キョン古??(古泉視点)

 

 全てはタイミングが悪かったのだと思う。
 それを言うなら、僕がこんな能力を宿されたあの時から既に規定事項だったのではないかと考えられるが、……いや、それはさすがに飛躍し過ぎか。とにかく。

 タイミングが、悪かったのだ。


 涼宮さんが部室に到着して数十分が経過した頃。「キョン遅いわね…すぐ来ると思ったのに」と誰に言うでもなく呟いたのが発端だった。
「なんか谷口たちとだらだら話し込んでたのよね。どうせ下らないことだろうけど」
「様子を見て来ましょうか?」
 副団長として、団長殿の手助けをするのはごく当たり前、と申し出る。男同士の話に盛り上がっているのかもという申し添えもしながら。
「うーんそうね、団長がわざわざ赴くまでもないわね。あたしを待たせるとどういうことになるか今度こそはっきり教えとく必要がありそうだわ…」
 言いながら彼女は操作していたマウスの手を止め、操っていたパソコンからは何かを新たに起動させた音がする。
 何か新たな企み(遅刻に対する罰ゲームだろうか)を考えついたのか、パソコンから顔を上げ「古泉くん、お願いね!」と言ったきり何やらキーボードに指を走らせている涼宮さん。
 何だろう、と思うも顔には出さないようにして、五組の教室へと急いだ。「い、いってらっしゃいー」「…………」という二人の反応を背に。

足早に向かった五組の教室。入ろうと扉に手をかけたその時だった。
「そんなに古泉好きかよ」
声が聞こえた。この声はまさに、涼宮さんが言っていた谷口のものだ。一体何故谷口の口から僕の名前が、しかも好き嫌いに関する疑問が出てくるのだろう。しかし次に聞こえた声で合点がいった。
「す、好きな訳ねーだろ、あんなヤツっ!」
 僕が教室の扉を開けた、すぐ後だった。彼の声が聞こえたのは。
「あ……」

 もう少し前か、後か、そのどちらかなら良かった。
 なぜこのタイミングで、僕は彼の教室に行き扉を開けたのだろう。彼らはこの話をしていたのだろう。計算されていたとしか思えない。
「…お話し中、お邪魔してしまったようですね。すみません」
いつも通りに笑いながら、聞き辛い話に戸惑って立ち去った。…ように、見えただろうか。
「ちょ、ちょっ、古泉……っ!!」
 背後から彼の声が聞こえる。
 知っていた。分かっていた筈だった。彼は僕のことを、好き嫌い以前に友人と思ってくれているかも怪しい。…それでも。
 僕は、彼のことが好きだった。許されないと、知っていながら。

 素直に、「気になるなら、彼の様子を見て来ては?」と提案すれば良かったのだ。僕が行くのではなく、涼宮さん自身が行くように。けれどそう言わなかったのは、単純に僕が彼にはやく逢いたかったからであり、その罰を相応に受けたのだとそう考えるとごく自然に思えた。
 神様。
 思うだけでも、罪になりますか?

夢中で、五組から遠離るように、そして部室棟にも戻らない廊下を選んで歩いた。だらだらと歩いたり談笑したりしている他の生徒が邪魔でしょうがない。一人になりたかった。
『好きな訳ねーだろ、あんなヤツ』
彼の言葉が頭の中で響く。『好きな訳がない』。当たり前だ。なのに直接彼の口から聞かされるのは勘弁して欲しかった。
彼の声が、ありもしない傷を抉るようにまた響く。『好きな訳ねーだろ、あんなヤツ』。
……と思っていたら、彼の別の声が聞こえた。僕の名を呼ぶ声。幻聴かと思ったが、どうやら本物らしい。追いかけて来てくれたのか。
若干の嬉しさと、これ以上何か言われたくないという気持ちが混ざる。素直に足も止められない。階段に差し掛かったので心持ち速度を緩めながら下りた。

