古泉一樹の崩壊(古→キョン)


「何でハルヒがいない時もそれなんだ?」
 まさか、この俺の素朴な疑問があんな悲劇の引き金になろうとは、神ならぬ俺には想像すらつかなかったのである。すまん古泉。俺が悪かった。

 で、本題に戻る。
 それってのは古泉の胡散臭い態度のことだ。あの笑顔とか、敬語とか。まあそりゃ、ハルヒがそう望んだから、古泉はこんなに胡散臭いんだということはわかってる。
 なんせそのことを古泉自身が俺にバラしたからな。
 わかっちゃいるんだがなあ……
「ぶっちゃけ気持ち悪いんだよ。フツーに喋れフツーに。今は俺と長門しかいないんだから」
 長門とはお互い正体はバレッバレなんだし、そもそも長門はほとんど会話に絡んでこない。さらにどう喋っても彼女が驚くとかハルヒにそのことを吹聴するとか、そういうこともない。
 まあ、ひょっとしたらこいつのフツーは俺の思ってるフツーとは違ってて、本性現わしたらいきなりオネエ言葉で喋り出してしまうとか、地声が朝比奈さんにしか許されないような『ぁ〜(はぁと)』なんてAngel voiceだとか、長門ばりに無愛想になっちまうとか、なんかそういういやもうそれでいいですごめんなさい僕が悪かったです! 土下座! 的展開が待ち受けてるのかもしれない。しかしいくらなんでもその可能性は相当低いだろう。
 そして普通の口調で普通にこいつと喋れたら、俺はさぞかし救われるだろう、と思うわけだ。朝比奈さんはあれだし、長門はこれだし、ハルヒ以下クラスの連中に閉鎖空間がどーのなんて話はできっこないし、気楽にその手の話のできるこいつは貴重なわけで、となりゃ気楽に男同士ハラ割って話したいってのが人情だろ?
 なのに、「癖のようなものですよ」なんてニヤニヤ返されるとこっちも意地になるってもんだ。
 というわけで俺は食い下がったりするわけで。
「いいから普通に喋れ! 笑うな!」
「そう仰られましてもね……」
 へにゃ〜っと当社比5割増し力の抜けた笑顔で古泉は、上体を机の上に長く伸ばした。枕代わりにでろーんと伸ばした右腕の先は机からはみ出して空中でぶらーんと指をぶら下げている。
 お?
 確かに笑ったままではあるが、いつもの古泉っぽくないぞ! こんなダラダラした古泉は初めてだ。
「これは防波堤みたいなものなんですよ」
 伸ばした右腕と曲げた左腕で作った枕に顔を半分埋め、高校生のお昼寝スタイルとしてはかなり上位に食い込む姿勢の古泉は相変わらずニコニコダラダラしている。一応、ちょっとだけ俺に譲歩してるつもりっぽい。しかし相変わらずお前の例えはわからん! 防波堤ってな何だ?
「世界を守るための」
 何言ってんだろうねこいつは。お前の微笑みと敬語に世界の命運がかかってるってか? そりゃハルヒの前でならそれは大げさでもなんでもないんだろうが、ハルヒのいない時にそりゃ大げさってもんだろう。
「……古泉一樹が態度を変えるのは危険」
 ふいに、長門が本のページをめくりながらぼそっと呟いた。
「なんでだよ?」
「……彼の態度は韜晦の手段。彼が本心を明らかにすることは、涼宮ハルヒの精神状態を大きく乱すことに繋がる」
「長門? どういうこったそれは。おい古泉?」
 古泉の脱力スマイルが、いつもの張り付いたような笑みに変化した。姿勢はそのままだったが。おまえの臨戦態勢はわかりにくいぞ、もう分るけどな。
「……長門さんにバレているとは思いませんでしたが、まあそういうことですよ。わかりやすく言えば、歯止めが利かなくなってうっかり涼宮さんの前でも本音を溢れさせてしまわないための防波堤、と。…たとえば、いつものように涼宮さんが無茶な提案をなさったとしますね」
 あー、やっぱいつも無茶だって思ってるんだね古泉。さりげなく本音出てるよ古泉。でも解説モー
ドに突入したっぽいのは、やっぱりそれなりに警戒と拒絶の姿勢に入っている証拠だろう。
「……通常僕はそれに反対して彼女の不興を買うことはしません。後の始末が面倒ですから。けれど、あなたの前で本音トークに興じていれば、いつかあなたと一緒に彼女に本気ツッコミを入れてしまう怖れがあります。いつも笑顔の副団長があなたと同レベルの発言をするのは、おそらく彼女にとっては相当不愉快なことでしょう、自分の意見に反対されることへの不快感をさし引いてもね」
 アホかお前は! よせっての…  朝比奈さんを巻き込むな! 俺は関係ねーっつーの! やれや
れ…。………お暇な方はぜひとも以上の台詞を古泉ボイスで想像してみてもらいたい。ちなみに俺は脳内再生して軽く目眩がした。確かに世界丸ごと作り替えたくなるかもしれん。
 俺はそれを望んでたはずなんだが、それでも今のこいつとのギャップにはそれだけの破壊力がある。
「ああ、いざって時にボロが出るとまずいってことか」
「ご明察」
 俺が一応納得しかけ、古泉が肯いたその時、長門がまた口を開いた。悲劇はここから始まった。
「……それだけではない。古泉一樹はあなた」
 わー! わー! わー!
