●第7章-1
(会長モノローグ)

 校門を出ると、黒塗りのタクシーが迎えに来ていた。
 放課後、生徒会に顔を出してる時に呼び出しの電話を受けた俺は、俺の姿を見て車を降りてきたそいつを眺める。
 あんまり会いたくない相手だった。相手にしてもそうだろうが。
「悪いね、いきなり呼び出したりして」
 俺を助手席に乗せると、車はすぐに発進した。
 多丸裕。古泉のいる機関の連中のうちの一人。俺をあの店から引き剥がした奴の弟だそうだ。
 彼はこちらが用件を尋ねる前に、涼しげな顔でハンドルを握りながら彼が話しかけてきた。
「もう聞いているのかな? 今日の昼休み、部室棟で一人の生徒が階段から転落して救急車で運ばれたこと」
「ああ。これでも生徒会に属してるからな。SOS団のもう一人の男子なんだろう?」
「そうだ」
 そいつは頷いた。
「で、用件は何だ? 俺をどこに連れてく」
「……の前にさ、君、その話を聞いてどう思った?」
「は?」
 俺は眉を寄せた。何を言っているんだ、こいつは?
「教えて欲しいんだ」
 やけに爽やかな顔立ちのそいつは、まるで教師が生徒に映画の感想を求めるが如くの声音で聞いてきやがった。
 面倒だが、仕方がないので答えてやる。
「最初は1年の男子が部室棟の階段から落ちたとしか聞かなかったからな。そのうちSOS団の連中らしいって聞いて。……古泉じゃなくてよかった、と思ったが」
「そうだよね、君ならそう言うと思ったんだ」
 多丸は口の端を持ち上げた。
「何か悪いか?」
「いや。それがさうちの機関の連中はね、君とは別の考えなのさ。落ちたのがもう一人の彼だと知って、「なんで古泉がその場にいたのにそんな事故になったんだ」って結構きついお説教をされたみたいでね」
 車は住宅街を抜け、国道に入る。
 国道は夕方の渋滞時刻を迎えていて、車は緩やかにスピードを落としながら、車の列の中へと進んでいく。
 俺は彼の言葉の意味が、一瞬わからなかったので顔をしかめていると、多丸は軽く嘆息して言葉を続けた。
「古泉にとって病院に運ばれた彼は保護対象みたいなものだった、って言えばわかってもらえるかな?」
「わからんね。まあ学内で一緒にいるのはよく見かけたが、それも機関の仕事ってことかよ?」
「僕があまり君に事情を話せないっていうのは分かってくれるよね。だからけして詮索は遠慮してもらいたいんだけど、古泉があの北高に転校してきたことも含めてすべて機関の任務だ。そして彼は、あの彼を守ることも自分の任務の一部だと考えていた」
 なんじゃそりゃ。
 心の中で突っ込む。が、俺は機関の暗躍により生徒会長に押し上げられた役割だ。何の目的か知らんが、とてつもなくおかしな集団であるってことは知ってる。それに俺は対涼宮ハルヒ仕様らしいからな。SOS団のメンバーに何かあるんだろうというのは考えなくても分かりきったことだ。
 車は大きな陸橋の下を抜けていく。
 多丸はさらに話を続ける。
「彼は古泉を含むSOS団のメンバーと階段をトコトコ下りてきて、一番最後尾にいたそうなんだ。そして階段の高い場所から、目撃者によると『誰かに突き落とされた』」
「はぁ? 突き落とし? 俺聞いてないぞ?」
「うん、伏せてもらった。本人も自信がないようだったし。でも多分そうなんだろう。彼女が言ったんだから間違いない。それにその彼は以前から狙われやすい人なんだ。詳しくはいえないけど客観的に考えてもありえなくはない」
「ほう」
「倒れた彼は古泉やSOS団のメンバーの横を転がり落ちて、廊下にたたきつけられ、現在意識不明の状態が続いている」
「……悪いのか?」
「ううん、どうして目覚めないのか皆目検討がつかない。色々検査をしたけれど脳に異常はないみたいだし」
