●第9章-1
(古泉モノローグ)
終業式を終えたSOS団は部室で鍋パーティーを行い、それから場所を移動して長門さんのマンションで賑やかな集いを続けていた。テーブルにはお菓子の山が築かれ、さらに僕らが持ち込んだ幾種類ものゲームの下敷きになっているパソコンから賑やかなクリスマスソングが流れ出ている。
女性陣がデコレーションしたケーキはとても芸術的でセンス溢れる出来栄えで、勿論美味しく頂けた。
ちょっぴりお酒も入って、盛り上がりは頂点となり、彼と涼宮さんのツイスターゲームを皆で微笑ましく眺めている頃、ズボンのポケットで携帯電話がぶるぶると震えだした。
盛り上がりを妨げぬように、そっと離れて窓際でこっそり確認する。
会長からだった。
彼の用事は済んだらしく、待ち合わせ希望の場所が書いてあった。
そこなら長門さんのマンションから、それほど遠い場所ではない。歩いてゆけば20分ほどだろうか。
時計を確認すると21時を回っていた。
そうか……もう結構遅い時間なんだな、とは思ったけれど、涼宮さんの輝くばかりの笑顔と、どこまでも困り果てながらけれど楽しんでいる彼の苦笑から目を逸らすなんて出来るわけがない。
申し訳無さを感じつつも、まだ終わりそうにないので、とメールを打ち返した。
涼宮さんと彼のツイスターゲームのあとは、朝比奈さんと長門さんの番で、僕は涼宮さんの命に従い、その写真を何枚も撮らせていただいた。フラッシュが光るたびに困惑げな表情を浮かべる朝比奈さんは、さらに魅力的な風合いをかもし出し、多分涼宮さんの期待通りの写真が出来上がるだろうと僕は信じてみる。
そしてそれも終わり……
「さあ! 次はカラオケよっ!」
まだまだ彼女は元気だった。
防音設備は整っている部屋なので、僕と彼は慌てて音響を用意する。ステージに見立てた部屋の一角にスピーカーを左右に並べて、コードを差し込むだけのことだけど。
カラオケの機械までは用意できなかったので、ノンボーカルの音源と歌詞をパソコンで用意し、それを見ながら歌えるように準備した。
音楽が流れはじめると涼宮さんは朝比奈さんや長門さんを巻き込んで、元気よくマイクを握り上機嫌で歌い始める。
彼女らしいアップテンポなポップミュージック。
戸惑いながらも合わせる朝比奈さんに、沈黙を守り音に耳を澄ませる長門さん。
僕はビデオカメラを手に、それをしっかり映像におさめる係だ。
カラオケが4曲目に突入した頃、僕の足元でフライドチキンをかじっていた彼が、口元を歪めて見上げた。
「ほんとにお前、よく付き合ってられるよな」
バッテリーを替えようと一旦カメラを下ろし、僕は笑顔で振り返る。
「それはお互い様でしょう?」
彼は肩をすくめて、どうだかね、と呟く。
次の曲の時は、彼もお呼びがかかり、へたりこんだ朝比奈さんの代わりに嫌がりながらも彼はマイクをとった。
代わりばんこに全15曲ほどを熱唱した後、さすがの涼宮さんでも少し疲れたらしい。
座って飲み物を口にし始めたので、僕は機材を片付ける振りをして、再びこそっと窓際に寄った。
会長からのメールの返事が来ていたことに気づいてはいたけれど、確認できなかったのだ。
『……了解。待ってるから終わったら連絡くれ』
すぐに返信の必要な内容では無いことに安堵する。
パタンと携帯を閉じ、素早くポケットに戻した時だ。隣に彼が来た。
「もしかして、これから用事でもあるのか?」
「いいえ。ただの定時連絡です」
微笑で誤魔化した。彼と彼女の時間の妨げはご法度だ。
「そうか」
彼は、外の空気を吸いにきただけのようだった。僕はついでに時計をチラ見する。
10時を回っていた。会長をもう1時間も待たせてしまっている。少しだけ胸が痛い。
会長はわかってくれていると思うけれど。
「……やっぱり何かあるんじゃないのか?」
冷たい視線が僕に刺さった。誤魔化さなければ。
「そうですね。何かありそうな夜だとは思いませんか?」
「何かってなんだ?」
「例えば……空から雪が降ってきたり」
と言いかけた時、今日一番の清清しく元気な彼女が僕らのそばに駆けつけてきた。
「何よあんたたち。二人でこそこそ会話なんて怪しいわよ。もっとクリスマスを楽しみなさいよ!」
