●第8章-1
(古泉モノローグ)

 検査室から戻ってこない彼を、団長殿、朝比奈さんと僕は会長のお土産のケーキを食べながら待っていたのだが、結局その間に彼のご家族が来られたので今日のところは帰宅することになった。
 3人とも、この3日間の心労から開放され、上機嫌だった。
 特に涼宮さんの笑顔は晴れやかで、病院から北高まで戻るバスの中でも、ずっと彼の親しみを込めた悪口とクリスマスの企みを交互に話し続けていた。その瞳は長い間曇っていた空にさし始めた光の如く眩しく、彼女の声は天から降りてきて天啓を告げる天使のように楽しげだ。
 ずっと聞いていたかったけれど無情にもバスは目的地に達し、校門の前で僕らは別れた。
 去っていく二人を見送り、僕は反対側に歩き出す。そして目立たぬところに停まっていた迎えの車へと向かった。
「お帰り」
 運転席には多丸さんがいた。最近なにかと僕に構ってくれるようになった気がする。
 多分その理由は会長を気に入っているからだ。僕と会長の関係を面白がっているのかもしれない。
「ありがとうございます。ただいま、です」
 後部席から愛想笑いを浮かべると、多丸さんは人懐こい笑みをバックミラー越しに返し車を発進させた。


 機関でもろもろの報告書を仕上げ、それから年末イベントの準備や、今日涼宮さんが話していたクリスマスイベントについて資料を作り関係各所へ手配する。最後に三毛猫と少し遊んでから、漸く帰宅の目処がついた。
 気づけばもう21時を過ぎていて、携帯には涼宮さんから留守電。明日の午後に彼が退院することになりそうだから、みんなで迎えに行くわよ!、というもの。もちろん喜んで了解する。
 が、その辺が限界だった。
 今までの緊張がようやく緩んだせいだろうか。
 帰りの車を新川さんが出してくれるというので、そのお言葉に甘えて、彼の仕事が片付くのを待っている間に、僕は急激な眠気に襲われて意識を手放してしまっていた。
 気づけば機関の仮眠室で布団を被って眠り込んでいて、時計を見るともう深夜3時……。
「わっ」
 慌てて起き上がる。が、体に力が入らなかった。
 ……まだまだこのまま眠っていたい、と体が訴えてる。
 もうこのまま朝まで眠って、ここから学校へ行こうかという誘惑に心が捕らわれていく。
 布団に入ったまま、会長にごめんなさいメールを送り、結局もうひと眠りを敢行することにした。

 けれど、眠ろうと決めたはずなのに、今度はなかなか寝付かれない。
 体が重くてけだるいのは変わらないのに、頭だけが冴えきって、やっぱり帰ったほうがよいのかな、なんて僕は考えはじめていた。
 いつもならすぐ隣にあるはずの暖かくて、僕より大きな体がないことが、妙に寂しかった。
 一番辛かったあの日、会長の腕の中はとても暖かった。心配して病院にまで顔を出してくれた会長に、今日帰宅しないなんてやっぱり申し訳ない気がする。
 考えはじめたら、余計に気になってきて、ますます眠気がどこかへ飛んでしまった。

 疲れている体を引きずるようにして、僕は機関の建物を出て、夜間の往来へ歩き出し国道でタクシーを拾った。
 この時間に高校生が一人でタクシーを使うことは避けるべきだろうが、その日だけは一刻も早く戻りたかった。
 流れていく車窓の明かり。数日前、会長と並んで乗ったことを思い出さずにはいられない。
 気づけば、僕は自分を軽く責めていた。
 どうして寝てしまったりしたのだろう。
 会長はきっと僕を待ってくれていた。
 あの人にもたくさん心配をさせたのだ。それを知っているくせに、僕は……。

 思えば僕はいつも、あの人の気持ちを考えたことなんてあまり無かったのかもしれない。
 彼にあって、僕にない、異質な部分ばかりをずっと意識していた。
 でも彼はそうではなくて。……僕はもしかすると、いろんなことを誤解しているんじゃないのか。

 苦く胸に広がり、焦燥感を伴う感情が、その時の僕の心にあった。
 何かを早く気づかねばならない。
 誰かが心の中でそう叫ぶ。
 けれどそれが何かなどという答えは、欠片も得られなかった。

