古キョン 『甘え』

 

   急いでいた。とにかく俺は急いでいた。
ああ忌々しい、なんで俺があいつのために焦らなきゃならんのだ。可愛らしい朝比奈さんのためならいくらでも焦ってやるがな。
はあ、と本日何度目になるだろう。途中から数える気も無くした溜め息をつく。
自分と同じ制服の学生がちらほらと見えるだけで、後はごく一般的なコンビニの店内。今日でテストが終わったこともあり妙にテンションの高い奴が多い中、さぞ浮いていることだろうさ。目的の物をいくつかカゴに突っ込んだ俺は、他の商品には目もくれずレジに向かう。
小銭を探す時間を省こうと札で払ったらバイトの店員がお釣りを用意するのに手間取った。
 くそ、しくじったか。

 それはそうとなんで俺がこんなに焦ってるのか、そろそろ気になってきた頃だと思う。それはな、実に下らない理由なんだ。原因はハルヒの言葉、ではない。
いや、ある意味ではそうなのだが、とにかくハルヒのせいではないんだ。
あいつ――わざわざこう呼ぶことで誰のことかは察してもらいたい――が今日はどういうわけか部室に来ず…いやもう回想した方が早いな。
 というわけではい、回想スタート。

 いつも通りの放課後になるはずだった。俺がテストの出来により軽く憂鬱気味だったことを除けば、の話ではあるが。ハルヒや古泉、長門に朝比奈さんがテストなんかで憂鬱になることなんかは有り得ないしな。
まあそれでも、一応あのどことなく教室の空気が重くなるテスト期間も終了し、それなりの解放感はあったさ。だからだろうな。部室に行くまでに、古泉と今日はなんのゲームをしようかなんて考えたのは。
普段ならほぼ何も考えず無意識に近い状態で部室まで歩き、そしてあいつが用意したものに付き合うだけだというのに。
そしてたどり着いた結論は(まあここはどうでもいいのだが)、オセロである。そんなに勉強しなかったとはいえ、将棋やチェスのように考えこむようなものをしたくなかったからだ。
いつも向こうから誘われているが今日は俺から言ってやろうとまで思っていた。古泉がどんな顔をするか楽しみだった。今考えればあの時の俺は間違いなくどうかしていたんだろうね。
 まあそんな風だったから、ハルヒのその言葉を聞いたときには肩透かしをくらったかのような気分になったものさ。

「は?古泉くんなら今日は――」
 なんだそれ、俺は聞いてない。まず思ったのはそんなことだった。なにかあればすぐに連絡を寄越してくるだろうと、そんなのは俺の自惚れだったのだろうか。
携帯を確認してみたって一通のメールも入っていない。着信だって同じである。
いや仮にも好きだと言い合った関係で、自惚れということはない…はずだ。多分きっと。
つまりアレだ心配をかけたくないとか、どうせそんな有りがちな理由なんだろ?それかもしくはアレ、移したら困るからとか、そんな感じなんだろ?
っていうかそうじゃないと困る。そうであってくれ。だって知らなかったんだぜ。

 古泉が、風邪で学校を休んでいるだなんて。

 それからのハルヒの言葉は疑いたくなるほど常識的なものだった。
あの絶対お見舞いに行きたがりそうなハルヒが俺に無理やり鞄を持たせ廊下まで押し出し、
「古泉君のことだから私たちが行ったら気を使うと思うのよ。アンタなら大丈夫でしょ。行ってきなさい。」なんてことを言ったんだからな。
もちろん俺には好都合だった。なぜ連絡を寄越さなかったかも問い詰めにゃならんと思っていたし、それになにより…ああそうだな、もう誤魔化すのはやめよう。
 俺は古泉が、かなり心配だったんだ。

 というわけで回想終わり。アイツの家に向かうまでに立ち寄ったコンビニで、冒頭に繋がる。
つまり俺が買ったのは、いわゆる冷えピタなどと呼ばれるものや果物の缶詰にゼリーなどという、一般的なお見舞いグッズだ。薬は買っていないが、いくらなんでもそれくらい家にあるだろう。
ここからはもう歩きで三分ほどである。少し早歩きで向かいながら、ああそういえばアイツの家に行くのも久しぶりだなと考える。なにせテスト期間だったからな。
古泉は知らんが俺に余裕なんてあるはずがない。

 そんなこんなで学校を出てから30分、ようやく古泉の家の前に到着した。
どこにでもありふれたごく普通なアパートの二階、右から三番目の部屋。何度か来たことはあるもののいつも古泉に連れられていたのでインターホンを鳴らすのは初めてだ。
柄にもなく少し緊張しながらそれに手を伸ばしかけた瞬間、触れてもいないのにドアがこちらに開きだした。驚いて思わず奇声をあげてしまったが、そこはスルーでお願いしたい。

