≪古泉×キョン おわりのはじまり≫


最近、ハルヒの様子がおかしい。
いやおかしいといえば常におかしいのだが、ここ最近はとりわけ不機嫌に見える。
一日中後ろで苛々されると、こちらとしても何かしないわけにはいかなくなってしまう。
だがハルヒの御機嫌取りなどあのイエスマンでもあるまいし、
具体的に何をすればいいかなど、いいアイデアが浮かぶはずもない。
仕方がないので適当に「放課後、暇か」と尋ねてみた。
今日は定期テストの前日でクラブ活動が出来ないのが
ハルヒの苛々の原因ではないかと考えてみたのだ。
「暇だったら何だっていうのよ?」
「あー、一緒に帰るかと思ってな」
朝比奈さんや鶴屋さんや長門や古泉を誘って……と続けようとしたが、
ハルヒの目がちょっと珍しいくらい輝いたのがわかったので、咄嗟に口をつぐんでしまった。
「あんたがそんなに言うんなら一緒に帰ってやってもいいけど」
ハルヒのその一言で、俺の放課後の運命がほぼ決まってしまった。
まあたまにはこいつと二人きりで帰るのもいいかもしれない。
何かおごらされるのはたまったものではないが……。

授業終了のチャイムが鳴ってすぐ、俺とハルヒは昇降口へと向かった。
すると突然ハルヒがトイレに行きたいと言い出し、
俺は暫し待ちぼうけをくらうことになった。
人ごみから少し離れたところで壁にもたれかかっていると、ふいに肩を叩かれた。
「すみません、お待たせして」
そのときの俺は口をあんぐりと開けて、随分間抜けな顔をしていたと思う。
古泉は普段と変わらず如才なく微笑んでいる。
そういえば昨日、古泉に少し話したいことがあると言われ、
一緒に帰る約束をしていたのだった。
すっかり約束を忘れていたことの後ろめたさに、思わず頬が引きつる。
「どうかしましたか」
「いや……。すまん、古泉。実は今日ハルヒと帰ることになって……」
古泉の顔の笑みが一瞬解かれた。だがすぐに普段どおりの笑みが浮かぶ。
「そうでしたか。それならいいんです。あなたに話したいことがあると言ったのは
涼宮さんのことでしたので」
「ハルヒのこと?」

「ええ。最近の涼宮さんの様子にはあなたも気づいていたでしょう?
精神が非常に不安定で今までになく神人が現れやすい状態にあるので、
あなたに少し協力を仰ごうと思っていましてね。
できるだけ涼宮さんに優しく接したり、御機嫌取りとまではいかなくても、
ほんの些細なことで人の機嫌というのは直るものですから」
古泉の言い分には少々首をかしげる表現もあったが、
俺はほっと胸を撫で下ろした。どうやら古泉はあまり怒っていないようだ。
「でも悪かったな」
「いえ。これの穴埋めはまた今度期待するとしましょう」
そう言うと、古泉は爽やかに手を振って人ごみへと消えていった。
古泉の背中を見送る間もなくハルヒがやって来て、
もみくちゃにされながら何とか靴を履きかえる。
やっと人ごみから抜け出すと、既にハルヒは靴を履き替え、
ふんぞり返って待ち構えていた。
「遅いわよ、キョン!なにもたもたやってんの」
「へいへい」
俺はふとあたりを見回してみたが、やはり古泉の姿はなかった。

忌まわしい定期テストが終わり、やっとクラブ活動が再開された。
窓の外からはさっそく野球部の威勢のいい掛け声が聞こえてくる。
二年生の朝比奈さんはともかく、長門やハルヒまで来ていないのは珍しい。
白色の電灯に照らされた埃っぽい室内にいるのは、今のところ俺と古泉だけだった。
俺はあらかじめ買ってきておいた紙パックのジュースを古泉の目の前に置く。
「前の詫びといっちゃ何だが、これ」
「これはどうも」
男二人で向かい合ったままジュースを飲むのも気詰まりなので、
いつもの流れでボードゲームをすることになった。
「なあ、古泉。おまえが言ってた話したいことって、本当にハルヒのことだったのか?」
話したいことがあるから一緒に帰ってくれないか、と俺に持ちかけてきたときの
古泉の様子は傍目から見ても深刻そうだった。
普段のあのヘラヘラ笑いはどこへやら、珍しいこともあるものだと思ったのを覚えている。
ハルヒのことなどわざわざ一緒に帰らずとも、学校内で言えばそれで済むことだ。
古泉は慣れた手つきでカードを滑らしながら、ちらりと視線をよこしてきた。
「それ以外に何かあると?」
「いや……何となくそう思っただけだ」

