≪古泉×キョン 古泉一樹の告白≫


その日の午後、体育の授業を終えた俺が自分の教室に帰るために歩いていると、
階段の踊り場のあたりに古泉一樹が立っていた。


「やあ」

いつものような白々しい笑いを浮かべた古泉は、軽く手を振って明らかに俺を誘っている。
どうせまたハルヒがらみのことなんだろうと見当をつけた俺は、
ため息を付きながら古泉の前に立った。
「こんな場所で何の用だ。用があるなら放課後に部室で言ってくれ」
いやな予感が先走り、つい口調がぶっきらぼうになってしまう。
しかし突き放したような俺の言い方にも、古泉は眉一つ動かさない。
「ちょっと部室では言いづらいことでしてね」
「なんだ? ハルヒには聞かれたくないことなのか?」
「ええ」
「また、『機関』がらみの話なのか?」
「まあ、それはここでは伏せておきましょう。
今日の放課後、夕方五時に僕の教室、つまり一年九組に来ていただけますか?」

「放課後?」

放課後と聞いて俺は首をひねる。
言うまでもなく今日も元気にハルヒは登校してきているし、もちろん放課後の
SOS団の部活にも参加するだろう。五時といえば部活を終えての下校にはやや早く、
古泉の言う事を聞けば部活を途中で抜け出すことになる。

「それはハルヒを放り出して来いってことか?」
「そうですね」
「しかし、もしそれでハルヒが機嫌を悪くしたら、また閉鎖空間が出現したりするんじゃないのか? 
お前がまた<<神人>>と戦う羽目になるぞ」

「それに関しては問題ありませんよ」

古泉は笑顔を崩すことなくあっさりと断言した。
あまりにも意外な返答に俺は拍子抜けしてしまう。
「なぜそれが分かる?」
「僕はここ数日ひそかに涼宮さんの精神状態に関して観察を続けていましたが、
涼宮さんの精神は昨日から非常に安定しています。そう、稀に見る良い状態だといっていいでしょう」
そう言われて俺は今日のハルヒの行動を思い返す。
確かに今日のハルヒは珍しく上機嫌なのか休み時間に切れ目なく俺に話しかけていた。
どこから湧いて来るのかと思うくらい脈絡のない思いつき話をまくし立てられるのには
辟易としたが、背中の後ろから不機嫌オーラをばら撒かれるよりはよっぽどマシだったのかもしれない。

「そういうことですので、おそらく涼宮さんは放課後のSOS団の部活でも自分が興味を持った何かに
夢中になっているものと思います。例えあなたが席を外してもおそらく全く気にはしないでしょう。
珍しいことです」
ハルヒに気にされないというのは、ほっとしていいことなのか悲しむべきなのかよくわからない。
「……分かった。五時だな」
「ええ、よろしくお願いします」
軽く頭を下げると、古泉は最後まで笑顔を崩さずに自分のクラスに向かって歩き始めた。
俺は古泉の背中が教室の中に消えたのを見届けると、足早に男子の更衣所に指定された
教室を目指した。

放課後。

掃除当番だった俺はさっさと受け持ちの区域の掃除を済ませると部室へと急いだ。
いつものように軽く部室のドアをノックするが、返事はない。
まあ、それは無言の返事だろうと解釈して部室に入った。

部室の中では、長門が俺のほうを見ようともせず黙々と文庫本のページを繰っている。
いるのはこいつ一人で、ハルヒも朝比奈さんもいないようだ。
「何だ、お前だけか。ほかの連中はどうした?」
「涼宮ハルヒは朝比奈みくるを連れて出て行った。もう帰ってこないと思う」
相変わらず抑揚のない返事が返ってきた。そうか、俺が掃除当番で遅くなったものだから、
朝比奈さんが一人で被害を被る羽目になったわけか。
そういえば、ハルヒは今日は萌えを探求するのどうのと熱っぽくまくし立てていた気がする。
「そうか、ハルヒは行っちまったか…。長門はどうするんだ?」
心の中で朝比奈さんに手を合わせ、軽くため息を付きながら俺は長門に問いかける。
「今日の涼宮ハルヒの精神状態は非常に安定している。追跡しての観察の必要性は認められない」
長門も古泉と同じことを言ってやがる。
「つまり、付いてかなくてもいいって事か」
コクリと長門はうなずいた。
「まあいい…それじゃ俺は帰るぞ」
そう言いながら俺は自分の鞄を手に取った。実のところ、古泉と約束した時間がそろそろ迫ってきている。
こんなかたちでハルヒのお守り役から逃れられるとは思わなかったが、
たまにはそういうのもいいだろう。古泉の言ったとおり、稀に見ることに違いない。