 なんと、いきなりものすごい声を出した古泉が、見たこともないほどアワ喰って飛び起きて彼女の口を塞ぐ、という竹の花が咲くぐらいの椿事が発生したのである。しかもあの顔が、ひきつったあげくに赤くなっている。
 それとは対称的に長門は男にすっぽり抱きすくめられて口を塞がれるという、その男が古泉であることを差し引いてもこれ以上ない異常事態といえる状況で平然と、表情一つ変えずに端座している。お前らその反応は普通逆だろ。
「長門さん! なんであなたが!」
「……」
 おい古泉、口塞いだままで質問するなー、答えられっこないだろうが。つーかお前もやっぱそういう顔できるしそういう声出せるんだなあ。こんな素直にパニック起すお前なんか初めて見たぜ。っていうか何なんだお前。長門は何を言おうとしたんだ?
 と、俺が頭の上にハテナマークの行列を作っているところへ、扉がぶち破られる派手な音がした。この扉の開け方はあいつしかいない。そして予想通りの二人が勢い良く飛び込んで来た!正確には一人は引きずられて来ただけだが。
 まさに最悪のタイミングだ。これ以上の最悪もないだろう。で、当然、こうなったわけだ。
「あー! 古泉くん何やってんのよ!? いくら有希が可愛いからって見損なったわ! バカ
キョン! あんたもぼーっと見てないで早く止めなさいよ!」
「いやああああ〜! 古泉くん不潔ですぅ〜!」
 アワ喰ってぎゃんぎゃん古泉をなじるハルヒ。そして追い打ちに天から降り注ぐ甘美な天使の歌声のごとき朝比奈さんボイス。しかし内容は最悪だ! 俺がこれを言われたら立ち直れんぞ。
さあどうする古泉!?
「あの、いや、これは違うんです、そういうアレでは、本当ですって! ねえ!?」
 硬直が解けてようやく飛び退いた古泉はしきりに俺と長門を縋るような目で見る。しかしこりゃなんともフォローのしようがない。というか何でお前があんな焦ってたのかもわからん。
 と、古泉に抱きつかれた時のはずみで落とした本を拾い上げた長門が、また問題発言をした。
「……大丈夫。彼は私には、性的な興味を持っていない」
 性的な興味っておい。フォローになってるようでイマイチなってないぞ長門。しかもなんかわからんが古泉が余計赤くなってるし。
「じゃあなんでそんなことすんのよ? きっちりはっきりきっぱりここで説明しなさい古泉くん!団長命令よ! 説明しなきゃ私刑!!」
 なんか『しけい』の響きが違って聞こえたのは気のせいか。まあ古泉がいくらピンチになろうが俺の知ったことじゃないけどな。たまには俺の気分を味わうがいい。
「あの……えっと…その……」
 すげえ。こんなしどろもどろで言葉の出ない涙目の古泉なんて、録画して永久保存しとくべきじゃないか? ……いやそれじゃハルヒの発想と同じだ。落ち着け俺。
「……ユニーク」
「古泉くんがそんな人だったなんて……」
 さすが朝比奈さん、釈明なんてこれっぽっちも聞いてませんね。というか聞いても説得力ゼロでしょうけど。俺だってあの状況に至るまでの前段階を見ていなければ同じ誤解をしたことでしょう。
 てか長門、面白がってやるなよ。まあ面白いけど。
「そーれーに! 有希、私には、って古泉くんは誰になら性的な興味を持ってるのよ?」
「……それは」
「うわああああああああああ!!! しーっ! しーっ! 長門さんしーっ!」
 はい、Second Raid。つか一日に二回も古泉の悲鳴を聞く日が来るとはなあ。笑顔なんかどっかにすっ飛んでるし。
「やめなさーい! いーい? 有希は女の子よ! 花も恥じらう乙女なのよ! そんなことして許されると思ってんの!?」
 怒鳴られて飛び退いた古泉は、もう朝比奈さんの生霊が乗り移ったかのごとく、つま先まで真っ赤ですぅ〜ふぇぇ〜、って勢いで赤くなっている。キモイ。つーか色白いだけあって血色が顔に出やすいんだな。気付かなかった。
「え、……あ、すいません、わざとでは……あの、その、だって恥ずかしいですし……っていうか長門さん! なんであなたがそんなこと知ってるんです!?」
「……企業秘密」
 企業ってなんだ企業って。宇宙人に解析されちゃったのか古泉。ってことは俺もされてんだろう 。怖いよ情報統合思念体! しかしここまでパニック状態でよくもまあ荒い言葉が出ないもんだ。なるほど、癖にしとくってのはこういう時のためか。賢いね。これからは無理強いはしないよ。がんばれ応援するよ! ああなんかすごい優しい気持ちになってるなー俺。
