家で疲れて寝てるときにキョンから電話が来て寝惚けて素で応答してしまう古泉(古→←キョン?)

<古泉編>~

 金曜日の晩である。
 そういうわけで昔風に言うなら花金、あるいは土曜が休みでなかったころならサタデーナイトフィーバーである。
 明日は昼過ぎまで寝放題だぜヒャッハー! ってなノリで夜更かしを楽しむも良し、日頃の疲れをここぞとばかりに解消しようとひたすら惰眠を貪ることに集中するも良し、さあどう今夜から明日を過ごそうかと計画する、まさに至福、実に素晴らしい時間なのだ。…本来は。
 しかし非常に忌々しい話だが、俺にそれを楽しむ権利はない。何故なら明日はSOS団による「この世の不思議を探す」という無茶な主旨の校外活動があり、そしてその命令を下した団長は絶対の存在であるからだ。ことに俺にとってのその絶対っぷりと来たら古代ヘブライ人にとっての唯一神の絶対っぷりを超えるかも知れないほどだ。
 しかし彼女の発想と来たら本当に気まぐれで無茶苦茶で、時には逆らいたかったり、逃げ出したくなることもある。しかしそれは俺には決して許されない。いつでも俺は彼女のためにニコニコ笑って、いつでも敬語で馬鹿丁寧なイエスマンの嘘くさい優等生じゃなくちゃならんのだ。そこに俺の自由意志の通る余地はない。一切ない。
 何故なら団長は、涼宮ハルヒだから。そして俺が、彼女のために用意された古泉一樹だから。

 そしてその俺にとっての絶対神であるところの彼女が休日の校外活動を宣言する時というのは、多くの場合特に彼女がワクワクするような何か、が発生していないことを意味する。そういう何かを求めてイライラソワソワし、それを無理矢理にでも探そうとしているわけだ。ということは必然的に、機嫌が悪いことが多い。例外もあるが、少なくとも今回はまさにそれだった。これが怖い。
 憂鬱、退屈、彼女のそれらは俺にとってその直後からの苛酷な強制労働を意味する。俺が彼女に逆らった場合に予測される彼女の憤慨ももちろんそれを誘発する。何故なら俺は信じたくもないが否応なく、彼女の無意識によって能力を与えられ、彼女の精神状態に依存する限定超能力少年なのだ。超能力少年格好いいじゃん! とか思った奴はいますぐ俺のところに来て欲しい。できることなら代わってやるから。ていうか代わってくれ誰でもいいから。ま、具体的に能力の詳細を聞いたら誰も代わりたくないだろうけどな…。
 彼女の精神状態が不安定になるとアレが出現するのだ。
 ――閉鎖空間。
 こいつを放置すると世界が滅びる。理屈は抜きで俺達には感覚的に分ってしまうからしょうがない。たぶんこれも一種の超能力だ。これと、日々彼女の感情の波に合わせて発生し続ける閉鎖空間の中で神人と俺達が呼ぶでかい化け物を倒し、閉鎖空間を対処療法的に消滅させるという不毛な能力、それだけが俺の力。正直いらねぇ。使えねぇ。
 こんなもん、自慢にもならないし女の子にわあすごーい、とか言われるわけもない。というか素人さんにはお見せできない。一度SOS団のもう一人の男性メンバーであり、ある程度涼宮ハルヒについて理解している様子があるところの彼を閉鎖空間に連れ込んで力を見せたことがあるが、それでもやっぱり地味に引かれた。とにかく信じてはくれたがなんかものすごい微妙な顔をされた。
 もっとこう…自慢できるようなわかりやすい超能力なら良かったんだがなあ。一度でいいからまっがーれってなかけ声ひとつでスプーンの一本も曲げてみたいもんである。