…だって僕は、あなたが好きなんです。

・ ・ ・

「そんなに古泉好きかよ」と彼のクラスメイトの谷口が言い、彼はそれに「す、好きな訳ねーだろ、あんなヤツっ!」と答えた。
 それだけのことだった。彼は僕を好きではない、そんなことは前から分っていたことだ。
 だから、そうでしょうね、とでも言って笑って済ませば良かった。なのに僕はひどくショックを受けて、あげくまるで失恋した女の子のように中途半端な言い訳を残してその場から遁走した。
 いやその場ではちゃんと言い繕えたつもりだったのだ。だけど後から考えるととてもそうとは思えない。
まるで追いかけてくれと言わんばかり、取り消しの言葉でも求めているみたいだった。ああ、まったく惨めったらしい。自己嫌悪で死にそうだ。
 それでも彼は優しい人だから、それを放置はできなかったのだろう。心配して追ってきてくれた。それはとても嬉しかった。けれどひどく虚しかった。
 だから追いつかれて問いつめられた僕は言うに事欠いて、「僕の事を好きじゃないなら、追いかけたりしないでください」などと口走ってしまった。つくづくバカみたいなことを言ったと思う。
 まるで何か期待してるみたいじゃないか? そして期待は所詮期待にすぎず、つまりは期待はずれで彼はすぐに僕を追いかけては来なかった……当然だが。まるっきり恥の上塗りだ。
 そして僕は今、屋上へ続く階段で、鍵を忘れた鍵っ子のように膝を抱えて丸まっている。
 1−5には戻れない。ましてや部室に行くこともできない。だったら帰ればよさそうなものなのに、ひょっとしたらと未練がましくこんなところにいる。バカだ、本当にバカだ。
 そうだ最初からわかっていたことじゃないか。いつもニヤニヤ笑うばかりで本心の見えない男、そのくせ自分にべたべたとすり寄る男。気持ち悪いに決まっている。
 ブツブツ文句を言いながらも決定的に僕を拒絶しなかった彼の優しさにつけこんで、僕はその態度を続けていた。きっと嫌じゃないんだ、彼もそれなりに僕を好きなんだと。だけどやっぱり嫌だったのだ。考えてみれば当たり前のことだ。
 心をさらけ出すことはできない。本音を見せることもできない。長門有希のように信頼もされないし、朝比奈みくるのように愛されもしない。もちろん涼宮ハルヒのような繋がりもあり得ない。間接的に僕は彼を守っているのだ、というくだらない、しかも一方的な自負しかない。だから僕らの心の距離はいつでも遠い。彼にとって、SOS団の他の誰よりも遠いのはたぶん僕だ。せめてそれなら身体だけでも近づきたかった。仲良くしたかった。普通の同年輩の友達が嬉しかった。なのにそれをそんな形でしか表現できなかった自分が悪い。
 だがそれでもショックだった。そこまでショックを受ける自分もショックだった。泣きそうな顔をしていたなんて、彼に指摘されるまで自覚できなかった。
 さっき捕まれた腕が、今になってじわりと熱を持って疼き、僕はそこに顔をうずめた。失恋した女の子みたいに。というか、今の僕はたぶん限りなく、失恋した男の子と呼んで良い存在なんだろう。
 そうか失恋したんだ僕は。だから失恋した女の子みたいになってるんだな。そう思ったら、鼻の奥がつんと傷んで目の奥がかあっと熱くなった。彼は男で、僕も男で、でもそんなことはもうどうでもいい。
 僕は彼が好きだったのだ。
 だけど明日から、こんな想いは消さなくてはいけない。ちゃんと彼にも謝って、いつも通りの僕を取り戻さなければ。
 こんなくだらない私情で任務を投げ出すわけにはいかないから。
「……、ずみ……、こ…い、ずみ……古泉!」
 突如頭上から降ってきた息切れ混じりの声に、飛び上がるほど驚いた。いや突然ではないんだろう、最低三度は聞こえたし、完全に苛立ったような声だったから何度も彼は呼びかけたはずだ。
「え、ど、どうして……」
