●第5章-3
(古泉モノローグ)

 いつもの時間まで部室に残り、皆に合わせて学校を出た僕の足は、今日も機関に向かった。
 特に大きな用事があるわけではないが、機関のとある一室で飼われている猫の調教具合を見に行こうと思い立ったのだ。冬のお芝居の大切な役回りを演じてもらわねばならない三毛猫くんは、僕の限られた時間だけでは調教しきれず機関の人にお願いしてあった。その場には行かない人なので、猫が慣れるようになるべく顔を出して欲しいといわれているのだ。
 建物に入って、階段をのぼりはじめた時、後ろからトンと肩を叩かれた。
「よお古泉」
 多丸さんだった。正確には多丸裕さん。ちなみに渋谷で会長を捕まえたのはお兄さんの圭一さんのほうだ。
「どうかされたんですか?」
「ああ、皆に一応アンケートとってるのさ。今度のクリスマスイブのことなんだけど」
「イブ?」
 こっちでも何かイベントをするつもりだろうか?
「SOS団で鍋大会をするそうですから、念のため夜まで開けておいたほうがよさそうだと思っていますが」
「いやそれは知ってるって。報告も出してるだろう? そっちじゃないよ、その後のほう」
 裕さんは親しげな笑みを浮かべて、説明してくれた。
「去年もその前も、クリスマスの夜は大変だったろう? 去年なんかもう最悪だった。朝まで幾つ閉鎖空間が発生したことか。そうかと思えば大気圏突入してくるサンタっぽい何かが発見されたり、ほんとに思い出すだけで悪夢だ。……でも今年はここしばらくの安定ぶりからしても、何も起こらない可能性も高いだろうっていう話になっていてさ」
「……はあ」
 そう。確かに去年は酷かった。
 クリスマスに中学3年生の涼宮さんが何を思ったかはわからないけれど、彼女のことだから「どうしてサンタなんてみんな信じているわけ? おかしいでしょ」とか「キリストの誕生日だと知らないままにクリスマスを祝える日本人なんてっ」という嘆きかもしれない。もっと少女っぽい可愛い悩みなのかもしれないが、とにかく色々と憤懣が爆発し、僕らはそれに朝方遅くまで振り回された。
 そのため、僕ら機関員に「去年のクリスマスはどうしていましたか?」なんて絶対聞いてはならない。
 狂犬病の犬のような視線で見つめ返される可能性が高いからだ。
「で、去年のリベンジといってはなんだけどさ、クリスマスイブの夜くらいオフが欲しいやつにはくれてやろうじゃないかキャンペーンっていうのを計画してみたんだ。一応、家族や恋人がいる人優先だけど」
「なるほど」
 最近発生する閉鎖空間の神人は、以前に比べたらおとなしいものだ。総動員しなくてもなんとかなるレベルだし、それはいいアイデアだと思った。
 しかしそれは僕には関係のない事柄のように思えたので、裕さんにそう告げようとすると、彼は首を横に振った。
「……お前にも同居人がいるだろうが」
「か、会長のことですか?」
 恋人扱いですかっ。僕は驚いて真っ赤になった。
「そんな気遣いは結構です。……というか、多丸さん達は彼のこと嫌っていたのに、どうして……」
「今でも嫌いは嫌いさ。間違っても友達にはなれないな。……昨日、あいつの通ってた店の件で、お前森さんに検査されたんだろ?」
「ええ」
「その件で今日、急にあいつに呼び出されたのさ」
「会長に?」
「ああ。それで昼休みに行ってみたら、自分から検査を申し出てくれてね。その時に少し話したけど、ありゃ本気だね。古泉、お前愛されてんなぁ……」
「なっ……なにを話したんですかっっ」
 犬猿の仲同士で何をっ。僕は真っ赤になったまま裕さんを睨んだ。
「いや色々と。耳と想像力が限界を超えそうだと思って、途中からはお前が男だってことは忘れて聞いていたけどな。いや……大分変わったな。以前に見かけたときよりもすっかり見違えてる」