「そうか……」
 流石にほっとする。全く知らない奴じゃないし、同じ学校の生徒だ。
「彼は今、機関の手配した病院で24時間監視体制の元に置いてある。意識が戻るかどうかはまだ不明だけれど、命に別状もなさそうだ。古泉も病院を出て、今は機関にいる。上への報告もさっきやっと終わったみたいだ。結構長く続いてたからね」
「ふむ……」
「とはいえ、彼を突き落とした犯人も古泉は見ていないそうだし、何を聞かれても答えられないんじゃないかな。機関も彼を今狙っているような勢力に心当たりがないから、何か得られないかと必死になっているみたいだ。正直、今現在機関は混乱のさなかにあるといってもいい」
「ふぅん」
 勢力ってなんだよ、と心の中で突っ込んだが、詮索してはならん決まりだ。まあ聞き流そう。
 彼はゆっくり息を吸い込み、運転しながら、一瞬だけちらりと俺を見つめた。
「……かなりショックを受けてるんだ。そのうえ自分のせいだと思い込んでる」
「古泉が?」
「ああ」
「……」
 成る程ね、と俺は漸く合点がいった。
「それで俺を迎えによこしたと。……いいのかよ?」
「これは俺の独断だけど、君が、一番古泉のことを考えてやれるし、側にいてくれるから。頼みたいんだ」
「……」
 俺は鼻息で返事をした。
 自分が守らねばならない相手が、すぐ側で誰かに突き飛ばされて救急車で運ばれて意識不明の状態で。
 その上で、あれこれ聞かれたり、お前のせいだ、なんていわれたら、どんな奴でもへし折れるだろう。
 彼はさらに続けた。
「古泉は優秀だからさ、失敗の経験もあんまりない。そのうえ彼は古泉にとって特別な存在なんだ。昔から尊敬していた、というかいっそ神聖視に近い思いをもっていたようだから」
「なんだそれ」
 ますます聞いてないぞ。俺は苦い顔をして、彼の横顔をにらんだ。
「ああ、安心してくれ。古泉は別に同性に惚れる特性を持っちゃいない」
「そんなのは分かってる」
 そんなのがあるなら、もうとっくになんとかなってるつーの。ないからどんだけしんどい思いしてるんだ、俺は。
「言うなれば憧れの存在ってとこかな。涼宮ハルヒさんと彼は古泉の中じゃ同じ価値なんだろう。その大切な彼が目の前で狙われ、自分は手も足も出せないどころか、最悪な状況に近いことになったんだから……ねぇ」
 ねぇ、じゃない。
 俺は返事をする気にもなれなかった。
 よく一緒に歩いているのを見かける同級生の平凡そうな男子に、古泉が何を思っていたのかは知らん。まあそんなことはどうでもいい。
「……機関は古泉のせいだって言ったのかよ」
「上層部にきっつい人がいるのさ。色んな考え方の人間がいるんだ。もしかすると古泉に重い処分が下る可能性もある、……が、そんなことは俺たちがさせないけどね。命に別状はないんだ。必ず目を覚ますって信じてる」
「ああ……」
 それならそいつのことは頭から切り離そう。
 俺が心配なのは古泉だ。
 あの間抜けなクソ生真面目は、この人の言うとおりに自分を責めちまっているだろう。
 クソ。全くクソだ。……あいつは見た目よりもずっと強くない。
 臆病で生真面目で自己弁護の下手糞な、不器用な奴なんだ。
「……」
 拳を握りしめ、目的地への到着をまんじりとせずに待った。
 多丸さんはその様子の俺に再び視線を向けて、息をつきながら笑った。
「結果オーライっていうのかな、こういうの。……今は君がいてくれて、古泉はよかったな、って思ったりするよ。色々突っ込みどころ満載だけどね」
「全くだ」
 そんなの苦笑して返すしかない。だけど俺もこの多丸という奴に感謝したい気分だった。全くバカみたいな話だ。