「でもま、わかったわ。好きな子の名前ばらされかけて恥ずかしかったわけね」
「あ、そうそうそう、そうなんですよ! 僕も恋するお年頃ですから……」
「部内恋愛禁止!」
「おいおいハルヒ、部内じゃないだろ部内じゃ」
「部外者との恋愛も禁止よ! 部活よりデートを優先されちゃたまんないわ!」
 優しい気持ちになってた俺の助け船はあえなく一蹴され、古泉は捨てられた子犬のような目で俺を見ていた。すまん、俺にはどうにもできん。
「で、ですから胸に秘めた恋心、というわけで……あの、ですから」
「まあいいでしょう、それなら。でもいいわね、恋愛は禁止よ!」
 すげー暴君っぷり。せめてあいつがただの男子学生なら勝手に目を盗んで付き合うとかもできるんだろうになあ。職務上そうもいかんわな、ハルヒにゃ絶対服従だもんなお前。お手手のシワとシワを合わせて、なーむー。
「あの……古泉くん、がんばってくださいね…」
 あーあものすごい同情した目で朝比奈さんに見つめられてるよ。代わりてぇーなぁ、畜生!でもそこに至るまでの経緯は全然変わって欲しくないけどな。
 ……ってなわけで、俺の素朴な疑問から出来した前代未聞の古泉パニック(×2)事件は幕を下ろし、SOS団は通常営業モードに戻ったわけだ。古泉よ、すまん、本当に悪かった。

 だがしかし、事の発端を考えるとなんとなく釈然としないものがあるのだが。結局なんだったんだ、ありゃ。
『……それだけではない。古泉一樹はあなた』
 あなた、で途切れた長門の台詞を反芻し、その後に続くはずだった言葉を色々考えてみる。
『……あれは、冗談。この関連事項についての情報出力はロックされている』
 あの後口止めしようと必死になる古泉がこの台詞を言われて真っ白に燃え尽きていたのは爆笑モノだったが、要するに実際に彼女がそれを言う気はなく、たぶん俺にも聞き出せないということだ。長門が本当にその情報を持っていたのかどうかも怪しい。が、古泉はそうは受け取らず、何らかの理由で死ぬほど狼狽したわけだ。
 っていうか長門が冗談、しかも他人の寿命を縮めるような冗談、ってそれこそ冗談じゃないか?
 で……古泉の何らかの理由ってのはあいつの好きな子への想いで、んでその好きな子は俺絡み。しかも世界の危機。
 ——ここで、考えるのをやめておけば良かったのだ。ああそれなのに俺は考え続け、そして恐ろしい結論に至ってしまった。
 はははまさかな。ないない、それはない。いやしかしないとは言い切れん、というかもうこれしかあり得ん……。いかん、いかんぞれは! そりゃー確かに世界も崩壊するぜ、副団長が異常性癖の持ち主じゃ、ハルヒもさぞかし嫌だろう。俺ももの凄く嫌だ。これはちょっとした恐怖ですよ!?
「……古泉よ」
 というわけで、女子を先に帰して二人部室に残り、俺は釘を刺しておくことにした。やはり放置しておくのは危険だ。一応胸に秘めておくらしいにせよ、やっぱり怖いからな。
「何でしょうか?」
「いいか、俺はお前の属性に文句を言う気はない。ランドセル萌え大いに結構! だがな、お前にお義兄さんとは呼ばれたくない。っていうかそれ犯罪だから。くれぐれも心の中で萌えるだけに留めとけ! 手を出そうとしたらこの俺が許さん! 以上!」
「……え?」
 拳を固め、断固として妹を守ろうとするこの素晴らしき兄の姿に古泉は、笑うのも忘れて目を見開き、そして硬直した。
 え、って何だ? むしろそれは俺が言いたい。違うんなら何なんだよ!
 頭から危ないロリコン疑惑をぶっかけられて硬直中の古泉を問いただそうと、身を乗り出しかけたその途端。
 がくんと俯いた古泉から鋭い舌打ちの音と、このニブチン野郎が! という殺気立った罵声が確かに聞こえた…、気がした。いやそりゃたぶん気のせいだ。空耳に違いない。空耳だろなあ!?
 誰がロリコンだ、ですらないのかよ! ニブチンって! 絶対空耳だ。だって一樹くんはそんなこと言う子じゃないもんな! お父さん信じてるから! 信じてるから肩に手をかけるな真面目な顔すんな顔が近い息がかかる閉鎖空間なんか知ったことかとか吐き捨てないで!! やめて情報統合思念体が見てるから見せつけてやらなくていいから!!!


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Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:18:31