古キョン? 古泉の涙

 

目の前にある光景は想像すらしたこともないしろものだった。古泉が泣いている。要約すればそういうことであり、それ以上の何ものでもないのだが、実際にそれを目の当たりすると壮絶な違和感を感じてしまうのはなぜなんだろうな。
大人の事情かなにかはしらんが声優の変わったドラえもん並の違和感だ。
「おい、古泉」
しかし俺は、内心で事情を知らない誰かに見られたら困ったことになるなとは思いつつも慰めの言葉をかけようとも思わないので、どこか一歩引いたような気持ちで泣き続ける古泉を見つめていた。
「……ぐすっ。ふっ、うぅ…何、ですか?」
とろけたような目玉がまっすぐに俺に向けられて、一瞬言葉に詰まる。おい、いつものニヤケた気持ちの悪い笑顔はどこにいった。ハンサム面が台なしだぞ。
「この状態で笑え、とは…ぐす。随分と酷いことをおっしゃるんですね」
それもそうだ。ボロ泣きしている人間がにやけた笑顔を顔に貼付けていたら誰だって引く。もちろん俺も遠慮なく引く。…くっそ、泣きながら満面に笑みを浮かべてお得意の蘊蓄を垂れ流す古泉、なんていう鳥肌ものの衝撃映像を想像しちまったじゃねえか。責任者出てきやがれ!
自分の想像力の豊かさを呪いながら悶える俺に古泉は呆れたような色を瞳に浮かべたが、それも瞬きをする間にきれいさっぱり消え失せてしまい、またくしゃりと顔を歪めてぽろぽろと涙を零しだした。泣くな!涙腺を閉じろ!
「無理…です、よ」
超能力者なら涙腺のコントロールくらいしやがれ!と無茶を言ってやってもいいが、ここは止めておこう。元々こいつが泣いている原因は…って、おい。お前目が真っ赤になってるし、うげっ、おまけに鼻水まで垂れてやがるじゃねーか。こいつの綺麗な顔が好きだっていう女子連中が見たら阿鼻叫喚ものだな。いや、むしろ泣いてる古泉くんも普段と違っていい感じよねー!ってなるのか?…あ、なんかムカツク。
「うぅ…」
しかしぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしている古泉が流石に可哀想になってきた俺は、どっかトチ狂っちまったのかね。確かめるように制服のポケットを叩く。こうなりゃ仕方がない。俺は泣いている人間を放っておくほど薄情じゃないんだよ。
「ほらよ」
「……え?」
古泉が涙の溜まった目を大きく見開く。そんな不安そうな目で俺を見るなこっちを見るな。
ヤツのほうを見ないようにしながら、精一杯腕を伸ばしてハンカチとポケットティッシュを差し出す。ぼけっとしてないで早く受け取れ!
「かしてやる、って言ってるんだ。使うのか使わないのか…どっちだ」
「……ありがとうございます」
数秒の逡巡する気配を感じた後、ポケットティッシュが俺の手から離れてく。ハンカチはどうした。
「先にこちらから使わせていただきます」
言われてみればそうだ。ティッシュ使うんならこっちは邪魔になるからな。
失礼します、とポケットティッシュを数枚摘み出した古泉は、鼻をかんでくしゅくしゅに丸め込んだそれをゴミ箱に放り込んだ。ああ、鼻まで赤くしちまって。…なんか、今のこいつを見ていると非常にその、ほにゃらら(考えるのも嫌なんだよ!)と思うのはどういうことだろうね。仮にも泣いているのに。
見るともなしに眺めているとこちらに振り返った古泉がではお借りしますね、と言いながら手を伸ばしてきた。それを見て…そうだな、自分でも何を考えたのやらさっぱり不明なのだが、普段の俺ならば絶対にしないであろう行動に出ていた。全部古泉のせいなのだ。地球が回っているのも、お日さまが東から登り西に沈むのも、今俺がしていることも、全部だ!
「え…あ、あのっ」
「大人しくしてろって」
押し付けるように古泉の顔面をハンカチでぐしゃぐしゃと拭いてやる。時々む、とか、う、とか間抜けな声を漏らすのが面白い。しばらくは古泉の反応を楽しんでいたのだが、あらかた綺麗になったであろうところでハンカチを古泉に放り投げてやる。
「…ちゃんと洗って返せよな」
「ええ、愛情を込めて」
無気味なことを言うんじゃねぇ。朝比奈さんあたりが愛情込めてくれるんだったらそれは
もう喜び勇んで原稿用紙100枚分の感謝の言葉を述べつつありがたーく受け取らせていた
だくが、お前相手ならせいぜい5文字だ。
「さて、と。それじゃあ続けるか」
「はい。あらかた終わりましたので、もう大丈夫でしょう」
実は結構辛かったんですと言いながら心底嬉しそうに笑う古泉を見て、俺はやれやれと溜息をついた。
…悪かったな、俺のかわりに。
「いいえ、貴方の為に泣けるのならば本望です」
そういう誤解を招くような言い回しはやめろ。横目で睨み付けてやると、古泉は肩をすくめていつもの貼付けたような笑顔に戻った。いつもならムカツクところだがまだヤツの目も鼻も赤いせいか、あまり腹は立たない。
ああ、そうか。
「うさぎだ」
「はい?」
うさぎがどうかしましたかと訪ねる古泉に何でもないと手を振って、俺は自分の想像に苦笑した。古泉をうさぎに例えるなんて、あんまりな話じゃないか。俺はこいつが可愛らしいなんて死んでも思わない。
「とにかく早く終わらせてしまいましょう」
彼女達が帰って来るまでに下準備を済ませておかないと涼宮さんのご機嫌を損ねてしまいますからね、そう言って切られた大量のタマネギを前に古泉が作りものの笑みを浮かべた。ああ、泣いてたほうがよっぽどマシだった。
こいつが猫だったら口につっこんでやるのに。


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Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:17:46