 腕に押しつけていたせいでかすんだ目で見上げた先、僕を睨むその顔に、僕は絶句し虚しく口を開閉させた。二の句が継げない。
 なんであなたがここにいるんですか、どうして来たんですか。
 片腕で手すりに縋り、片手を膝についてぜいぜい息を切らす彼は、だいたいどこに行くか言ってから逃げてくれよなあ、階段降りたらもういねえんだから、せめてもう少しわかりやすいところでイジケりゃいいのに、学校中探したんだぞまったく、俺は体育の授業や体育祭以外でかけずり回る趣味はこれっぽっちもないんだ、とかなんとか、非難がましい台詞を次々並べたてている。
 様子からして階段を駆け上がってきたのだろうが、それならさぞ大きな足音がしただろうにまるで気付かなかった自分が少し恥ずかしい。だがもうこの際それはどうでもいい。彼はあのあと僕を見失い、学校中走り回って僕を捜したということなのだろうという、そのことこそが肝心だった。
 つまりそれは……まさか、そんなことがあるはずはない。期待すればしたぶんだけ、裏切られた時の痛みは大きい。さっき思い知ったばかりじゃないか。だけど……
 僕は期待と現実的な判断との間で激しく揺れ動き、どうリアクションすべきか判断に迷い続けた。
「…好きじゃないなら追いかけたりしないでください、と言ったはずですが」
 結局ようやく言えたのはそれだけ。笑うことも睨むこともできず、たぶん表情らしい表情を作ることもできずにのっぺりと放り出した顔と抑揚のない声。
「よく言うぜ、そんな涙目でよ。要するにあれだろ、好きなら追いかけて来いってことだろ? だから来たんだ。……文句あるか!」
 涙目だと指摘されて僕は慌てて目元をこすり、それを彼に笑われ頭を撫でられた。やっぱり、嫌いじゃないんだろうか? 少なくとも好きではない同世代の男にやる仕草ではないように思える。
でも過剰な期待は禁物だ、きちんと彼の言葉を聞いて判断しなくては。
「で、でも……だって、あなたは僕を」
 好きじゃないと言ったじゃないですか。そう言うと、彼はものすごいあきれ顔をした。そこまで呆れなくてもいいと思うのだが、余程彼にとって間抜けなことを口走ったらしい。
「あのなあ、あの谷口に、アホの谷口に、『おう、大好きだ!』なんて言おうもんなら何がどうなるか、白紙で提出したテストの点より明らかじゃねえか」
「え……?」
 意味がわからずぽかんと彼を見上げる僕に、彼はやれやれといつもの溜息をついた。
「……お前さ、小学校の頃とか、仲のいい女の子を好きだって言えたか? 言ったらどうなった?」
「あ……!」
 そうか。一緒に遊ぶと楽しいというだけの女の子のことでも、あまり一緒に遊んでいるとからかわれるものだった。そしてもしうっかり彼女を好きだなどと言おうものなら、それがどのような意味であれ曲解されてしまい…、その噂は瞬時に学年中を駆け抜けて、黒板に相合い傘など書かれてその子も含めて泣くまで『ラブラブだ』などとはやし立てられるという恐ろしい仕打ちが待っていた。いや、実際にそうされた経験はないがそれは自明のことで、誰もがそれを恐れていた。それと同じ理屈か。学校中に彼と僕が恋仲だという噂が広まるのはたしかに恐ろしい。だがしかし。
「ですが僕らは男同士、ですよね?」
 何故男同士でそういう話になるのか。小学生のことを考えると、いつも一緒にくっついて遊ぶのは男同士、女同士が普通だったと思ったが。
「…お前そういうところは案外抜けてんのな。高校生にもなって、男と女をはやし立てたって面白くもないだろ。本人たちも小学生みたいに嫌がったりしないし。ホモ扱いされんのは大抵みんな嫌がるからな、からかい甲斐があるんだろ…アホだけどな」
「はあ……」
 そういうものだろうか。中学の三年間をあまりまともとは言えない形で過ごしてきたためもあろうが、僕には今ひとつそういう感覚はピンとこない。
