不器用料理

 

 そもそも手作りで安く上げよう、という発想自体が大間違いだったと思うぜ。
 往々にしてド素人の料理ってのは材料費だけでも通常の三倍とかかかっちまって高くつくというのが通り相場なのである、まあ俺達はそれを決意したとき、これっぽっちもそんなことを知りはしなかったけどな。なんせド素人だったから。
 SOS団というのは男子2名、女子3名、さらに鶴屋さんも入れて4名、さらに俺の妹に古泉がお世話になってる森さんも入れて俺5名、古泉6名か、とにかく俺達の周辺の男女比率というのは著しく均衡を欠いているのである。
 日頃は気にも留めないが、これが俄然意味を持つ時期というのが年に一度やってくる。
 バレンタイン及び、それに続くホワイトデーというイベントがそれである。
 いっそ国木田とか谷口も仲間に引きずり込めれば楽だったのであろうが、奴らにチョコを恵む優しさを持つ女神は俺達がお返しせねばならんメンバーの中では鶴屋さんのみであり、引きずり込むにもちょいと無理があった。
 そしてさらに悪い事に、俺達が頂いたチョコってのはそれなりに値が張りそうだったり、お手製だったりしてどう考えても適当なお返しでは怒りを買いそうだったのだ。
 誰だ、三倍返しが相場とか無茶を言い出した奴は。最初にそんなアホなことを言い出した奴の住所氏名が分ったら俺はそいつの家に殴り込みに行くぞ。
 そういうわけで、俺達は少しでも安く上げつつ付加価値をつけようと、やったこともないお菓子作りに挑むことを決めてしまったのである。迂闊だったと思うぜ。

「で、何を作るんだ」
「一般的にはキャンデーかマシュマロかクッキーと言われますね。それぞれに意味があるとする俗説もありますが、それぞれに矛盾する説が並立している状況なのでこれは気にしなくて良いでしょう。作るとすれば、クッキーでしょうね、最も簡単でしょうし」
 相変わらずいらんウンチクの多い奴だ。どこでそんな明日使える無駄知識を仕入れて来るんだかな。
「で、お前クッキーを作ったことはあるのか?」
「……小学校の頃調理実習で一度…」
「普段料理はするのか?」
「……目玉焼きとか、野菜炒めとかなら得意ですが」
 どう考えてもお袋が留守の日曜の親父メニューです。本当にありがとうございました。
 これにより、何でも器用にこなしそうな古泉が俺同様、まるっきり戦力にならんことがわかった。
「と、とにかくクッキーの作り方を調べましょう、材料の調合と加熱を間違わなければ多分大丈夫ですよ、たぶん……」
 料理を理科の実験か何かみたいに言うな。しかしある意味でこの言葉は大変正しかった。そう、材料の分量や加熱時間を間違いさえしなければ失敗はしないのだ、つまり間違うとひどいことになる。そして、分量を間違えずに量るというのは意外に難しいものなのだよ。
 そういうことだ。

 まず俺達はスーパーへ行き、なるべく簡単に作れそうなクッキーミックスを吟味した。
 制服着た男子高校生が二人でものすごい真剣な顔してクッキーミックスをとっかえひっかえ裏の調理方法を読んでいる姿が他のお買い物客にどう映ったかについては考えたくないので考えない。
 そう、今の時代にはクッキーミックスという大変便利な物体があるのである。俺達は一生製粉会社には足を向けて眠れないね。これがなければどんなことになったやら。これがあってもひどかったが。
「これは如何でしょう?」
「こっちはどうだ」
「……作り方は同じですね、これ」
 しかしあろうことか、種類は豊富だが、どれを見てもそれなりに計量した牛乳やら卵やらなんやらを投入し、自力でかき混ぜなくてはならないのである。前言撤回だ、俺は心おきなく製粉会社に足を向けて眠るぞ。まあそこまで既にやってあって焼くだけのクッキーミックスなんてものを買う奴がいたら、そいつは最初から焼けたクッキーを買った方がいいだろう、ということなんだろうがね。
 で、俺達はなるべく当たり障りのなさそうなプレーン味のミックスを買うことに決定し、なんか可愛いっぽい女子受けしそうなラッピングを百均で買った上で古泉の家に行くことにした。
 心おきなく台所を占拠できるというのがその理由である。俺の家だと妹とかお袋が湧いて出てうるさそうだしな。
 だが古泉の家に上がって5秒で問題発生だ。早い、早いよ古泉くん! 悲しいけどこいつ一人暮らしの野郎なのよね!
「お前ん家、秤ぐらいないのかよ」
「だっ…だって適当に切って適当に焼いたりするぐらいしか料理なんてしないでしょう、一人暮らしなんですから!」
 秤がない、計量カップがない、計量スプーンがない、ないない尽くしだ。
 オーブン機能が持ち腐れたままついている電子レンジがあったのだけは評価してやりたいがな。
 というわけで、俺は自宅に戻り、秤と計量カップと計量スプーン、それにボウルを台所を引っかき回して探し出し、ついでに念のため服を着替え、エプロンを2枚くすねた上で改めて古泉宅に戻るという二度手間を強いられた。クソ面倒くさい。
 いくら必要なくてもその手のものは台所に1セットぐらい備え付けておくべきだ。

