古泉×キョン 悪夢


 閑話休題。そんなことはどうでもいいんだ。
 頬を誰かが叩いている。うざい。眠い。気持ちよく眠っている俺を邪魔するな。
「……キョン」
 まだ目覚ましは鳴ってないぞ。何度鳴ってもすぐ止めてしまうけどな。お袋に命じられた妹
が面白半分に俺を布団から引きずり出すにはまだ余裕があるはずだ。
「起きてよ」
 いやだ。俺は寝ていたい。胡乱な夢を見ているヒマもない。
「起きろってんでっしょうが!」
 首を締めた手が俺を揺り動かし、後頭部を固い地面に打ち付けて俺はやっと目を開いた。
……固い地面?
 しかし俺は、心安らかな柔らかい布団が固い地面に変わっているなんていう有り得ない状況
よりも、もっと違うことに違和感を覚えていた。

 誰の声だ、これ。

 上半身を跳ね上げる。俺を覗き込んだハルヒの顔がひょいと俺の頭を避けた。
 って、ハルヒかよ。聞き違いか?もっと別の、無駄に爽やかな奴の声かと思ったんだが。
「やっと起きた?」
 俺の横で膝立ちになっているセーラー服姿のハルヒが、白い顔に不安を滲ませていた。
 この時俺は、ハルヒのいつもの自信満々な様子とは違う表情に割と驚かされていたのだが
(いつもそういう顔してりゃもっと可愛いのにな、)それを頭の片隅でしか考えられないく
らいに動揺していた。

 声が。
 ハルヒの発する声が、どう聞いても、古泉のそれにしか聞こえないのだ。

 いやいやいやいや、待て待て待て待て。
 一体どうしたと言うんだ、俺は頭がおかしくなっちまったのか?病気なのは耳か、それと
も脳みその方か?
 改めて、まじまじとハルヒを見る。声以外は別段、変わった様子はない。生まれた時から
この声でしたと言わんばかりに、「ここ、どこだか解る?」やら「目が覚めたと思ったら、
いつの間にかこんな所にいて」と俺に話しかけてくる。
 俺は俺で「古泉の砕けた口調なんか初めて聞いたが、そんなには悪くもないかもしれん」
とかトチ狂ったことを考えていた。何が悪くないんだ。
「古泉を見なかったか?」
「いいえ。……どうして?」
「お前と声の交換でもしたんじゃないかと思ってな」
「……は?」
 空気を読まない俺の発言に、ハルヒは訝しげに睨んでくる。俺だって訳がわからん。
 ここが学校で、校門から靴脱ぎ場までの石畳の上であるとか、暗い灰色の平面であるとか、
そんなことよりももっとおかしなことになってる気がするのは俺だけか?
 落ち着きたい。とりあえず頭を抱えて嘆息すると、背後から無感情な別の声が聞こえた。
「人間の声というものは様々な周波数の音の集まりで構成されている。声にもその人固有の
個性が表れ、個人の特定が可能。よって、交換などは不可能」
 ……振り返りたくない。想像力豊かな俺の脳みその気のせいだと思いたい。
「有希!あんたもいたの?どこにいたの?さっきまではいなかったわよね?!」
 嗚呼。ハルヒが俺の想像を具現化しちまった。
 恐る恐る後ろを見る。セーラー服にいつものカーディガンを羽織った長門が、石畳の上に
ぺったりと腰を下ろしている。ご丁寧にハードカバーの本まで持って。

 そして、その長門も。
 古泉の声に聞こえるのだ。嘘だろ?

「長門…おまえ…」
「なに」
「声……どうした?」
「どうもしていない」
 長門も最初から古泉声でしたとでも言うようにじっと俺を見つめ、それからハードカバー
に視線を移した。
 何なんだ、これ。どうなってるんだ。
 混乱してきた俺に、更なる爆弾が投下される。
「あーなんか喉乾いたわね。みくるちゃん、お茶煎れてちょうだい!」
「はーい」
 ……分かってたさ。ハルヒに続いて長門も、となると、出て来ない方が不自然だもんな。
 それでも、部室のエンジェルが古泉の声になっているのは聞きたくなかったです、朝比奈
さん。
 「キョンくんも熱いお茶でいいですか?ちょっとだけ高級な茶葉が手に入ったんです」
 にっこり、とメイド服に身を包んでいつもの笑顔で給仕してくれる朝比奈さん。