 アパートに辿り着く。
 鍵を開けて部屋に入り、明かりをつけると、キッチンのテーブルにラップをかけられたままの夕食が並んでいるのが見えた。やっぱり待っててくれたのだ。裕さんがもしいたら会長に連絡してくれただろうが、そうじゃなければ僕が機関で眠り込んだことなんて伝わるはずがない。
 それから綺麗な鉢植えがテーブルの中央に飾られていた。
 ポインセチアだ。赤く色づいた葉が緑の葉に重なって、とても華やかに見えた。
 かつてこの部屋にこんな綺麗なものがあったことがないので、見とれていると部屋の奥から、眠そうな声が響いた。
「……んー……古泉かー……」
 玄関を開けたり閉めたり、灯りをつけたりしたので起こしてしまったのだろう。
 僕はベッドに歩み寄り声をかけた。
「すみません……遅くなりました」
「……んー……ってか、お前さっき帰らんってメール送ってきたろ」
 会長はベッドにうつぶせになりながら、眉間に深いシワを寄せて掌で抑えながら呻くように呟く。
「気が変わりました」
「そうか」
 ぐう。
 枕に顔を埋めてしまった。眠ってしまったのだろうか。
 キッチンの食事には若干未練があったけれど、空腹を満たすには時間が悪い。朝食に頂こうと決めて、急いで部屋着に着替え、会長の隣に潜り込んだ。
「んー……」
 寝ぼけながらも場所を空けてくれる会長の腕の中に潜り込む。
「ケーキ美味しかったです、会長」
 眠そうな彼には迷惑かもしれないけれど、やっと戻れたことが嬉しくて報告する。
「……それから色々心配かけて……」
「まったくだ」
 掠れた声が響き、会長の両腕が僕の背中にまわって、額に口付けされた。
 真似をして、僕も背中に腕を回してみる。途端、会長が変な顔をした。
「……どうした、古泉?」
「えっ……いえ、……その、なんとなく」
 尋ねられると……あせる。腕を解こうとすると、突然会長の体が起き上がり、僕の上に覆いかぶさってきた。
「……!!」
「……誘ってる? もしかして」
「と……とんでもありません……」
 顔をそむける。いや、その……そういうんじゃなくって。その。
「ならいい……」
 そう呟いて、会長はそのままべたんと潰れてきた。……僕を下敷きにして。
 しかも首筋をはむはむと唇でなぞってくる。く、……くすぐったい。
「か、会長っ……や、めっ……」
「……なんでこんな夜中に……元気なんだ。早く寝ろ、眠い」
 心底迷惑そうな声で呟かれた。
「じゃあ寝かせてくださいませんか」
「……むー」
 会長は再び僕の横に寝転ぶと、背中を押して僕を自分の胸に押し付けた。
 これ以上、彼の安眠を妨げないように息を殺して僕は黙り込む。同性に抱きしめられることにも、すっかり馴らされたのはともかくとして、ここを居心地のいい場所だと思ってしまう自分に少々呆れ果ててしまう。
 まぶたを閉じると、眠気はさざなみのように優しく押し寄せてきた。
 もうあまり寝ている時間は無いのだけど、でもうとうとと心地よい気分を味わいながら、僕はゆっくりと意識を沈めていった。


●第8章-2

 無理をしてまでも会長の元に戻ってよかったと、後から僕はしみじみ思わされることになった。
 明けて22日、23日と二日続けて、アパートには戻れない日が続いたからだ。
 彼が意識不明であった3日間、機関の動きもSOS団の動きも完全に止まっていた。
 沈静していた涼宮さんの気分は、一気に上昇気流に乗って、ぐんぐんと上がっていく。22日はクリスマス会の細かい予定を打ち合わせしあい、23日は復帰した彼と共に足りないものの買出しに改めて出かけたり、新たに次々と誕生していく彼女の素晴らしい思いつきを実践するために、僕と彼は振り回されることにもなった。
 それらが終われば、機関に戻り、年末の準備やさまざまな会議。彼の事故がどう関連するかわからないけれど、介入してこようとする他勢力があるらしいという予測が高まり、冬休みを迎えるにあたって機関員達も様々な対策を考慮しなければならなかった。僕はその会議に参加しないわけにはいかない。
 新学期が始まって以来、機関の重要な任につく者の数も少しずつ増えている。人数が増えれば考え方も変化する。
 皆の意見が白熱してあらぬ方向に向かわぬように、軌道修正するのが僕の役目だ。
 SOS団を守るために。
 涼宮さんや彼が、不快な目にもうあわぬように。
 僕が守る。……もうあんな思いはごめんだ。絶対に。