「だから……だな。俺はお前を好きだから安心しろ!」
 顔を赤らめ目をそらして一瞬口ごもると、彼は腕を勢いよく振り下ろして僕の肩をぽんぽん、というよりばしばし叩き、仁王立ちでやたら力強く宣言した。
スキダカラアンシンシロ、という発音を何度も咀嚼して、ようやく好きだから安心しろと言っている、つまり彼は僕を好きだと言っているのであり、あの好きじゃないという言葉を否定したのだと理解した。つまり僕が欲しかった言葉を、そのまま彼は聞かせてくれた。
「そ……うですか。ありがとうございます…」
 だが躍り上がって喜んでいいはずの僕は、むしろあっけに取られてぼんやり腑抜けた調子で間抜けな礼を言うしかできなかった。現実感がなさすぎて、喜ぶとかそういう方向に頭がいかない。
 だいたい、普通どういう意味であれ誰かに好きだと言うときに、こんなにも力強く宣言するものなんだろうか? もっとこう、みんな恥ずかしそうにもじもじしていたような…いやあれは女の子だからか。
考えてみれば男がそういうことを言うところなんて、映画やドラマでしか見たことがない。
「まあその、なんだ、そういうわけだから。今後もあの手のことを言われたら俺は力一杯否定するが、いちいち気にしないように。わかったな!?」
 無駄に力強い勢いをそのままにびしっと指をつきつけられ、勢いに呑まれたままの僕はただはい、と肯くことしかできなかった。だがどうやら彼はそれが気に入らないらしく、不満顔だ。
「……わかったら、ちょっとは安心するとか喜ぶとか、あるだろ。泣きそうな顔しなくなったのは有り難いが、無表情のお前と話すのは調子が狂う」
 そして彼は僕の隣に座り込み、そのしかめっ面を僕の顔に近づけじいっと覗きこむ。顔が近い…ってこれじゃいつもと逆だ。
 しかし何しろ地獄の底に叩き落とされたかと思った数十分後には天国にいきなり引っ張り上げられるジェットコースターなんて初体験で、彼の望み通りに何らかの反応を返そうにも本当にどんな顔をすれば良いものか見当もつかない。いつも通り笑えばいいだろうか? と言っても涙をこらえ続けてこわばった顔の筋肉が追いつかない。
「はあ……、嬉しいんですが…すみません、こういう時どういう顔をすればいいのかわからなくて」
 だからそう答えたのだが、彼は何故だか目を見開いて絶句した。
「…そっ…それは……、笑えばいいと思うぞ…っ…!」
 そしてそう言うなり、何がおかしいのか彼は噴き出し、それ言っていいのは長門ぐらいなもんだ、と言いながら爆笑し始めたので僕もつられて笑った。今のは何かのジョークだったのだろうか? 彼はいつも僕のたとえ話はわかりにくいと言うが、僕は彼の修辞を時々難解だと思う。だが意味はわからなくても彼が楽しそうに笑っているなら僕も楽しい。だからそれでいいのだと思って、僕は笑い転げる彼の腕に乱暴に抱きすくめられて髪をぐしゃぐしゃかき回されながらあははと声を上げた。
 彼が言う好き、が僕が彼を好き、なのと同じなのか違うのかははっきりしない。けれどはっきりさせようとも思わない。過剰な期待は禁物。けれど、この温かさを壊したくない、ただ浸っていたいと思う。
今はまだ、それでいい。だからただ、身体の向きを変えて彼の背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ返した。
これはただの友達同士のじゃれ合い、ただのハグだ。すると乱暴だった手つきが急に僕を包み込むように優しくなって、それから彼は苦笑気味の、だけどとても優しい声でこう言った。
「おい……なんだよ古泉、笑いながら泣くなよ、しょうがねえなあ」


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:16:21