偏に付き合いの長さゆえと言っていいだろう。
 だから今日、古泉の笑顔がいつにも増して仮面じみている事に気づいたのも付き合いが長いからだ。
 例え俺以外の誰もそれに気づいていなかったとしても、そうに決まってる。それ以外に理由なんてない。

「古泉。帰り付き合え」
「おや、珍しいですね」
 古泉がへらりと笑いを貼り付ける。痛々しくて見ていられない。
「いいだろ、お前に話があるんだ」
 俺の口調は固く、恐らくは顔も強ばっているはずだ。古泉はどうやらそれで全てを察したらしく、笑顔を解いて眉を寄せ、俯いた。
 さて、学校を出たものの一体どこで話を切り出したものだろうか。そこらの店じゃ誰かに見つからんとも限らん。俺の家は間違いなく妹が茶々を入れにくる。そうなると、答えはひとつだ。
「お前の部屋、行ってもいいか」
「…少々散らかっていますが、それでもよろしければ」
 俺は頷いた。部屋が散らかっていようがそんな事はどうだっていい。俺は話さえ出来りゃそれでいいんだからな。

 古泉が少々と言った部屋の散らかり具合は、俺からしてみれば少々なんてものじゃなかった。
 意外ではあったものの、しかしまあ男子高校生一人暮らしならこんなものかも知れないとも思える程度で、結局何が言いたいかというと長門の部屋とは対照的に生活感に溢れ返っていた。変にだだっ広くもないしな。
 向かい合って床に座ると、部屋の中にどんよりと重苦しい沈黙が流れる。さてどう切り出したものだろうかと思案していると、 意外にも古泉が先に口を開いた。
「…うまく隠せていると思っていたんですがね」
 苦笑を浮かべて古泉はぽつりと呟いた。その表情は今日1日見続けてきた仮面じみた物ではなかったが、それでもどこか痛々しいことには変わりなく、何故だか俺まで胸が痛む。
「何かあったのか」
 なかったはずがない。今日の古泉は明らかに無理をしていた。鈍いはずの俺が見抜けたくらいだから間違いない。しかし我ながら分かりきった事を聞いてしまったな。古泉は、そんな俺に困ったように微笑んだ。
「あったと言えばありましたが、なかったと言えばなかった。それくらいの事です」
 相変わらず回りくどくてよく分からん。簡潔に説明しろ。
「では…そうですね…」
 僕にとってはそう珍しい事ではないのですが、と前置きして、古泉はネクタイを解くとボタンを一つ一つ外し始めた。
「ちょ、待て。落ち着け」
 いくらなんでも展開が急すぎる。俺はお前に全てを委ねる為にこんな所まで来た訳ではないぞ。
「いえいえ、そうではなくてですね」
 ちょっと苦笑いの古泉が、一瞬躊躇してシャツの前を肌蹴た。
「…昨晩、少しばかり怪我をしまして。その痛みが残っているせいで、多少無理をしているように見えたのでしょう」
「……」
 それを見た瞬間、マジで血の気が引いた。古泉の身体は、左肩から腹にかけて真っ白な包帯で覆われていた。お前それ、少しばかりってレベルじゃねーぞ!
 一体どうしたんだ、なんて事は聞く必要がない。何事にも如才ないこいつがこんな風に怪我をする原因なんて、あの辛気臭いモノクロ空間以外にありえないからな。
「ですが、大した事はないんですよ」
 実際怪我をしているのはこの辺だけですから、と、古泉は包帯の巻かれた肩から臍の辺りまでをそっとなぞった。
 大した事ないなんて言うが、俺なんかからしてみれば充分大事だ。これを大した事ないなんて言ってしまえる古泉は、 今までに一体どれだけの傷を負ってきたっていうんだ?
「戦い慣れていなかった頃はもっとひどかったですよ。月に1度は機関お抱えの病院に搬送されるような体たらくでした」
「体たらくって、お前」
 そんなん当たり前だろうが。