 まあ要するに、そういう心底使えない限定エスパーであるが故に、俺は涼宮ハルヒの機嫌を損ねるわけにはいかず、彼女の言い出すどんなことをも笑顔で肯定してみせなければならないのである。
 これでいっそ俺が諸悪の根元涼宮ハルヒを憎みでもできりゃちょっとは気が楽なんだが、また彼女がすこぶるつきの美人で、可愛くて明るくて楽しくて、突飛なことは言うものの、ベースとして常識もきちんと持っており、基本的に善人であるが故にどう考えても憎めないのが痛いところだ。ついでに彼女のお気に入りの彼も、この野郎一人で気楽なツラして好き勝手涼宮ハルヒの精神かき乱しやがって、死ね! とか思えないのが辛い。どっちかいうと変な仲間意識というか同病相憐れむというか、そういうたぐいの妙な友情らしきものが芽生えてしまっているのだ。ぶっきらぼうで俺を気色悪いとか言いながらなんだかんだと話を聞いてくれたり付き合ってくれたりして、まあ、何というか一言で言えばいい奴で、だからやっぱり憎めない。つくづく損な性格してるとは我ながら思う。困ったもんだ。
 まあ今はそんなことはどうでもいい。とにかく俺はそんなこんなで退屈モードの涼宮ハルヒの影響下で発生した小さな閉鎖空間の処理に夕方からついさっきまで追われて(まあその時間は半分以上移動時間だったんだが。今度はもっと近所でやってくれ頼むから!)、クタクタに疲れているのだ。ここ連日地味に小さいのが発生し続けてるから疲れも溜まってる。眠い。だるい。今すぐ寝たい! ていうか寝る! 明日のためにその1! 枕をえぐり込むように寝るべし寝るべし!
 何しろ最初にも言ったとおり、明日は朝もはよから身だしなみを整えて爽やかスマイルと共に一分の隙もない古泉くんを半日演じ通さなきゃならんのだ。学校にいる時は、授業中には真面目に授業受けてますよーって顔でぼーっとしてりゃいいのに対して校外活動となるとそうもいかないんだからたまったもんじゃない…。せめて明日のくじ引きでどうか長門有希か彼と当りますように。なんまんだぶアーメンかしこみかしこみアラーフ・アクバル。
 でも運の悪さには自信あるんだよな…たしか第一回もいきなり前半後半共に一番気を抜けない涼宮ハルヒと同じ組になったんだった。そもそも超能力者になったのだってどんな低確率で引き当てたんだか計算したら答えは簡単に出るだろうが出したくない。考えたくもない。恐ろしい。
 頼むからせめて今夜これからまた閉鎖空間発生なんてことにはなるなよ、頼むから落ち着いててくれよ、じゃないと明日古泉くん笑えないかもしれないからね。お兄さんとの約束だぞ。


 ってな訳で俺がとっとと布団に潜り込み、夢も見ないで爆睡していたちょうどその時、枕元でぶーぶー唸って震えるマナーモードのままの携帯が貴重な安らかな眠りを邪魔しやがった! 畜生!
 何だよまさかマジで恐れていたアレが発生してしまったのか。勘弁してくれ寝かせてくれ! 眠くて眠くてたまらないのにそれでも律儀に電話に出ちゃう俺ってホント可哀想。
 暗闇に慣れた目が携帯のバックライトに眩んで誰からの電話だか今何時だかもさっぱりわからんまま、寝ぼけた頭でとにかく手探りに通話ボタンを押す。
「ンだよ、こんな時間に……」
 声が寝起きの喉に絡んでまともに出ない。が、とにかく一応言葉は通じたはずだ。正確な時間はわからんが寝る前見た時計は10時前だった、ということはどう考えても「夜分遅く失礼します」って時間のはずである。この抗議は的はずれなものではなかろう。
「…………」
 電話の向こうは沈黙している。せっかく出てやったのに何だよ、ひょっとしてイタ電か?