「変わったのは同意しますが、忘れちゃいけないところが重要だと思いますがっ」
「はは。まったくだ」
 裕さんは笑いながら頷いた。
「ほんとにお前が女か、アイツと同じ世界の奴ならな、幸せにしてもらえよ、って肩叩いたかもしれないなってことさ。古泉、お前は優秀だけど時々抜けてるし、自分のこと大事にしないし」
「………………」
 まるで男であることが欠点のように言われた気がして凹みそうになったが、必死でこらえた。
「で、どうする? クリスマスイブ」
「えっ」
 僕は精神的重力感を漂わせたまま顔を上げる。裕さんはメモを手に笑っていた。
「開けといてやれ。アイツは俺の調べじゃ結構な遊び人だったんだぞ? それがお前がいるならいいや、って今じゃ借りてきた猫に徹してるんだ。女代わりになるのが嫌なのはわかるけど、別に嫌なら嫌で拒否し続けてれば、無茶するやつじゃないんだろう?」
「……………………どこまで話したんでしょうか……」
 あなたたちは。
 泣きそうな目で見上げると、裕さんは爽快な笑顔でごまかした。
「他言はしないから安心しなさい。それより勝手にリストに組み込むからな。どうしても嫌なら一人でどこかへ出かければいいのさ。そもそも古泉は働きすぎだ」
「……はぁ」
 裕さんはにっこり笑うと、急に僕の頭をわしづかみにし、ぐしゃぐしゃに撫でた。
「性別の壁を乗り越えろとは言わんさ。だけど、古泉にはいい勉強になるかもしれないと思うよ。お前はもっと人に甘えてみるべきだ。まだ一応、子供なんだから」
「……子供」
 子ども扱い……。それはそれで凹む……が、未成年なのは事実だ。
 裕さんはにっこり頷いてから、メモにさっさと僕の名前を書きこみながら付け加えるように言った。
「どうせ期間限定なんだからさ。気楽にな」
「……そう……ですよね」
 僕はぐしゃぐしゃにされた髪を押さえながら、微笑して頷いた。
 逃げたいと思えばいくらでも逃げられる。辛くなったとしてもこれは期間限定なんだから。
 気分が晴れていく。裕さんの言う通りだ。会長が僕をどう思っていようと、それは1年も2年も続く話ではない。気楽にすごせばいい。
 その言葉は僕の心を癒すのに十分な響きを持っていた。
 それに裕さんが会長に好意を持って接してくれたことが、素直にとても嬉しかった。
 僕が会長と一緒にいることを選んだのは、機関に迷惑をかけたくないという思いが先だった。
 なのに、機関の仲間にそのせいで余計な疑いを持たれたりしたことは辛くて悔しくてならなかった。確かに相談もせずに決めてしまったのはいけないとは思う。みんなが僕を心配してくれているのもわかる。
 でも、誰かに認めて欲しかった。……だからその時、心底嬉しくその言葉を僕は受け止めたのだ。
「……ありがとうございます、多丸さん」
「ん、いい顔になった。それじゃあな」
 いつもの爽やかな笑みを残して、裕さんは離れて行った。僕はその場に残って、彼の姿が見えなくなるまで見送った。
 そして彼が見えなくなると、急激に家に帰りたくなっていた。
 会長に会いたい。
 ……不意にそう思った。彼と暮らし始めて、初めてのことだった。
 彼と話したい。今のことを伝えたい。対立しあっていた会長と多丸さんの距離が少しでも縮んだことが嬉しくて、僕は小さな感動すら胸に抱いていた。
 時間が経つに連れてその思いは強まり、三毛猫くんとのふれあいも早々に切り上げて、僕はその日、急いで帰路につくことにした。

→→つづき(契約愛人13)


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Last-modified: 2008-03-19 (水) 17:24:32