 能力に目覚めた頃の古泉を想像する。中1男子の平均身長は約160センチ。それより多少高かったとしても、今の俺よりは小さかったはずだ。肉体的にも精神的にも、決して強くはなかっただろう。そんな、まだ子供と言ってもいいような古泉があの閉鎖空間で巨大な神人に立ち向かう様を、弾き飛ばされて傷を負う姿を、血まみれになって立ち上がる姿を俺は一瞬で想像し、そして怖気立った。
「…そうですよね。普通はそんな子供がまともに戦える訳がありません」
「……」
 ですが、と古泉は続けた。
「機関の上層部はそうは思ってくれませんでした。能力者の人数は限られていますからね。それに、どれだけ逃げても泣き喚いても閉鎖空間が発生すれば分かってしまいますし、戦わなければ世界が崩壊することも知っていました。だから僕は世界のために戦わなければならなかった。これからを生きるための戦いで命を落とすかも知れないのに、ですよ?」
 それは、なんて皮肉な矛盾だろうか。
 いつしか、古泉の声は震えていた。
「先程僕は、怪我の痛みが…と言いましたよね」
「…ああ」
「本当は、身体の痛みなどどうでもいいんです」
 古泉は、再び包帯の上から傷のあるだろう場所をなぞった。
「…ただ、こうして怪我をすると、昔の事を思い出してしまうんです。生死の境を彷徨った事や、意識が混濁したまま眠り続けた事。何度か、本当は僕は死んでいるんじゃないかと思ったこともありました」
 俺は何も言えなかった。俺が中1の頃なんか、国木田やら他の連れやらとバカばかりやっていたし、家に帰ればまだ小さい妹をからかって泣かしてオフクロにどやされた。人の死なんて、漫画やドラマの中の出来事だった。ましてや、自分が死ぬなんて事は思いもしなかった。そんなごく普通の生活が、こいつにはなかったのだ。
 古泉は、黙ったままの俺の肩を掴むとぐいと身体を引き寄せ、額を擦り寄せてきた。
「おい、古泉…」
 何をするんだ、という俺の声は、今にも泣き出しそうに顔を歪め、震える古泉に遮られた。
「だから、こんな時は酷く怖くなるんです…僕、生きてますよね?ちゃんとここにいますよね?」
「…こいず、み…」
 いきなり抱き寄せるなとか顔が近いとか、言いたい事は山ほどあった。だが俺はこんなにも弱々しい古泉の姿を見た事がない。声を聞いた事がない。お前なんか、365日年中無休で自信満々にニヤニヤ笑ってりゃいいんだ。
 …だから、そんな顔をするな。
「ああ、生きてるさ。ちゃんとここにいる。俺が保証する」
 答えてやると、古泉はその手を俺の背中に回し、頭を落とすと額を肩口に擦り付けてぎゅうと抱きついてきた。心なしか肩が震えている。俺はその肩に背中に手を添えて、幼子をなだめるようにゆっくりリズムをつけて叩いた。それでも古泉の震えは止まらないどころかいっそう大きくなって、ついには、
「…っ、く」
 しゃくりあげる声まで聞こえてくるようになった。
 幻覚だと、幻聴だと思いたかった。でも震える肩も声も本物で、その証拠に俺の肩口は古泉の涙で濡れていた。
「…夢じゃ、ないよな…?本当に生きてるんだよな…?」
 震えながらより一層しがみついて来る古泉は、すでに敬語さえ忘れていた。でもこれがこいつの本当の姿なんだろうな。俺は別に驚いたりはしなかった。いつもの姿は演技だって知ってたからな。

 俺はしゃくりあげる古泉を抱きしめたまま、耳元で何度も繰り返し大丈夫だと囁き続けた。
 古泉が俺の声で、俺の体温で、確かに生きているって事を感じられるように。

 ただ、それだけを願って。


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