 「あれ?こんなところで何を…」
これは古泉の言い分である。それはこっちの台詞だ。なんでお前が全く普段の姿で出かけようとしているんだ。
「そう言われましても困りますね。何せ一人暮らしですから、買い物には自分で行くしかないでしょう」
いつもより少し掠れた声で言いながら、古泉はいつものようにへらっと笑顔を作る。馬鹿かお前は、こんなときにまで笑うこたないだろ。はあ、とまた溜め息を漏らしてしまった。
古泉が少し困ったような、あるいは少し不安そうな顔をする。
「いいから戻れ、寝てろ。」
「でも家には何も無いですし…。」
「米だけでもありゃ粥くらい作ってやる。」
そうキッチンを指さしながら言うと、ようやく諦めたかのように古泉は部屋に戻った。
足取りはまあそれなりにだが安定しているし、もうそこまで熱も高くはないのだろうか。
それでもコイツのことだ、痩せ我慢というのも考えられるしな。
何度か自分も入ったことのあるベッドに寝かせて、熱はどれ程なんだと尋ねる。
すると古泉はゆっくり首を横に振って、「分かりません、朝以来はかってないので。」と返した。
 俺は長門のように触っただけで的確な温度が分かるわけではないが、これでも妹が熱を出したときにはよく看病をしている。だから大体の温度くらいは額に触れれば分かるのさ。
少し汗で湿った前髪を横に分けて手を置くと、予想外というべきかやっぱりというべきか、明らかに外へ行けるようなものではない体温があった。この熱で笑うなんて普通はまず出来ないだろうに。
お前なあ…と言いかけやっぱり飲み込んで、粥でも作ろうと立ち上がる。

 すると古泉は、俺の制服の裾をぴんと引っ張って呼び止めた。
「あの、大丈夫です。その袋、僕に買ってきてくださったんでしょう?それで十分ですから。」
なに言ってんだ、お前が実はよく食うことも知ってる。いくら食欲がないとはいえ、しっかり食わなきゃ治るもんも治らん。そう言い返しても古泉は笑顔で首を横に振る。
熱の高さを知ってしまったものだからどうしても無理をしているのが伝わってきてこっちが辛くなってきて困る。それに俺はお前の笑顔を見て喜ぶような人間じゃないぞ、クラスの女子は知らんがな。
「あのなあ、ハルヒの前でもないんだから、無理して笑うことねえだろうが。ついでに敬語もだ。」
「…そういうわけにもいきませんよ。それに本当にもう十分なので、帰っていただいて結構です。」
あくまでその姿勢を貫くつもりなのか。ああもうじれったい、くそ。

「言ってんだろうが、無理すんな、気を使うな、笑うな。辛いときにゃ辛いって言え。隠すな。
 一回しか言わねえぞ、俺はお前が好きだから心配なんだ。」
 なんとまあ、我ながら恥ずかしいことを言ったものだろう。数日経って思い出したときに死にたくなる確率100%だな。間違いない。古泉は笑うことを忘れてポカンと口を開けている。
ここまで来たらもう何でもしてやろうじゃねえかと開き直り、俺は古泉の頭をなるべく優しく撫ではじめた。
 男子高校生2人で一体俺たちは何をやっているんだろうな、実に不可思議な光景である。
しばらくそのままでいると、古泉はさっきの俺のように長い溜め息をついた。
…やっぱり高校生にもなって頭を撫でられるのは不快だったか。すまんな。
「違います。…もう、だから連絡しなかったんですよ。あなたが来たら甘えてしまいそうだったから。」
「甘えりゃいいだろう。」
「涼宮さんの前でイメージを保つのって結構大変なんですよ。
 一度気を抜けば、今度ボロが出てしまうかもしれないじゃないですか。」
「その時は…俺がフォローしてやる。だからなんでも言え。」
言ってからどうやってフォローするつもりなんだ俺は、と自分の言葉に心の中で突っ込みを入れていると、古泉は顔を隠すかのように布団を深く被った。笑顔を崩すときコイツが表情を見せないようにするのはいつものことなので、特に気にはならない。

「あの、じゃあいいですか。」
いいも悪いもないだろう。俺が言えと言ったんだからな。
「頭が、痛いんですよ。」
「ああ。」
「喉も、喋り辛くて」
「ああ。」
「本当は、だれかにそばにいてほしかったんです。」
 ぽつりぽつりと一言ずつ区切るような喋り方が普段の古泉との違いを明らかにしていて、なぜか俺が泣きたくなった。さっきまで、俺と同じ歳のコイツが独りこの部屋で何を考えていたのだろう。
誰も濡れタオルなんか乗せてくれない、水も持ってきてくれない、手も握ってくれない。
いつ神人退治に行かなきゃいけなくなるか分からないような毎日、熱が出たって看病してくれる人すらいなくて。本当は、世界なんかどうだっていいと思ったことも何度もあるだろうに。
 「…せめて、僕が寝るまでは、ここにいてください。」
風邪のせいかもしくは泣いていたのか(おそらく前者だろうが)掠れた小さな声で告げられた言葉は、やっと聞けた古泉の甘え。

 「分かった。」
 答えなんか決まってる。むしろ言われなくたっているつもりだったさ。なんならお前が次にまた起きるときまでいてやってもいい。
だから今日だけはハルヒや閉鎖空間、機関とやらのことは忘れて好きなだけ甘えろ。

 またお前がいつもの笑顔で学校に来たときには、俺はいつもの呆れ顔で迎えてやるからさ。
それからオセロでもしようじゃないか。
 なあ、古泉。



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Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:17:04