「……お前、誰?古泉に替われよ」
「……! くぁwせrftgyふじこlp;@!?」
 その怪訝そうな、探るような声を聞いた瞬間さーっと血の気が引き、そして訳の分らない変な声が出た。ようやく光に慣れた目でメインディスプレイを確認する。間違いない、彼だ。電話をかけてきたのは森さんでも荒川さんでもなくて彼だ。ヤッベ! 敬語忘れてた! 素で対応しちまった! どうすんの? どうすんのよ俺!? 続く! いや続かない続かない。
 とにかくアレだ、彼は今のを古泉だと思ってない。何でだよ声で分れよ! とか思わんでもないが、彼の中の古泉はあんなこと言わないし、寝ぼけて喉の奥に絡んだしゃがれ声じゃ仕方ないか。つーか分られてもちょっと困るしな。とりあえず誤解に乗っとこう。いつもの声出せいつもの声を。
「…え…と、その、」
 いかん、まだ声が裏返る。咳払いをひとつ。さあ深呼吸しろ深呼吸。吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー。よし、行け!
「もしもし、替わりました。どうしましたか?」
 よし完璧。ちょっと微笑んでます、みたいな穏やかないい声出せた! 熟睡中にたたき起こされたばっかなのにえらいなあ俺って。
「さっきの誰だ」
「ええと…」
 何だそれ。何でそんなこと気にするんだ? そもそも何でそんな不機嫌ボイス? なにその問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。みたいな声。つーか俺は今眠いんだって。さっさと要件言えよ、それ済んだらすぐ寝直すんだから。
「お前、いまどこで誰といるんだ」
 うわ、本当に問い詰め始めやがった…。ていうか絶対用件に関係ないだろそれ! さっさと用件言えって! わかってるか、お前だって明日早いんだぞ。罰金刑食らいたいのか? そろそろあれが快感に変わり始めたのか? ドMなのか? 経済的SMプレイたあえらく斬新だなあオイ。
「……あの、ご用件は?」
 ほらさっさと言え、俺はお前を結構気に入ってるしまあ平たく言えば好きなんだが、今の貴重すぎる睡眠と休息を削られてもいいとまでは思えない。というかこの世にそんな奴はいない。それぐらい俺にとって大切なんだよ睡眠と休息は! この世で一番大切だと言っても過言ではない! やりたい盛りの育ち盛りの高校生としてどうかと思うが性欲より食欲より優先したいぐらい大切なんだ! …と魂の叫びをそのままぶつけるわけにもいかんから、とにかく先を促してみたのだが…。
「…言えないような相手なのか」
 え、ちょ、おま、何言ってんだ!? 何でそんな震え声になるんだ。俺は浮気を疑われてる恋人かなんかか? 違うだろ、たとえば俺が誰か彼の知らない友人宅に泊ってたとしてもだな、明日ちゃんと集合時間に駅前に到着できれば文句を言われる筋合いはないだろ? ないよな? あるのか? 何でだ?
「いえ…そういうわけでは…それよりもご用件を」
「じゃあ言えよ」
 ほとんど地獄の底から響くようなうなり声だ。そりゃ彼は俺と対照的によく仏頂面をしているし、特に俺には冷たいことも言う。とはいえ彼の思考回路というのは同世代の男子として理解不能ということはあまりない。だが今回のそれはそういうのとは全然違う、温度が違う。理解不能だ。はっきり言って怖い。意味が分らなすぎてものすごく怖い。
「それは…ですね…」
 ああもう、何で俺がこんなしどろもどろにならなきゃならんのだ? つってももう今更「いやいやさっきのは僕だったんですよ、寝ていたのでつい失礼してしまいましたんふふ」とか言っても信じてもらえそうもない雰囲気だ。
 それに彼は日頃の俺の態度が演技だと知ってはいるが、じゃあ素の俺がどういうキャラなのかは知らない。そして日頃彼との間にある友情のようなそうとも言いきれないような不思議に不安定な関係は、敬語キャラの古泉との間に結ばれているもので…正直、素を出すとそれが壊れてしまうような不安もある。それは嫌だ。かといって寝ぼけてふやけた頭じゃ適当なウソは咄嗟に出ない。
「すみません、それは…」