●第7章-2

 機関とやらの建物の前で車は止まり、俺は彼に古泉がいる部屋まで案内してもらった。
 長い廊下を進み、辿り着いたのは公民館にでもありそうなこじんまりとした会議室。
 教室ほどの広さの部屋に、細長い机がずらりと並び、その中ほどに俯いて腰掛けている古泉がいた。
 その顔色は非常に悪く、空ろな眼差しに感情の気配もないように見えた。
 部屋の中には他に人影はない。一人で待たされていたのだろう。
 俺は多丸の目の前だが遠慮せずに、古泉の側に近づくと、自分の胸に引き寄せるようにして抱きしめた。
「……えっ」
 俺の腕に包まれてから、やっと気づいたらしい。目を丸くして古泉は俺を見上げた。
「会長……? どうしてここに」
「あいつが連れてきてくれた。……一緒に帰ろう、古泉」
「……多丸さん……」
 もう一人の存在に気づいて、古泉は慌てて俺の体を押し払った。多丸は指先を口元にあてて、くっくっと笑ったが、優しく告げた。
「ああいいよ。そうなるかなぁって想像してたし。意外に気持ち悪くなかった」
「なんだそれは」
 軽く睨むと、多丸は肩をすくめた。
「怒らないでよ会長。……それより帰りは送ってあげられそうにないから、タクシーチケット使っておいて。古泉、まだ持ってたよね?」
「えっ。帰っていいんですか?」
 古泉は勢いよく立ち上がると、深刻な面持ちで多丸に告げる。
「……今日は多分、かなりの数が発生すると思います。それに」
「お前はいいよ、休んでな。だから会長を連れてきたんだ」
「……謹慎しろってことですか?」
「違う。心配してるだけだ」
「それなら休めなんて言わないで下さい。僕の責任です。彼が目を覚ますまで家には帰りませんっ」
 おいおい。
 俺はちょっと困ったが、割り込むのもなんだと思って見守ることにした。
 古泉の声は必死だった。話してる意味は詮索しないけど。
「そんなの駄目だ。明日の朝は病院に行くんだろう? だからおとなしく帰れ」
「いやです。せめて今日は」
「帰るんだ」
 多丸はきっぱりというと、俺に目くばせを送ってきやがった。よりによってお前の言うことを聞くのはシャク以外の何者でもないが、この場合は仕方がない。
 俺は多丸に張り付いていた古泉の右腕をつかんで、後ろに引っ張った。
「帰ろう古泉」
「会長は関係ありません! これは僕のっ!」
「任せたっ!」
 刹那。ひらりと身を翻し、多丸は部屋を逃げ出していった。
 くそう。しかし人目がなくなったのなら遠慮はいらん。俺はそのまま両腕に古泉を捕まえて抱きしめた。
「……やっ、……離して下さいっ。会長っ」
「変な声出すな、押し倒すぞ」
「……」
 脅しが効いたのか古泉は一瞬口ごもり、そして俺の胸に顔を伏せて、小さく呻いた。
 泣いているわけじゃ無さそうだが、気持ちのやり場に困っているのだろう。
 髪を撫で、背中をさすってやりながら俺は待つことにした。
 身動きせずにおとなしくしている古泉をどれくらい抱きしめていただろうか。
 やがて一つ大きく息を吸って、古泉は一歩後ろに下がり、俺を見上げた。
「僕のためにわざわざご足労かけて申し訳ありませんでした、会長。……帰りましょう」
「ああ」
 その生白い表情には沈痛の色が残っている。
 しかし気づかない振りをして俺は古泉の隣を歩いた。機関の建物の冷たい廊下を歩く間、幾人かとすれ違い、その度に古泉に視線が向けられたが、声をかけられることはない。
 詮索しない詮索しない、と自分に言い聞かせちゃいるものの腹が立つ。
 これがお前が毎日振り回されている機関の実態か? まったく。
 建物の外に出て、少し歩くと大きな道に出た。そこでタクシーを拾う。
 家に戻るまでの間、古泉は一言も口をきかなかった。感情を殺した表情を足元に向けるばかりの横顔を俺は見やり、運転手に気づかれぬように、やつの手をそっと握った。
「……」
 古泉が俺を向く。そ知らぬふりをして反対側の窓に顔を向けた。
 やつもすぐに視線を足元に落とした。が、指は離れなかった。
 冷たい指を握り締めて、俺は聞こえぬように嘆息する。お前が助けて欲しいって思うなら、俺は何が敵であっても守ってやりたいよ。詮索しないと誓ったのに、裏腹な気分を抱え込み、俺は心底自分に飽き飽きしたのだった。

→→つづき(契約愛人17)


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Last-modified: 2008-03-19 (水) 17:31:20