古→キョン 長門の幻想ホラー

 

 薄暗い室内の壁際らしき場所、という非常に曖昧な空間で、何故か俺は息を潜めていた。背後 に冷たい壁の感触があるんだから、まあそうなんだろうという判断だ。やたら空間認識が甘くな っていて、この部屋がどれくらいの広さなのかも把握出来ない。参ったね。
 『耳をつんざくような静寂』っていうのはこういう事なんだろう。俺が知覚出来る範囲では物 音は皆無、耳鳴りすらやって来ない。無音っていうのは想像以上に怖いもんで、いい加減気が狂 うかもしれん、とは思うが縛られてる訳でもないのに指先一つ動かせない。声帯も縫い閉じられ たみたいにひっついていて、授業中目を開けたまま寝ている谷口みたいな状態だ。今の俺は岡部 に小突かれてもどうにもなりそうにないがな。
 こうして俺は絶賛金縛り中の身だったのだが、段々と目だけが暗闇に慣れてきたらしい。何も ないと見えた視界の中に、ぼんやりと黒いシルエットが浮かび上がってきた。
 大きな長方形状の物体が、光の届かない床の上に更に黒々と横たわっていた。その上に、足を 組んだ人間が腰掛けている。
 その横顔に、俺は心底安堵した。あのニヤケ面は間違いない、古泉だ。
 自分自身の体も思うままにならないという特殊状況で、あいつの顔を見てほっとしてしまった のは不可抗力だ。自分の反応が腹立たしいが仕方有るまい。
 その姿は制服ではなく、黒っぽいスーツのような服装だった。古泉は腕を組み、いつものスマ イルを浮かべながら前方を見据えている。
 ――が、どこか違和感を覚えた。この状況下では全てが違和感だらけなのだが、何かがひっか かった。それが何なのか、突き詰めて考えるには俺は混乱しすぎていた訳だが。
 おい古泉。こっち向きやがれ。
 体は相変わらずぴくりともしないので、取り敢えず念を送ってみる。人の背中をじーっと見て ると何か感じて振り返る、とか言うだろ? 普段の俺なら眉唾だと切り捨てる所だが、今は何だ っていい。そりゃ朝比奈さんが「大丈夫ですかぁ? キョンくん」とか涙ぐみながら助けてくれ るんなら俺だってそっちの方がいい。百億倍いい。だが今はどうやら選択肢は二択らしいからな 。古泉に助けを求めるか、否かだ。
 そんな俺をガン無視して、古泉はそ知らぬ顔で腕を組んだ指先をトントンと動かしていた。鼻 歌でも歌っていそうな風情だ。いつもいらん事ばっかり気を回す癖に、何でこういう時だけ鈍い んだよお前は。
 俺の若干理不尽だと自分でも思う怒りがようやく届いたのか、古泉が右肩を揺らすようにして 反応し、こちらを見た。
 奴はのっぺらぼうにでも出くわしたように絶句した後、形の良い眉を顰めて口を開いた。
「……あなた、何やってるんですか」
 俺を見ての第一声がそれかよ。まあ俺でもそう言うかもしれんがな。
「……」
 相変わらず声が出ないので、俺は必死で古泉を見つめている。少女漫画の恋するヒロインもか くやというおぞましき熱視線だ。笑えるな。
 古泉はそんな俺に何を思ったのか、輪を掛けた熱視線を送り返してきた。おいおい、勘違いす るなよ。ご期待にはお答えできんからな。
「動けないんですか?」
 頷く事も出来ない俺は、またまた古泉を見つめるしかない。というか、顔の位置が古泉の方向 に固定されてるからどうしようもない。
「……困りましたね」
 古泉は世の中のあらゆる厄介事を背負い込んだような顔で俺を眺めている。ああ、全くだな。 それは当事者の俺が一番良く知ってるから、早く助けやがれ。
「残念ながら、僕も動けないんです。……人を待っていましてね」
 待つだけなら俺を助けてからでも問題無いだろうが。という俺の苛立ちを読んだのか、古泉は 肩を竦めて首を振った。
「あなたは物理的に体を動かす事が出来なくなっているようですが、僕にも動くに動けない理由 があるんです。残念ですが、今の僕の存在理由は『ここから動かない』事であり、あなたを助け 起こす事はこの場では想定されていません」
 何を言ってるんだかわからんが、御託はいい。俺もこれでも結構参って来てるんだぜ。
 俺を注視しながらも、古泉は独り言のような言葉を止めなかった。
「あなたの観測は予定外ですが、その様子ではこの世界の『あなた』ではないようですし、彼女 としても構わないのでしょう、多分。叙述トリックを上げるまでもなく、全ての事が書かれてい るとは限りませんからね。……彼女が現れるまで、僕は待ち続けなくてはならないんですよ。こ の上に座って」
 そう言って、古泉は尻の下にある黒い箱を撫でた。よくよく見れば椅子にしては不格好で座り にくそうな物体だ。やたら横に平べったいだけの木箱に見える。
 ……何なんだ、あれ。
「これが何か、ですか? あなたはもうご存じですよ。ここにいらしているんですから」
 知るか。――と心の中で吐き捨て、俺はまた違和感を感じた。
 俺は何故あれが『箱』だと知っている? 蓋の継ぎ目など、この遠さからは見えやしないだろ う。
「僕は彼女を行かせない為にここにいるんですよ。……あなたと約束しましたしね」
 そう言って古泉は微笑み、俺にウインクをした。
 俺が四苦八苦しながら顔を顰めようとしたその時。ギイ、と存在すら考えていなかった扉が軋 む音と共に、光が差し込んできた。俺の視界の隅に、逆光の中で立ち尽くしている小柄な影が焼 き付いた。
「こんにちは」
 古泉があのスマイルを浮かべ、侵入者に声を掛けた。影だった人物は数歩古泉に歩み寄り、ド アを閉める。
「……こんにちは」
 答えた声は、聞き慣れた長門のものだった。