 しかし声は古泉。
 可愛らしい天使の声が古泉。

「朝比奈さん…」
「はぁい?」
「つかぬことを伺いますが、その、風邪でもひかれたんですか?」
「? いいえ?」
 どうにかしてくれ。
「ぷはっ!みくるちゃん、このお茶美味しいわ!」
「美味」
「よかったです〜、煎れるタイミングにもちょっとコツがあるみたいで」
「美味しいお茶も煎れて貰ったし、あとみくるちゃんにして貰うことと言ったら一つしかない
わよね!」
「ふえ?な、何ですかぁ?」
「ふっふっふ、お着替えよ!今度はこれを通販してみたのっ!今回は有希の分もあるからね!」
「分かった」
「ええぇ〜」
 仲睦まじい風景だ。場所こそ部室じゃないが、いたって普通、日常茶飯事の光景だ。
 三人の声が古泉に聞こえる、という事以外は。

「キョンくん、どうしたんでしょうか…」
「さっきからおかしいのよ。声がどうとか」
「ユニーク」
 その一言で片付けられたら俺も心の広い人間なんだろうな。一生無理な気がするが。
 ハルヒに長門、朝比奈さんは、一人苦悩している俺を放っておいて何かしら騒いでいる。
 ハルヒよ、あんまり無茶はしないでくれよ。三人が古泉の声になったおかげで俺の溜息は深く
なるばかりだぞ。
 しかも、古泉本人が現れないってのはどういうこった。
 神人云々、閉鎖空間云々なんか知ったことか。
 どうすればいいんだ。俺は…元の声の三人に、この声の持ち主に、会いたい。

「起きて下さい」
 頬を誰かが撫でている。うざい。今それどころじゃないんだ。非常事態なんだ。邪魔するな。
「……ね、もう朝ですよ」
 まだ目覚ましは鳴ってないぞ。何度鳴ってもすぐ止めてしまうけどな。お袋に命じられた妹
が面白半分に俺を布団から引きずり出すにはまだ余裕があるはずだ。
「起きて下さいって」
 いやだ。俺は寝ていたい。胡乱な夢を見ているヒマもない。
「そうですか…。では僕ももう少し、睡眠を貪るとしますか」
 ベッドのスプリングが僅かに揺れる。左隣に暖かい重み。

「ってちょっと待てーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」

 大声を出して飛び起きた俺を、古泉が目を丸くして見ている。何だその顔は。
 そこは部屋。俺の部屋。着ているものはスウェットの上下。乱れた布団の半分に古泉が、今
まさに入り込もうとしている寸法だ。
 何だこれは。何のドッキリだ。

「ど、どうしたんですか?」
 古泉は俺が寝惚けているとでも思っているのか、「起きてます?」と俺の顔の前に手のひらを
ひらひらと泳がせた。
 起きてる。至って冷静だ。今の俺なら、古泉が「実は僕はあなたの兄弟なので、ベッドを共に
しても別段不自然な事はないんですよ」とか言いやがってもそれをなるほどと受け止められるく
らい何が起こっても平常心でいられそうだぞ。嘘だが。
「なんで、おまえが、こんな時間に俺のベッドに入ろうとしてるのか知りたい」
 こんな時間とは太陽光も差し込む爽やかな朝である。因みに古泉は、パジャマのようなものを
着ている。
「なんで、って…」
 古泉が、合わせていた目線を反らす。
 おい、なんでそこで頬を赤らめる必要があるんだ。気色悪いぞ。
「覚えていらっしゃらないんですか?」
 だからその頬染め顔で俺を見るな。
 何が起きたのか、それを問い質す前に妹がノックも無く俺の部屋に入って来、「キョンくーん、
こいずみくーん、朝だよー!あれーおかあさーん、二人とも起きてるよー」とか抜かすのだった。

現実の方が悪夢って、嘘だよな?

「何が起きたかは皆さんのご想像にお任せします。ふふ、そうですね、彼が何故あのような夢を見たかと
言うと…僕が眠る彼の耳元で愛を囁いていたからかも知れませんし、彼が僕のことを想うあまり自ら夢の
創造を行ったのかも知れません。 読んで下さってありがとうございました。また、放課後に」


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Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:18:10