「もう十分すぎるほどに楽しんでるね。古泉なんかもう帰りたそうだぞ?」
「そんなことはありません。あまりにも賑やかで素敵な夜ですから、クリスマスの奇跡なんて言葉を思い出して浸ってみただけです」
「奇跡? 素敵ね」
涼宮さんは夜空を見上げた。
「なんていい天気なのかしら。でも都会はだめね。ちっとも星が見えないんだもの。どうせ見えないならホワイトクリスマスのほうがよっぽどいいわ。……雪降らないかしら」
彼は肩をすくめる。
「おいおい。お前らの発想はどうなってんだ? こんなに天気がいいんだぞ」
「いいじゃない。クリスマスの奇跡なんだから」
無邪気な美しい笑顔を空に向ける彼女の横顔に、僕はしばらく見とれた。
なんとなく余計なことを言ったかもしれないと小さく思ったが、気にしないでおこう。サンタクロースが見えた、よりは百倍ましだ。
しかし彼にとっては、可愛らしい笑みは邪悪なものに思えたらしい。
すぐに窓から離れると、床に落ちた紙くずを拾いはじめた。
「いい加減もう帰るぞ、ハルヒ。10時を回ってるんだぞ」
「えー、まだ遊び足りない」
「冗談じゃない。片付けるぞ」
「もー、しょうがないわねー」
涼宮さんは彼の言葉にあっさりと了承すると、ほらほらみくるちゃんも有希も見てないで、と片付けをさっさと開始した。僕も重い音響などを運ぶ。本当に彼の手腕には感激せざるを得ない。
やはり彼女には彼しかいないのだろう。
後は彼が……それを自覚してくれることだけなのにな。
ずいぶんと散らかしてしまっていたので、片付けだけでまた数十分を消費した。
気づけば11時を過ぎている。ちょっとだけ気分が凹んだことは内緒だ。
長門さんに別れを告げて、マンションを出て夜道を歩き出す。急に外は冷え込み始めたように感じた。
途中までは皆と一緒に帰り、いつものところで別れるまでが僕の任務だ。そこで別れを告げたら、……やっと僕の休みの時間が始まるんだ。
「あら……曇ってきたわね」
先頭を歩く涼宮さんがマフラーにくるまった顔を空に向けて呟く。
全員で見上げると、そのとおりだった。いつの間にか、暗い空は灰色の空へと変貌しようとしている。
「……お前が余計なことを言うからだ」
それが僕に向けられた言葉なのか、彼女に向けられた言葉なのかわからぬが、隣を歩いてた彼は呟き、突然走り出した。
そして涼宮さんの背中を押して駆けていく。
「ちょ、ちょっとぉ、キョン! 何すんのよっ」
「雪が降り出す前に帰るぞ。これ以上寒いと風邪ひくからなっ」
駆け出す二人を朝比奈さんと僕は慌てて駆けて追った。
走ったおかげで、別れ道の踏み切りまであっという間に到着した。……もしかしてこういうのを結果オーライと言うのだろうか?
「それじゃあね! みんな、メリークリスマス!!」
「え、えっと。メリークリスマスです~」
天使のように愛らしい二人が線路の向こうに去っていく。彼と僕はしばらく見送り、それから改めて別れた。
「それでは僕もこの辺で失礼します。夜道はお気をつけてくださいね」
「あの二人にもいってやれ」
「そうですね。とりあえずは大丈夫だと思いますが」
「また機関か」
「内緒です」
「……胡散くさいな、お前は相変わらず。それじゃーな。メリークリスマス、古泉」
彼は漸く、ニヤッと笑って言うと、くるりときびすを返して歩いて去っていく。
「メリークリスマス……おやすみなさい」
僕はその姿が見えなくなるまで待った。
彼は僕にもしかしたら気を使ってくれたのだろうか。……帰宅時間にしては随分遅くなっているから気にしすぎかもしれないけれど。それでも、そんな気がした。
さらに。ポケットの携帯電話が再び動き出す。
慌てて引っ張り出すと、森さんだった。
「はい、古泉です」
『森です。……今日の古泉の任務はこれで終了でいいです。26日の午前10時に会議がありますから、それまではゆっくり休みなさい』
「はい」
僕は頷いた。
「ありがとうございます、森さん」
『今夜は何もないことを祈っておいて下さい。私は仕事なんですから』
「祈ります」
笑って呟くと、森さんも少しだけ笑みの声を零した。
『それでは……メリークリスマス。よい夜を』
優しげな言葉の余韻に胸を滲ませ、それから僕は駆け出した。