 低い歌声が、白いシーツ状の布が舞うのに合わせて紡がれている。
 恐らく背格好から言って、あの中の人物は朝比奈さんだろう。時々よたよたとよろめきながら も、光源の分からない空間の中で精一杯に踊っている。バレエのようなジャンプの後にくるくる と回り、またふわっと駆け出す。
 その羽化したての蝶のような拙くも愛らしい動きに合わせ、古泉の声が艶っぽく低い旋律を奏 でていた。歌詞は聴き取れない。どこかで聴いた事があるような気はするが、タイトルは思い出 せなかった。古泉の姿は、中央で今や存在感を隠していない黒い箱――それが長門にとっての棺 なのだと俺はもう気付いていたが――と一体化しているようにも見えた。
 浮遊する純白と微動だにしない漆黒の対比が、この場から現実感を根こそぎ奪っている。
 その光景を見つめている長門は、僅かながら目を見張って立ち竦んでいるように俺には見えた 。
 長門。お前は何が言いたかったんだ? あの小説とも呼び難い文章の中で、お前は何を伝えよ うとした?

 俺が長門の事を沈思している間に、いつの間にか強い視線が俺に注がれていた。余裕の笑みを 浮かべて歌っていた筈の古泉は、口元はそのままながら俺をじっと見ていた。それは古泉に似つ かわしくない、あの黒い棺桶に似た暗い色をしていた。
 そうか。古泉に感じた違和感の理由――それはあいつの目だ。いつもの感情をあやふやに隠す 眼差しじゃない。
 雄弁な古泉の視線を俺は妙に生々しく感じた。多分それは、俺が踏み込んではいけない領域だ 。あいつが知られたくない言葉なのだと、俺は思った――。

「……目が覚めましたか?」
 目を擦りながら、声が掛けられた方を振り仰ぐ。その先にあった古泉の目がいつも通りのもの だった事が、俺を現実に引き戻した。
「良く眠っていらしたので起こすのも躊躇われましたが、僕ら以外の皆さんはもうお帰りになっ てしまったので」
 夕暮れの色をした窓の外を眺めて、俺は肩を落とした。どうやら部室で寝ちまったらしい。こ いつは俺を待っていたのか? まったく付き合いの良い奴だね。
「あまりいい夢ではなかったようですね。うなされていましたよ」
 確かに良い夢じゃなかった。いろんな意味でな。……まさかこの間の長門の私小説もどきを夢 に見るとは思わなかったぜ。

