≪古泉×キョン キスして欲しい≫


「押して駄目なら引いてみろ」
恋愛の初歩よ、と森さんは笑顔で言った。

常日頃、顔が近いだのキモイだのと僕に向かって言うキョン君は、同性ながら僕の恋人である。
恋人であるからして、近づいたり囁いたり抱きしめたりキスをしたりそれ以上の諸々をするのは当たり前だと思っていたが、最近は近づくだけで警戒するような顔になることが増えたのが悩みだった。ただ照れているだけなのかとも思ったが、握った手を振り払われて「キモい」と一言言われた日には、可及的速やかに何か対策を打たなければと思い立つほど、彼の態度は硬化していた。
最近恋人がつれないんですよ、とこぼした僕に冒頭の言葉を森さんがくれたのは一週間前。それから今日までの間、僕はキョン君に全く触れていない。顔も必要以上には近づけず、囁かず、勿論キスもせず(正直相当辛かったが)まったく普通の団員同士という関係を保っている。ちょうどテスト期間に入っていたこともあり、後半は顔をあわせることもあまりなかったのだけれど、それでもキョン君に変化が起きている事は窺い知れた。彼の方から目線を合わせてきたり、何か言いたそうな表情でじっと僕を見つめていたりしている。これは今までにはなかったことである。
機関の仲間であり年上であり、今までの付き合いから僕はそれなりに森さんを尊敬していたが、今日ほど敬意を抱いた事はなかっただろう。なんというか、こんなにも効果があるとは思っていなかった。

「珍しいですね、あなたが僕のクラスに来るなんて」
クラスメートに呼ばれた僕が廊下に出ると、そこには彼が立っていた。驚いている僕をよそにそっぽを向いたままキョン君は投げやりにこう言った。
「お前、昼飯持ってる?」
「はい。テストも終わったことですし、久しぶりにSOS団の活動があるでしょう?」
いきなりの質問で意図が全く読めなかったが、そう返事をした僕に、
「…一緒に食べないか?」
驚きの発言が聞こえてきた。
「部室で、ですか?」
「いや、どっか…屋上とか。二人で」
二人で!?
「なるほど、二人っきりで」
「変な言い方すんな」
平然と笑顔でいるようにキョン君には見えているであろう。しかし、精一杯の笑顔である。常としているこの笑顔で自省しなければ廊下でキョン君を押し倒してしまうところだった。


屋上にあがり、お弁当を広げるキョン君の隣で、鞄からコンビニの袋を取り出し、パンをかじった。横に座っているだけでも、動悸が止まらない。自分から仕掛けないというのは、こんなにも動揺するものなのだろうか。キョン君が僕のパンをちらりと見て口を開いた。
「お前、いつもコンビニのパンなのか?」
「ええ。学食で食べることもありますが、まぁ、大体はこういったでモノ済ませてしまいますね」
「…あ、そ」
それがどうしたのだろうか。背は彼より大きいので発育を心配されているとは思えない。思案していると不意に、僕の視界にキョン君の弁当箱が割り込んだ。
「なんかひとつ選べよ」
「え?」
「俺の弁当からひとつやるよ」
「えっと、では…このウィンナーを」
「おう」
そういってキョン君は自ら取ったウィンナーを「ん」と僕の口に押し込んだ。驚きでひっくり返りそうだったが、落ち着け、と知れぬように深く呼吸をする。貴重なウィンナーを味わうことも忘れない。

「あ〜んってやつ、ですね」
「言ってねぇだろ」
「では、お礼にどうぞ」
キョン君は、僕が差し出したパンを受け取らずに、僕の手をつかむとそのまま口に持っていった。思わず目を丸くしてしまう。こんな風にキョン君が僕に触れたことがいまだかつてあっただろうか、いやない。これも森さん効果だとしたならば、この連続する衝撃映像の代わりに何を彼女に貢げば良いのだろうか。あれこれと考えているうちに、キョン君が何か決心したように食べかけの弁当を横に置き、言った。