「じゃあな」

長門に一言声を掛けて部室の扉を開ける。返事はない。
扉を閉める前に長門のほうを見ると、長門はこちらを見ることもなく自分の読書を続けていた。

時間を見計らって、五時ちょうどに俺は一年九組の教室の前に立った。

古泉、一体お前はどういうつもりなんだ?
奴がわざわざ時間と場所を指定して会いたいといってくるからにはそれなりの理由があるはずだ。
すぐに思いついたのは、閉鎖空間の発生だ。
学校でそれが起こったとしても俺はもう全く驚かない。それを古泉が俺に見せるというのは
一番ありえそうな理由だろう。
しかし、待てよ?
奴ははっきりそれに関しては問題ないと言い切ったじゃないか。
そもそも今はハルヒの精神が安定していて閉鎖空間の発生する状況がないのだから、
無い物を見せるわけには行かない。
それとも、「機関」の新しい企みに関して俺に何か聞かせようとでも言うのか。
軽く咳払いをすると、俺は思い切って教室の戸を開ける。

「やあ、来てくださいましたか」

相変わらず胡散臭い笑顔を浮かべて、古泉はそこに立っていた。
「全く、なんでこんなところに…」
そういいながら教室に足を踏み入れて扉を閉めたとき、俺は異様な雰囲気を感じた。
教室のカーテンがすべて締め切られている。白いカーテンだから光は入ってくるものの、
明らかにここは、他とは切り離された空間になっていた。
「他人には見られたくない、そういうことか」
「ええ。僕は自前では閉鎖空間を作り出すことは出来ませんからね」
「今は普通の人間ってわけか」
手近な机の上に鞄を放り出してもう一度古泉の顔を見たとき、俺は奇妙なことに気が付いた。
古泉の顔から、胡散臭い笑顔が消えていた。
明らかに見慣れない、眉を顰めた少し憂いを帯びたような表情になっていたのだ。
その顔を見たとき、なぜか心臓がドキリとした。
「どうかしたのか」俺は思わず聞く。
「いえ……」
僅かに目線を逸らした古泉は言いよどむ。その歯切れの悪さも気になる。
やがて、視線をこちらに向けた古泉は、俺の顔を真っ直ぐに見据えて言った。

「今日は貴方にぜひとも聞いて戴きたいことがありましてね」

そら来た。
どうせまた「機関」とやらが妙な活動を始めて、それに関して俺に何か吹き込もうとしてるんだろう。
もういい加減にしてくれ、俺を巻き込むな。
そう心の中で呟いて古泉の顔を見返した。
しかし、どうしたことか、古泉の口からその続きが出てこない。
二人の間に微妙な空気が流れ、俺はなんだか居心地が悪いような感覚に身じろいだ。
俺はとにかくこの空気が早く変わってくれることを願いながら、古泉から視線を逸らす。
その瞬間、


「好きです」


古泉のその声に、一瞬耳を疑った。
言っていることの意味が分からない。好きって、一体何のことなんだ。
その真意を探ろうとゆっくりと視線を戻した時、古泉の笑顔とぶつかった。


「好きなんですよ、あなたのことが」


もう一度古泉は呟く。
その言葉を理解した瞬間、自分が立っている床の底が抜けたような気がした。
全身の筋肉が引き締まり、その代わりに周りの空間から現実感が消えていく。
皮膚から感覚が消え、逆に心臓の根元に熱いナイフを刺されたような気分だった。

「……」

何か言おうかと口を開きかけたが、何を言おうにも言葉が思いつかないので何も言えず、
俺は陸に上がった魚のように口をぱくぱくと開閉させるのが精一杯だ。
俺はもう一度目の前に立つ古泉の顔をまじまじと見る。
いつの間にか奴は再び笑顔を顔面に貼り付けてこちらを見ている。
しかし、その目には今まで見た事もない真剣さが宿っていた。
古泉、好きってどういうことなんだ。
好きったってlikeとloveでは天と地ほどにも意味が違うぞ。
「……今、なんて言ったんだ」
俺は笑顔を取り戻した古泉に精一杯の気力を振り絞って聞き返した。

「もう一度言いましょうか。あなたのことが好きだと言ったんですよ」

後悔した。

「……こんなところで友情ごっこをする気は俺にはないぞ」
かろうじてそう言い返す。そうだ、奴が言っているのはlikeという意味に違いない。
きっとそうだ。涼宮ハルヒという神の出来損ないのような女に振り回される同志。
俺たちの間に奇妙な連帯感があるのは否定しない。
そのことを称して好きといっているのであれば納得できないでもない。
でも、そんなものを押し付けられるのはごめんだ。
「友情、ですか」
その答えを聞いて、古泉はわずかに眉を顰めた。
「通常の男性同士の間で形成される連帯感、世間ではそれを友情と称して一括りするわけですが、
今、この僕の胸の中にあるあなたに対する感情は、むしろ男女間で形成される
好意、信頼、思慕といった感情に極めて似ています。世間ではそれを愛情と呼びますね」
古泉は淡々と答える。対照的に俺は戸惑い、混乱した頭が煮えたぎりそうにかっかかっかとしている。