 そして俺のお袋セレクトの妙に可愛いレースつきエプロンを装備した俺達の、悲惨な戦いは始まった。
1回目。
「アホか、先に粉を計ってからだろ、何で先に牛乳入れるんだアホかお前は」
「……二度も言わなくても…あれ? うまく混ざりませんよ、どうなってるんですかこれ!」
「知らん! 俺に訊くな!」
 挙げ句の果てに、出来上がった得体のしれない物体を焼いてみたら、燃えた。どうもマーガリンはバターの代わりにならないらしい。
2回目。
「あの、このバター溶けませんよ、これどうしたら…」
 古泉がダッシュで買ってきたバターは冷え冷えのカチカチでうまく溶けず、ダマダマでべちゃべちゃの何かができた。
 焼かんでもわかる、ヤバい。これは人間の食うモノじゃない。廃棄処分。お百姓さんごめんなさい。
3回目。
 粉の上に景気よく割り入れた卵が腐ってた。いつの卵だよこれは。古い奴から順に使うという生活の知恵がなかったらしい。また買い出しだ。
4回目。
「あれ? 出ないな……うわっ! あああああ…ど、どうしましょう…」
「どうするもこうするも拭き取るしかないだろうが!」
 えー、古泉が、粉を計ろうとして秤の上でボールをひっくり返し、全部床にぶちまけた。
 制服から着替えておいて正解だったな。ブレザーに粉がついたら取れないんだ。
5回目。
 使い切った牛乳とぶちまけた粉を追加で買い出しに行って仕切直し。
 モタモタしてる間にバターが柔らかくなってくれたのが幸いしてか、なんとかそれっぽくなったので、丸めて焼いてみる。
 中が生焼けだったので追加で加熱したら今度は焦げた。
 一応表面をこそげて食ってみたら異様に塩辛い。よく見たら、使う材料は無塩バターとやらじゃないといけなかったらしい。知らねえよそんなの。
6回目。
 今度こそ無塩バターとやらを買ってきたが、またカチカチなのでしばらくテレビとか見ながら放置した後再開。
 ようやく完璧っぽいのができたのでなるべく薄べったく伸ばして焼いて味見。
「…美味いな、これ」
「ええ、おいしいです。あ、コーヒー入れましょうか」
「すまんな」
「いえいえ」
 気がついたら全部なくなっていた。
 人に食わすための料理を作る時には極度の空腹状態でやってはいけないということを知った。
 ひとつ賢くなったな。初期値がアホすぎだという突っ込みは受け付けない。
 俺達はアリアハンを出た直後の勇者ご一行ぐらいの経験値しかないんだからな。俺達の調理スキルを戦闘力に変換したら、青いスライムにでも殺される自信があるぜ。
7回目。
 6回目の経験を生かしてどうにか成功、だがちょっとしたトラブル発生。
「熱っ!」
 古泉がオーブンから出した天板をうっかり触った。
「バカ、早く冷やせ!」
 ちょっと指先を焼いただけなんだからそこまで焦る必要なんぞなかったはずなんだよな、少なくともこれが理科室でやらかした火傷だったら俺は普通に対処していたことだろう。
 だが場が慣れない台所となると話が別で、俺は激しく狼狽し、蛇口に手を伸ばそうとして牛乳パックをひっくり返し、その中身を盛大にぶちまけた……、古泉が流しの上に置いてた天板with焼きたてクッキーの上にな。
 激しく沸騰する牛乳、牛乳を吸ってふやけるクッキー、牛乳まみれになって一度洗わなきゃどうしようもない雰囲気の天板、そこから溢れて床にまで滴る牛乳、もう地獄絵図だ。
 何もかもが台無しじゃないか。
「……僕の指より、手元の心配をした方が良かったですね…」
 まったくだぜ。何やってんだかな、古泉の指は3日もすりゃ治るがクッキーはやり直さなきゃならん。
「もういい、お前は座ってろ」
「どうも、済みません。……あ、牛乳に浸したら美味しいですよこれ」
 …どこまでポジティブシンキングだよお前は。
「アホか……あ、美味いな」
8回目。
 牛乳1パック追加購入。今日1日で約3リットルの牛乳が無駄に消えた計算だ。
 牧場の牛さんにはすっかり頭が上がらない身体になってしまった。
 指先を使えなくなった古泉が負傷退場した都合、ほとんどの工程を俺一人でやるハメにはなったものの、今度こそ完璧だ。
 というか今更気付いたのだが、単身者用の狭いキッチンを野郎二人で右往左往するよりも、俺一人でやった方が圧倒的に楽だった。気付くのが遅かったな。
 しかし一度に焼ける量の問題で、そのあと5回ほど焼くハメになった。激しく面倒くさい上に、甘ったるい匂いで胸焼けがしてきた。しかもゲップもクッキー味だ。食い過ぎた。
 そして出来上がったブツは、見た目が色々とヤバいが味は悪くない。もう見た目のことまでは知らん。
 全身なんか白っぽくなりながら、古泉に至っては名誉の負傷までしたんだからな。
 全員有り難く食うがいい。