 どうしようどうしよう、空転するばかりの頭に舌打ちしたい気分で(でもやらない、彼の中の古泉はそんなことしないから)、俺は必死に何か彼を納得させられそうなもっともらしい話はないかと考え続けた。結局いつものボードゲームの時のように、下手の考え休むに似たりを地でいってしまったわけだったが。
「……もういい!」
 そして答えられないままただあたふたその場を取り繕おうとする俺を置き去りに、電話はぶつりと一方的に切れた。もし彼に涼宮ハルヒ的能力があればいますぐ巨大閉鎖空間を発生させるであろう、むしろ世界のリセットボタン押すんじゃねえか、ってほどの不機嫌声を残して。
「何だよそれ…用事は何だったんだよ…」
 明日の彼の機嫌を想像しての不安と、妙に重い罪悪感に苛まれ、結局それから俺は彼の不機嫌の理由とかをあーだこーだと考え続けてなかなか寝付けなかった。眠いのに。しかも結論出ねぇし。

 そして翌日、予想通り俺を横目で睨み続ける彼の不機嫌と、眠気で崩れそうな自分自身に俺は一日中冷や汗をかき通しだった。彼の隣が定位置なのに、怖くて近寄ることすらできない。せめて昨日の電話のご用事なあに? ぐらい聞けりゃいいんだが恐ろしくて無理だ。
 つーか空気重いって! 女の子たち引いてんだろ、空気読め! それ以前に涼宮ハルヒがすごい顔して見てるぞやめてくれ…。
 そして、その彼の不機嫌は俺の懸念通り彼女に伝染し俺の電話が鳴り出して……後のことは思い出したくもない。明後日から彼との関係がどうなるか、考えるだに恐ろしい。月曜が来るのが怖い。だがもう悩んだり怯えたりするのも限界だ。寝る…。


<キョン編>~

 金曜日の晩である。
 そういうわけで昔風に言うなら花金、あるいは土曜が休みでなかったころならサタデーナイトフィーバーである。
 明日は昼過ぎまで寝放題だぜヒャッハー! ってなノリで夜更かしを楽しむも良し、日頃の疲れをここぞとばかりに解消しようとひたすら惰眠を貪ることに集中するも良し、さあどう今夜から明日を過ごそうかと計画する、まさに至福、実に素晴らしい時間なのだ。…本来は。
 しかし非常に忌々しい話だが、俺にそれを楽しむ権利はない。何故なら明日は北高一、もとい世界一胡散臭い団であるところのSOS団の校外活動があり、そしてその命令を下した団長であるハルヒはまさに暴君だからだ。
「来なきゃ死刑!」
 そして遅刻すると罰金刑である。司法も立法も行政も独占している暴君の前に、団員に拒否権はない。一度あの世のモンテスキュー先生に教えを請うてくるがいい。ああ忌々しい。
 だが何をどう呪おうが祈ろうが遅刻すれば罰金である。そして俺は現在団員中でダントツぶっちぎりの確率でそれを払わされている。もうこれ以上は断じてゴメンなのでぜひとも遅刻せずに到着したいところなのだが、さてそろそろ寝るか、というこの時間にひとつ問題が発生した。
 ……集合時間、忘れた…。
「明日はいつもの駅前に――時集合よ! いいわね! 来なきゃ死刑よ!」
 独特の高圧的な声のトーンまでしっかり思い出せるのだが、どうにも時間の部分だけが思い出せない。というかだいたいいつもハルヒはこの調子で宣言するので、はいはい言いながら適当に聞き流していたら数回分の記憶が混ざったような気がする。
 たぶん、いつものパターンからして9時か10時だ。なら9時に行けば良さそうな気もするが、気まぐれを起して8時集合だったら目も当てられない。そして10時以降集合だったら1時間以上損だ。
 育ち盛りの高校生はいつでも眠い生き物なのだ、断じてそんなことで無駄に時間をロスしたくはない。
 というわけで、電話で問い合わせることに俺は決めた。
 しかし、ハルヒはまずい。バカにされるしヘタすりゃそれだけで団長のお言葉をきちんと拝聴しなかった不心得者としてペナルティがつく。
 朝比奈さんは……あのエンジェルボイスは是非聴きたいのだが、なにしろ時間が時間でる。あの可愛らしい方はもうお休みになっているかもしれないし、それでは申し訳ない。睡眠不足はお肌の大敵だからな。あの珠のお肌をくすませることにでもなればその罪万死に値する。