 長い坂を下る帰り道すがら、特に話題の無かった俺は古泉に俺の見た夢を話してみた。
「……それを僕に読み解けとおっしゃいますか?」
 俺の話を一通り聞いた後、古泉はそう言って俺の顔をまじまじと見た。別に解説なんて求めて ないが、何でそんなに驚くんだよ。ただの夢だろうが。
「僕としては非常に……何と言いますか」
 そういう思わせぶりな物言いは止めろって。
「大まかに言えば……確かに彼女の短編は非常に難解且つ興味深いものでした。『機関』の一員 の僕としても、SOS団員の僕としても、ただの僕個人としても、かなり興味を引かれましたね 。あなたはその解題を彼女にして欲しかったのでしょうが、様子を見ているとどうやら果たせな いようです。あなたは自分なりの解釈を願ったのでしょう。彼女の言葉を読み解く為に、夢を見 た」
 そのままじゃねえか。
「そのままなんですよ。あなたは彼女の小説を夢に見る事で、何かが分かるかも知れないと識閾 下で考えたのでしょう。ですが、そんな事は全く意味のない事です。一読すれば明らかですが、 あの文章は平易な文体で意図的に不明瞭な比喩と錯誤を用いる事で、単純な読解を妨げています 。要するに、わかりにくい例え話をそのまま分析しても意味がないんです」
 つまりだ、俺は話をバカ正直にしか受け取れない底の浅い男って事か。流石に俺だってあれが 長門のドキュメンタリーだとは思ってないぞ。
「ええ……ですから、結局あなたは小説の内容そのままの夢を見た訳ではなかった。長門さんの 小説とあなたの夢の一番の違いは、何ですか?」
 こいつがいつも以上にムカついた事か…? と考えかけて、夢の中の古泉の言葉を俺は思いだ した。
 ――俺、か?
「あなたが夢を見た時点で、あなたの中で答えは出ていたんです。ただ一点あなたが確かだと思 ったのは、長門さんがあなたにあの小説を読んでもらいたかったのだと言う事です。あなたが長 門さんの心中を慮る事を、長門さんが望んでいると感じたのでしょう」
 俺は多分かなり苦い顔をしていたんじゃないかと思う。古泉が俺の表情を見て微苦笑していた からな。
「僕の個人的意見として言わせてもらえば、それは当たっていると思いますよ。それ以上の事――例えば本当はあの少女や男が誰なのか、発表会で彼女が発表すべき事は何なのか、発表する相手は誰なのか、といった事は誰にもわかりません。僕なりの解釈はありますが、そもそもフィク ションを前提として綴られた文章ですし……正解がもしも有るとしても長門さんしか知らない事 ですから、置いておきましょう。あなたがそうして考え込んでいる事自体が、長門さんに対する 読者としての真摯な回答なのだと思いますよ」
 古泉はそこまで喋ってから、俺の顔を見て言葉を切った。
「……僕の素人夢解きは、以上です」
 そう呟いて、古泉はさり気なく俺から視線を外した。

 ……俺だってわかってるさ。それくらいの事はな。長門の事は人一倍気にしている自覚はある んだ。だから余計に、お前がわざと触れていない長門の小説と俺の夢の違いが気になるんだよ。
 お前の事だ、古泉。
 夢の中で、お前だけが俺に気付いていた。長門を気にする俺をあの暗い目で見ていた。それは 何を意味しているんだ? お前が最初に口ごもったのはその事に思い当たったからじゃないのか ?

 俺がお前の気持ちに気付いてないとでも思ってたのか。とうとう夢にまで見ちまったんだぞ?

 そう問い詰めてやるのも悪くはないのかもしれんが、俺は口を噤んで隣の古泉を眺めるに留ま った。前髪を弾きながら、古泉は珍しく居心地の悪そうな横顔を見せている。
 今はまだ、知らない振りを続けてやるよ。俺も答える言葉をまだ持っちゃいないんだ。

 ――思い出した。夢の中で古泉が歌っていた曲。また古い選曲したもんだな、俺。

 あれは、やたら哀しい恋の歌なんだぜ、古泉。

 
  • うめえええええ、静かでどこかものかなしげなかんじがすごくツボですた、GJです! -- 2007-07-16 (月) 15:07:00
  • ちょっっ、何だこの上手さは。文体も話もツボりました! 居心地の悪い●と、ちょっと小狡いキョンが萌えです。 -- 2007-07-16 (月) 16:06:10
  • 激しく乙なんだっぜ!妄想が蔓延る…! -- 2007-07-16 (月) 16:22:21
  • カップリング云々よりお話としてとても面白かった!歌う古泉に萌えた!GJ! -- 2007-07-16 (月) 16:40:47
  • それぞれに禿げ萌えでした!GJ!そして古泉が歌う曲をだいすきで妄想してしまった自分オワタ -- 2007-07-16 (月) 18:01:50
  • ちょwここでレスすまんw ↑だいすきはねーよwwそれで想像して腹痛いwww -- 2007-07-16 (月) 18:42:52
  • こういう掌編、すごく好きだー!!GJGJ! -- 2007-07-16 (月) 19:00:30
  • すげええええええ鳥肌たった!文章としても上手過ぎるし綺麗だし、最後のキョンと古泉の関係性もツボすぎましたなのに…↑のだいすきで激しく吹いたじゃねーかww -- 2007-07-16 (月) 20:01:55
  • せめて深淵で -- 2007-07-19 (木) 12:50:24
  • 確かに、せめて深淵でW -- ? 2009-07-05 (日) 21:38:24


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Last-modified: 2009-07-05 (日) 21:38:25