それから暫く沈黙が続いたが、古泉の「あなたの番ですよ」という台詞で破られた。
「……これでどうだ」
古泉は笑顔で手元のカードを見つめ、降参と言うように両手を挙げた。
「また負けてしまいました」
「おまえ本気でやってるのか?」
「本気ですよ。あなたが強いんです」
机の隅にあった手づくりのスコアボードを引っ張り出し、古泉が記入をはじめる。
……雑な字だ。乱暴といってもいい。
前々から気になっていたことだが、あえて口に出すことでもないと思い、
俺は黙って古泉の手元を覗き込んでいた。
「あの日から、涼宮さんの精神は安定しています。
おかげで僕もゆっくり眠れるようになりました。あなたのおかげです」
「そりゃよかった」
「本当に……あなたがいてくれてよかったです」
書かれた文字が突然大きく乱れた。俺は鞄から筆箱を取り出し、消しゴムを差し出した。
受け取る古泉の指先は小刻みに震えている。
「なあ。おまえ大丈夫なのか?最近眠れてなかったのか?」
「いえ、何でもありませんよ」
「古泉」
俺は鉛筆を握り締めたままの、古泉の右手を掴んだ。
「言えよ。今なら誰もいない。俺に何か言いたかったことがあるんじゃないのか」

ゆっくりと顔を上げた古泉は相変わらず微笑んでいる。俺は歯痒くなって言った。
「こんなときぐらい笑うのやめろ」
「……僕の思い違いでした。なぜあんなことをしようと思ったのか、今ではわからない。
あなたと一緒に帰る約束を取り付けた日、僕はもう一週間ほど満足に寝ていませんでした。
だから少し疲れていたんだと思います」
どこか唐突に、静かにはじまった古泉の告白に、俺は耳を傾けた。
「おかしいですね。僕はあなたに救ってほしいと思っていたんです。
何の関係もないあなただからこそ。でもあなたは間違いなく、『機関』の重大な関係者だ。
そんなことにも気づけなかったなんて、お笑い種ですよ。
それにあなたが僕を救ってくれる確証なんて、どこにもないのに。
あなたはどこまでも彼女のものだ。それは決して間違っていない。異端なのは僕なんです」
古泉の掌から鉛筆が転がり落ちた。
「僕はもう随分と長くあなたが好きでした。おそらくこれからも。
そしてやっぱりあなたに救われたいと願っている。
このどうにもならない現状を打破してほしいと思っている」
俺は何かを言うべきだと思った。だが声の出し方を忘れてしまったのか、
喉からはかすかな溜息しかこぼれなかった。
「でもあなたは涼宮さんのそばにいるべきです。
僕も心のどこかではそれを願っているんですよ。おかしな話ですがね……」
皮肉めいた笑みとともに、告白は終わった。掌にある、古泉の手は冷たい。
俺は空いているほうの手で古泉の頬に触れた。
柔らかくない、俺とそう変わらない皮膚の感触。目の下のあたりを撫でると少し濡れていた。
同情しているつもりなど更々なかったが、顔を近づけると、すぐに唇が重ねられた。
古泉の長い睫毛が瞼に触れて、少し痒いとぼんやり思った。
「あなたが好きだ……」

そのあと俺たちは何事もなかったようにゲームを再開した。
それから十分も経たないうちに朝比奈さんとハルヒがやって来た。
すぐに長門もやって来たが、何冊も本を抱えている。図書室にでも行っていたのだろうか。
まったく更新していないホームページについてのハルヒの愚痴を右から左に聞き流しながら、
俺は古泉とゲームを続けた。
「あなたの番ですよ」
ルーレットを回した古泉が言う。
「わかってるからちょっと待て」
俺は古泉を睨みつけつつ、これだと思うカードを出した。
「おや」
「……げっ!」
「形勢逆転ですね。……僕の勝ちです」
お茶を淹れていた朝比奈さんが驚いたように言った。
「キョンくんが負けるなんて珍しいですね」
「ええまあ……」
俺はどこか上の空で返事をすると、スコアボードに結果を記入した。
先ほど古泉が書いていた字は何かで濡れたのかぼやけていた。
それにかぶせるように、少し筆圧を強めて新たに文字を書き込む。

「……今のはちょっと油断しすぎた」
顔を上げながら呟くと、古泉が肩をすくめて小さく笑った。
「なら勝負再開といきましょうか。今度はもちろん全力で」
そこにはもう先ほどまでの古泉はおらず、
俺は少々物寂しい気持ちになりながらもうなずいてみせた。
きっとまた古泉が暗に助けを求めてくる日は来るだろう。
そのとき俺は一体何をしてやれるのか。
何かしてやりたいと思っている自分に驚きながら、絶対に口には出さないと決めた。

あなたが好きだ。あの言葉に俺は何と答えてやるべきだったのか。
あなたが好きだ、好きだ……。まるで呪詛のように、古泉の言葉が耳をついて離れない。


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Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:17:53