 そんなこんなで結局二日もアパートに戻ることはできなくて、少しだけできた休憩時間に会長に今日も帰れないとメールを打っていた。
 冷たい建物の静寂に包まれた廊下。深夜1時。
 自動販売機から落ちてきた缶コーヒーで暖をとりつつ、ぼんやりしていると返信があった。
『わかった。じゃあもう寝るから、もう夜中に起こしてくれるなよ』
 メールの字面を見て、笑みが零れる。
 けして広くはないあの部屋の、狭いベッドに一人で横たわる彼の姿が浮かぶようだった。
 あの人も寂しいって思うのだろうか。
 彼は、僕よりもずっと強くて、飄々としていて、何があっても揺るがない人なのだろう。
 だからそんなことは無いのかもしれない。
 弱いのは……僕のほうだ。
 暗い天井を見上げて、そんなことを考えていたら、多丸さんが近づいてきた。
「なんて顔してんだ、古泉」
「えっ」
 驚いて顔を起こす。ニヤニヤ彼は笑って、僕の隣に腰掛けた。
「疲れてんじゃないか? 帰ってないんだろ?」
「いえ平気です。それよりさっきの会議で出た話、どう思います?」
「……んー、まあ、それは森さん達に任せておこう。お前はSOS団を一番大事にしていればいいんだよ」
「ええ、もちろん大事なのはSOS団です」
 僕が頷くと、多丸さんは足を組むと、天井に向かって大きく伸びをした。彼も疲れているらしい。
 その仕草を見ていると、急にまた笑顔がこちらを向いた。
「で、明日はどうするんだ、古泉」
「明日、ですか? 明日は終業式のあと、鍋パーティーです。その後は長門さんのマンションに皆で行こうと……」
「じゃなくて、俺があげた休みのこと言ってるんだけど」
「……!」
 忘れてた。
 ……色んなことがありすぎて、全くもって覚えていなかった。
「……おまえなぁ」
 多丸さんの指に額を小突かれ、僕は苦笑する。
「しかし明日も会議はあるんじゃないんですか?」
「何言ってんだよ。明日は休みだ。何があってもね。閉鎖空間対策に多少は出てくるけど、その他難しい話はなし」
「……そうなんですか?」
 介入する勢力の存在に機関が沸いているこの状態で、完全休業なんて信じにくい。
「明日はクリスマスで終業式でそこから先は冬休みだ。そうだろ、古泉」
「え、ええ。北高はそうです」
「だから、24時間の休みをあげるって言ってるんだ。25日の午前0時から、午後23時59分まで、お前は機関からもSOS団からも解放される。……涼宮ハルヒ嬢も1日ぐらいはおとなしくしているだろうさ」
「はぁ……」
 そう言われても、すぐには想像できない。
 機関からも、SOS団からも、解放される日。
 僕は自分に言い聞かせてみた。僕からその二つの因子を抜けば、そこには古泉一樹というただの一高校生があるだけだ。
「……うーん」
「何を悩むかな?」
「いえ、自分のことなのになかなか想像がつかないものですね。僕はやはり根っから機関の人間なのでしょう」
「ばーか。会長にでもべったり甘えてくればいいんだよ。あいつは別にSOS団でもなく、機関員でもないお前が好きなんだろうし」
「……多丸さん、最近いやに会長の肩もちますよね……」
「あいつ面白いしね。ゲイじゃなかったら友達になりたかったくらいだ」
「……」
 非常に言い返したくなったがうまく思いつかない。
 しかしその言葉でようやく、会長とのんびり過ごすという選択肢があることに気づいた。
 といっても、その時の僕は、普段呼び出しもない暇な休日に会長と一緒にお喋りをしたり、買い物に出かけたりするのを想像してみたに過ぎなかったのだけど。
 でも二日も会えず、彼との距離を少々切なく感じていた僕にとって、その想像はけして嫌なものじゃない。
「そうですね……会長にも伝えておきましょう。先日のお礼もちゃんとできていませんし」
「言ってなかったのかよ」
「え、ええ……」
 そういえばどうして言わずにいたのだったか。思い出せない。
 僕は椅子から立ち上がり、多丸さんに礼をした。
「電話してきます、ありがとうございました」
「おー、いっといで」
 同じく立ち上がり、多丸さんは元きた廊下を戻っていった。僕は反対側に進む。声が反響しやすい廊下で機関の関係者ではない人に電話をかけるのは躊躇われるので、結局、建物の外まで出てしまった。