「お前、なんか怒ってるのか」
「それはまた、どうしてそう思われるんですか?」
心の底から疑問に思った。僕が彼に対して怒ったことがいまだかつてあっただろうか。寧ろいつも怒っているのは彼の方だ。
「全然触ってこねぇし、あんまり目あわせねぇし、顔近づけてこねぇし…。俺、なんかしたのか?」
目線を伏せて話すキョン君の表情は彼の不安を物語っていた。
「なんか調子狂うんだよ、お前との距離が遠いと。いつもだったら」
とん、と肩が触れる。それだけで、痺れそうだった。キョン君は触れさせたそのままで僕の顔を横目に見て、言う。
少し顔が赤い気がした。
「これぐらい近かったら、するだろ」
「なにを、ですか?」
わざとらしくとぼける僕にキョン君はイラついた顔を見せたが、我慢できないように言った。
「キス。…しねぇのかよ」
返事はせずに噛み付くように口付けた。持っていたパンは手放した。

横に並んでいる状態でのキスはひどくやりにくいものだな、とどこか冷静な頭で考える。キョン君は目をつぶって、キスに応えている。
「んっ……ふぅ…」
もどかしげにお互いの手が動き、服や肩を掴みあう。見ようによっては取っ組み合いにも見える勢いで貪り、少しずつ姿勢を変えていく。角度を変える度に声が漏れるのが、ひどく扇情的だ。
もっと聞きたくて、僕は執拗に彼の唇を求めた。
「こ、い……ずみ…っは、ん……んぅ…」
酸素を求めて口を離し、相手を求めてまた口付ける。一週間分の接触をキスで満たすには、まだまだ足りなかった。キョン君の体からはどんどんと力が抜けていき、制服の襟を掴んでいた彼の手はもう縋るだけとなっていた。腰をひいて抱き寄せる。そのままキョン君の体をゆっくりと押し倒しても、抵抗はなかった。服を脱がしかけて、一度顔を離した。
「これ以上も、ここでして構わないんですか?」
急に動きを止めた僕を、キョン君はぼんやりと見上げた。
「も、どこでも良い…はやく、しろ」
例え彼がやめろといっても、潤んだ目が、口端から伝う唾液が、僕の背中に回そうと伸ばされた腕が、僕を止められなかっただろう。望んだ返事が得られ、僕は口角が上がるのを感じた。
「かしこまりました」
殊更恭しくそう言って、首筋に顔を埋めた。びくりと反応する彼のシャツのボタンをはずしていく。
「古泉…」
熱をはらんだ声でキョン君が僕を呼んだ瞬間、

「二人とも!!こんなところにいたのね!?」
派手なBGMでもなりそうな勢いでバーーーンッ!!!と音を立てて扉を開き、元気いっぱいの我等が神、涼宮さんが登場したのだ。
「…って、あんた達なにしてんのよ」
思考が停止した。何をしていたのかが知られれば、この世界は一瞬にしてなくなるであろうことは呆然とする頭でも容易に想像できた。キョン君の上に覆いかぶさったまま、これはですね、と僕が弁解しようとした途端、腹部に激痛が走った。
「っ!!」
キョン君のあまり適切ではないとっさの判断で、僕は彼の上から蹴り飛ばされたようだ。
「ハ、ハルヒ。ありがとな。おかげで勝てた」
「はぁ?どういうことよ」
「柔道だ、柔道。こいつに寝技かけられてたんだ」
寝技…まぁ、ある意味間違ってはいない。涼宮さんの出現で正気に戻ってしまったキョン君はさりげなくシャツを直し、飛ばされて痛みにうずくまる僕の横で弁当を片付け始めた。
「何でそんなことしてたのよ?」
最もな疑問です、涼宮さん。
「いや、まぁ、なんだ…男子高校生同士のスキンシップに体育で習う柔道は適してるってことだ」
首をかしげ、訳わかんない、いいから早く部室に来てよね!と言い捨てて涼宮さんは去っていった。
「キョ、キョン君」
「なんだよ」
「続きは…」
「しねぇよ」
「そんな!」
「いいから行くぞ。早くしねぇとハルヒが不機嫌になって閉鎖空間ができる」
心配げに差し出された手を貸してもらって立ち上がり、僕はしぶしぶと身支度を整えた。

屋上を出て、階段を下りる。部室に向かう間キョン君は、一言も発することなく黙りこくっていた。これではまた振り出しに戻ってしまったなと、僕はため息をつく。
「お前、がっつきすぎ」
「え?」
「何考えて避けてたのか知らねぇけど。…こまめにしろよ、こういうことは」
本日最後の衝撃発言を残して、赤い顔のままキョン君は先に部室に入っていってしまった。
森さん、何か欲しいものありますか。


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Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:17:56