 となると長門か古泉が安全だが、さてどっちにしたものか……。
 携帯の電話帳を表示させると、まあ当然だが五十音順で古泉が上だ。よし古泉で良かろう。あいつなら寝ていようが風呂に入ってようが俺の良心も痛まない。

 ……出ねぇ。
 長門もそうだが古泉は、電話をかけると割とすぐに出る。俺みたいに、電話をどこに置いたか忘れて音の発信源を探して右往左往だとか、電話を部屋に置いたままリビングでのんびりしてたとか、そういうことはない。
 まあもう12時前だしな、やっぱり寝てるのかもしれん。帰り際に携帯を見て一瞬笑顔が固まってたし、ハルヒは退屈を連発していたし、あの後また閉鎖空間でかけずり回るというか飛び回るハメになってクタクタで爆睡中、ということはあり得る。あるいは風呂かもしれない。
 やっぱ長門にするか、あるいはメールを打っておくかと諦めかけたその時に、ふいに電話が繋がった。
「ンだよ、こんな時間に……」
 低く掠れた半分うなり声みたいな声に俺は耳を疑った。
 オイ、誰だよこれ。間違い電話か? いやあり得ん、携帯のメモリーからかけたんだから。だがどう考えても古泉じゃない。
 じゃあ誰だ!? 何で古泉の携帯に他人が出るんだ? 誰なんだこいつは!
 機関絡みの人間か? まさか家族とか…いやいや家族でも勝手に携帯に出たりしないだろうし、ていうか家族は息子とか弟とか兄貴とかの携帯にあの口の利き方はないだろう。
 だがしかし、家族以外でこんな時間に一緒にいる奴って相当仲がいいんじゃないか? 家に泊めたり泊ったりみたいなそういうつきあいだろう、まだ迂闊に夜遊びすると補導されるお年頃だし。
 いやだがしかし、こいつに俺達以外、そんなに気を許せる存在はいないはずだ、いるはずがない。だいたい普通の友達だっていてたまるもんか。天下の奇人変人クラブSOS団の副団長にして敬語キャラだぞ。今時敬語キャラってなあ!? そんな奴にそんな泊ってけよ、おう悪いな的普通の友達なんぞできるはずがないんだ。
 考えれば考えるほど腹の奥で何だか嫌なものがぐずぐず蠢き増殖していく感覚がして黙り込んでいた俺は、ようやく声を絞り出した。
「……お前、誰?古泉に替われよ」
「……くぁwせrftgyふじこlp;@!?」
 自分でも信じられないほど陰気な声が出た。そして電話の向こうでは、何とも形容しがたい世にも珍妙なな声がした。何だこりゃ?
「…え…と、その、……もしもし、替わりました。どうしましたか?」
 30秒ばかり待っていると、古泉の声、だと思うが何だか変に裏返った声がして、それから咳払いと少しの沈黙の後、通常モードの古泉の声が聞こえてきた。
 何をそんなに焦ってるんだ? 今電話に出たのは俺に知られちゃまずい相手なのか? 腹の中で蠢く粘っこい何かはますますふくれあがり増殖し、胸までせりあがって来る。
「さっきの誰だ」
 もう自分のじゃないような声が、古泉を問いつめようとしているのを俺は白くなった頭でぼんやり聞くことしかできなかった。
「ええと…」
「お前、いまどこで誰といるんだ」
 ああ、あれは機関の○○さんですよ、ちょっと僕が席を外していたもので。だとか、兄(いるのかどうか知らないが)が来ていましてね、だとか、そういう台詞をどこかで期待していた俺を裏切って、古泉が焦っている。隠そうとしている、隠さなきゃまずい相手といるんだ、そう思った瞬間、腹と胸を塞いでいた重い何かがさらに体積を増して喉までせり上がってくるのを感じ、そしてまた俺は詰るような調子で古泉を問いつめていた。
「……あの、ご用件は?」
 戸惑ったような声。はぐらかそうと必死な声。何だよお前、何でそんなに隠すんだ。
「…言えないような相手なのか」
 俺こんなキャラだっけか、何でこんな古泉の人間関係で苛立ってんだ。そういうこともちょっとは考えた、考えたがそれで苛立ちが治まるわけでもなかった。何なんだこれは。だが止まらない、悔しい、そうだ悔しいんだ、だが何がだ? 古泉が誰とどこにいようが俺には関係ないだろ? 落ち着けよ俺。いくら自分にそう言い聞かせても、ちっとも落ち着きゃしねぇ。何なんだよこれは!