会長を待たせてしまっているその場所へと。
●第9章-2
『すみません、今終わりました。すぐに向かいます』
メールを打って、時計を確認する。23時半にも届きそうな時間だ。
急いで向かってもそんなに早くは着けない。タクシーを拾って向かうよりも駆けた方が早いと思って、僕は夜の住宅街をひたすら駆けた。
空から白いものが舞い降り始めたのはそれからすぐのことだった。
涼宮さんの起こした奇跡が、街を優しく包んでいく。
20分の道のりを、13分に短縮して、息をきらせた僕が駆け込んだのは、大通りを曲がったところにある小さな公園だった。噴水のそばのベンチで待っている、と会長は知らせてくれていたのだ。
もう0時に近づく時刻。雪降る街の公園にはカップル達の姿もまばらで。
けれど、敷地に入ってすぐに気づいた。
ベンチに腰掛け、街灯の下でマンガを読み耽る彼を見間違うわけもない。
遠くから呼びかけようとしたが、息がきれて声にならず、やっと数メートルまで近づいた時、会長は顔を上げて、目を丸くした。
「何やってんだ」
「……な、何って……走って……きたので」
胸を押さえて吐き出す。会長は呆れたといった顔をして、本を置くと僕に近づいてきた。
「ばーか、別にそんなに急がんでも俺は逃げんぞ」
「でも……3時間もお待たせして……こんなに寒いのに」
「ここで待ってたわけじゃねーよ」
会長は苦笑すると、僕の背中に腕を回して抱き寄せてくれた。
「メール貰ったから、そこのファミレスから出てきたんだ。ずっとここにいるかよ、寒いのに」
「あは……そうですよね」
でも会長のコートは冷えていた。頬を寄せた場所は融けた雪で濡れている。
僅かな時間でもこの外気なら冷え込むのは分かる。だから彼の言っていることは本当なのだろうけど、それでも何故か申し訳ない気持ちで胸が痛んだ。
会長は僕から腕を外し、ベンチに残した鞄を取りに戻った。そして鞄の隣においてあった箱を手に取ると、会長はそれを僕に差し出した。
「クリスマスプレゼントだ。受け取れ」
「えっ……はい」
綺麗に包装された包みを開けるとスニーカーが出てきた。
以前、一緒に眺めた雑誌に載っていたモデルだ。
「これ……高かったんじゃないですか?」
「別に? 出所はお前ら機関から貰った小遣いだし。遠慮するな」
「……ありがとうございます」
大切に頂くことにした。……でも。
「すみません、会長。……せっかく頂いたのに、僕は……その」
クリスマスプレゼントはSOS団のプレゼント交換用には買ったけど、それだけだ。完全に失念していた。
会長は片眉を上げて、唇をへの字にした。
「どーせな。忙しそうだったしな」
苦い顔のまま、彼は眼鏡を外すとコートのポケットに仕舞い、僕を見つめた。
「じゃあコレで勘弁してやる」
会長の顔が近づき、唇に素早く触れて去った。冷たい唇だった。
「う……」
唇を指で押さえた僕に、会長は立ち上がって腕を伸ばす。
「それじゃ行こう。こんなところにいつまでもいたら凍えるからな」
その手のひらに僕も手のひらを重ね、立ち上がりながら尋ねた。
「どこへ行くんですか?」
「そこのホテル」
「えっ」
会長の視線は、公園の隣にある巨大な茶色の壁に向けられていた。シティホテルだっただろうか。
「もうチェックインは済ませたから拒否権は無しだ。アパートに戻るのもなんだしな」
「……よく部屋がとれましたね……」
連れて行かれながら思わず呟いた。今日はクリスマスだというのに。
「ダチで、クリスマス前にフラれた可哀想なヤツがいたから、買い取ってやったんだ。優しいだろ?」
「……はぁ」
「なんだ嬉しくないか?」
公園の入り口で会長は立ち止まって、僕を見下ろした。
冷たかった指が、会長と繋ぎあうことで体温を取り戻し暖かく感じる。
きっとコートを脱いで、彼と抱き合えば、もっと暖かいことだろう。
「……つまんないやつだな」
僕が返事をする前に、表情だけで何かを理解してくれたらしく、会長は再び歩き出した。
ホテルの入り口を抜ける手前で、雪はさらに酷くなり、まるで吹雪のように降り積もり始める。
それから逃げ込むように僕らはホテルの自動ドアを抜けて、まっすぐエレベーターに向かった。
→→つづき(契約愛人20)