 しかし、俺達の投入した資金と労力の割りに、ハルヒたちの反応は芳しくなかった。
 というか、一足先にクラスのチョコレートをくれた女子たちに配ったという古泉が、全員喜んで受け取ってくれたが、袋を開けた瞬間に黙ったという悲しい報告をしてくれていたので、ハルヒが酷いと言うよりは俺達の作ったブツの見た目がヤバすぎたのが原因であることは重々承知だ。
 お袋と妹は何も気にせずモリモリ食って喜んでいたが、それを標準的な女性の反応だと思うのは大間違いだってことぐらいは俺でもわかるしな。
「……なにこれ」
「これ、何ですかぁ…?」
「クッキーです、ホワイトデーの」
「俺達で作ったんだよ、感謝して味わえ」
「……クッキー…なの?」
 ああそうさ、俺達の作ったクッキーは味こそまともにクッキーだが(ミックス使ってるからな)、見た目は何だか得体の知れないクリーチャーにしか見えないのさ。
 何でクッキー種を丸めて潰して焼くだけでこんなことになるのか激しく疑問なんだが、つまりは俺達が悲しいほど不器用なのが原因なのであろう。こんな作業は小学校の時に粘土で何か作ったのが最後だからな。
「味は、特に問題はないと思いますよ、見た目は不格好ですが」
 古泉が笑顔の割りにやたら声に力を込めて力説する。そりゃそうだ、これで食ってもらえなかったら俺達は泣きながら数日間に渡る男二人のクッキーパーティーを開催するしかなくなるんだからな。
 そんな悲しいパーティーは俺としちゃ絶対にごめん被るぞ。
「…………美味しい」
 いきなり横から小さな手が伸びてきて、小分けにした袋をひったくったと思ったら直後に妙に感情の籠った声が響いたのは、俺たちにとっちゃ完全に天の福音だったね。ありがとうありがとう長門。愛してる。
 お陰でクッキーは完売、すべて女性陣の腹に収まり、俺達は柄にもなく、ホームランを打った野球選手とそのチームメイトのように腕と腕をぶつけ合い、ハイタッチし、ハグなんぞして喜び合ったのであった。
 結局このクッキー作りは市販のそこそこのお値段のクッキーを買ったのに比べてどの程度安くついたのか、それについては深く追求しないでおきたい。とりあえず受けたんだからそれでいいじゃないか。
 まあ、来年は金に物を言わす方向で行きたいと強く決意したけどな。


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:16:37