「いえ…そういうわけでは…それよりもご用件を」
 誰なんだ、何故隠すんだ、今そいつと何をやってたんだ! 喚きだしたい衝動を押さえ込みながら、俺はどうにか言葉を継いだ。それもやっぱり問いつめる台詞だったが。
「じゃあ言えよ」
「それは…ですね…、すみません、それは…」
 日頃なかなか聞けないしろどもどろな古泉ボイス。微笑み系の声じゃない古泉の声ってのはレアだな、とか冷静に面白がる部分もないではないのだが、それを上回る勢いで喉までせり上がった気持ち悪いカタマリが喉を押し上げついにダムは決壊し、そして俺はそのカタマリをそのまま古泉の顔面に叩きつけるような気分で怒鳴っていた。
「……もういい!」
 そしてもしイエ電の親機だったらガチャン! と音を立てて受話器を本体に荒々しく叩きつけただろうって勢いで携帯の通話停止ボタンを押し込んで、バチンと派手な音を立てて畳むとベッドに思い切り投げつけていた。
 何やってんだ、何がしたかったんだ、何なんだ俺は。何度も古泉が言った通り、用件は全然伝えられていない。一言「明日何時集合だっけか?」と聞けばよかったのにそれができなかった。それどころじゃなくなった。バカか俺は。
 じゃあもう一度かけるか? いや、今古泉の声を聞いたらまた頭に血が上る。理由はよくわからんが、とにかくそれはわかりきっている。喉を通り越して爆発的に頭にまで回った重たいカタマリをもてあましながら、俺は今度こそ待ち合わせ時間を聞くべく、今度は長門にダイヤルし、今度こそ時間をきちんと聞いてそれから布団を頭までかぶって寝た。

 翌日、ようやく落ち着いた俺は古泉はあれが誰だったのか釈明しようとしてくるだろう、そうに違いない、説明を聞けばきっと笑い話だ、とか思いながら駅前へ行ったのだが…、結局奴はまったくそれをしなかった。それどころかいつもならしつこいほど隣に並んで顔を寄せてくるくせに、遠巻きに俺を見ては困ったようにひきつった笑顔を張り付かせているだけだ。
 やっぱり言えないような、後ろめたいような相手だったのか…?
 俺は昨晩の理不尽な怒りがムクムクと湧いてくるのを抑え切れなかった。そして全団員集合後5分で俺が発信源の重い空気は団を押し包み、そしてついにハルヒに不機嫌が伝染してしまうのにもそう時間はかからなかった…。
 携帯の着信に顔面をこわばらせ、済みませんバイトが、とか言い出す古泉に、ああこりゃまた閉鎖空間だな気の毒に、とは思ったものの、だからといってどうにかできるもんでもない。
 そしてたぶん古泉がすっとんで逃げたことにハルヒはお怒りになり、だからさっき発生したのと別にもう一発発生し、さらに明日もおそらくは明後日も閉鎖空間は発生しちまい、そして古泉はげっそり疲れるんだろう。全部俺のせいで。
 いっそ明後日、いや明日にでももう一度仕切直してあれは誰だったのか落ち着いて聞いてみりゃいいんだろう。だがそれも怖い。答えが気になるのに知るのが怖い。それの何が怖いか良くわからんが怖い。そんな自分のチキンっぷりも惨め極まりない。ああ鬱陶しい腹立たしい忌々しい!


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Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:20:34