 真冬の夜空はしんと冷たく、呼吸が白く曇って空に流れていく。
 空には真っ白で大きな満月。星は見えなかった。
 上着を被ってくればよかったと後悔しながら、携帯を耳にあてた。コール7回目でやっと応答があった。
『……むう、なんだ?』
 不機嫌きわまりない声だった。どうやらもう眠っていたらしい。
「すみません、起こしてしまいましたね」
『さっきもう寝るとメールで送った記憶があるが』
 そうでした。
「……すみません」
『なんだ? 帰れることにでもなったのか?』
「いいえ、今夜はもう戻れないと思います。これから次の会議なんです」
『へぇ……、知っているか? 古泉。22時以降は18歳未満は働いちゃいけないんだぞ?』
「存じてます。だからバイト代が貰えないんです、困りますよね」
『……それはぼったくられてないか、お前?』
「冗談ですよ」
 僕は笑った。会長も電話の向こうで苦笑いするのがわかる。
 彼と話すと肩の力が抜けて、少しだけ心地よい。もっと味わいたかったが時間はそんなに残されていなかった。
「会長、明日のことなんですが、予定などありますか?」
『予定? 俺の?』
「はい、僕は前にもお話した通り、SOS団の皆さんと多分夜まで過ごすと思うのですが、……その後、もしよろしければ、どこかで食事でもしませんか?」
『……ほう』
 興味を持ってもらえたらしい。面倒そうだった彼の口調が少し変わった。
『明日は帰ってこられそうなのか?』
「実はお休みを頂いたんです。明日、SOS団の活動が終わったら、機関に戻る必要はないと言ってもらえました」
『クリスマス休暇?』
「そのようなものです」
 答えて僕は微笑した。口に出しながら実感が沸いてくる。
 明日は休みなんだ。もう1年以上も前から、否、涼宮ハルヒさんのいるこの世界で選ばれてしまったその時から、僕にきっと本当の意味でのお休みなんてものは無かったと思うから。
 会長と明日の約束ができる、それが、休み、ということなのだと僕は告げながら実感していた。
『そうか。まあでも遅くなるんだろうな? それに今からじゃどこも予約はとれないだろうし』
「よ、予約ですか? そうですね、時間はちょっと。……すみません」
『いや。俺も予定が一応あるからな。別に構わん。飯も食うだろうし』
「そうなんですか?」
『俺にだって用事くらいあるぞ? 生徒会の面々と食事に行こうとも言ってるし、その後は、1年の女子たちが合コンを開くらしくて、それに誘われてる』
「えっ!」
 それって。……以前に頂いたビラを思い出す。1年有志じゃなかったのか。
『特別ゲストにしてくれるというから、行ってみるだけだ。……なんだ不満か?』
「……少し驚きましたが、いえ、……とんでもないです」
 その後に約束を入れてもいいのでしょうか、と問おうとしたが、飲み込む。言ったら言ったで意地悪を言われそうだ。
「それではお互いの予定が終わったら、メールで連絡をするというのでどうでしょう? 僕も明日何時にSOS団のパーティーが終わるのかわからないんです」
『抜けて……は無理か』
「すみません」
『わかった、そうしよう。……じゃあ俺はもう寝るぞ』
「はい」
『おやすみ』
 会長が優しく囁く。名残惜しさを感じながら、僕も答えた。
「おやすみなさい」
 電話が途切れる。
 刹那の余韻が過ぎて、僕は現実に戻った。携帯に表示された時計を見て過ぎた時間の長さに驚く。
 慌てて建物に駆け戻る僕を、廊下の隅で多丸さんがニヤニヤしながら待っていてくれた。

→→つづき(契約愛人19)


  • このお話で会古にハマリました。スレで叩かれて続き上げづらいかもしれませんが、楽しみにしてますので頑張ってください。 -- 2007-12-25 (火) 08:36:18
  • この2人が可愛くて仕方ないです!ラスト楽しみにしてます! -- 2007-12-25 (火) 12:36:35


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Last-modified: 2008-03-19 (水) 17:36:13