「お前、自分が何言ってるのか分かってるのか!?」
その煮えたぎった頭が、ついに爆発した。

「俺たちは男同士なんだぞ!? そんな感情が成り立つはずないだろうが!!」
「しかし、現にその感情はここに存在しているのですよ」
古泉は胸に手を当てて答える。俺の感情の爆発にも動揺した様子はない。
「僕はね、もう我慢し切れないんです」
そう宣言すると古泉は一気に俺との距離をつめた。そのまま俺の前に立つと、
古泉はいきなり顔を近づける。
「!!」
唇と唇が触れて温かい。俺は古泉にキスされていた。
なんで古泉は俺なんかにキスをするんだ。
逃げようと思えば逃げられたはずだ。だが俺はそうしなかった。
動くことができなかったのか動かなかったのかどちらとも言えない。
なぜ動かなかったのか自分が分からなかった。
「……っ、はぁっ」
僅かに古泉が呻く。すぐに唇に感触が戻り、舌が口内に侵入してきた。
俺はそれを避けることも出来ない。そして俺を追い掛け回してくる湿った舌が、
とうとう俺の舌に絡みついた。

(や、やめ……)

古泉は激しく俺の舌を貪る。声を出したくてもそれもままならない。
抵抗することもなく俺はされるがままになっていた。
頭の中では逃げろ逃げろと俺が叫んでいるのに、身体は動かなかった。
それどころか……。
「ん、くふっ」
一度俺の口から舌を離した古泉は、両手で俺の頬を押さえ込むと、目の下をぺろりと舐めた。
古泉はそのまま鼻筋やまぶたに舌を這わせ、更に俺の顔そのものを貪ろうとしてくる。
顔を舐め回した古泉は、再び俺の口に吸い付く。吸い込むようにして俺の舌を引き出すと、
軽く甘咬みして自分の舌を絡めた。
舌が熱い。絡みついた古泉の舌が、口内を犯していく。
気持ちが良かった。男と、しかも古泉とキスしているのに気持ちが良かった。
こんなことありえない、どうかしている、そうとしか思えなかった。

「っはぁ、はぁ……」
どれくらい時間が経ったのだろう、下唇に吸い付いていた古泉がようやく離れた。
喘ぐ古泉の顔が離れた瞬間、俺は苦しさと、そして快楽で力が抜けて
その場にへたり込んでしまった。

「な、なんだよ、お前!! なんでこんな……っ」

口元を手の甲でぬぐいながら、それだけようやく言うことができた。
睨みつけてやろうと顔を起こすと、俺はそこに信じられないものを見た。

古泉は、涙を流していた。

「……すみません」

悲しげな顔をした古泉はそう言って謝り、涙をぬぐって懸命にいつもの作り笑いを浮かべようとしている。
「あなたの意思も確かめず、勝手なことをしてしまいました」
その口調も、普段通りの言葉遣いを演じようとしているが、確かにその声は震えていた。
俺の脳は、混乱の極みに達していた。
古泉の苦しそうな表情が痛くて顔がまともに上げられない。
何が起こったのか、何が起ころうとしていたのか、思考がうまく回らずにその答えを出そうとしない。
脳が理解しようとはしなかった。
ただただ、古泉の出来損ないの笑顔が俺の胸を突き刺した。
全身から力が抜けて、そして何よりあまりにも思いがけない古泉の感情の発露に唖然として
俺は立ち上がることができない。
「大丈夫ですか」
その時、古泉がなかなか起き上がろうとしない俺を気遣ってかすっと手を伸ばしてきた。
「余計なことするな」
俺は思わずその手を振り払ってしまった。

「…………すみません」

再びそう謝る古泉の顔からは、もう涙は消えていた。

「立つくらいなら自分でできる」
手を跳ね除けたことを申し訳なく思いながら、俺は懸命に手を突っ張って体を起こす。
一度這いつくばるようにして手を前に付くと、片膝を立てて無理やり立ち上がった。
しかし立ち上がったとはいえ、まだ足元はおぼつかない。
ふらつきながら俺は手近な机に軽く腰を下ろした。

「お前…」

お前は何を考えてたんだ…! 
そう問い詰めようとした言葉が途中で止まる。

顔は笑ったままなのに、古泉は手をぐっと握り締めて震わせていたからだった。

「もう、しませんから」

その時、ポツリと古泉が呟いた。
「え?」
古泉の口から出た言葉の意味と、そのあまりの弱弱しさに俺は驚く。
「あなたに迷惑をかけるようなことは、しませんから」
「迷惑、だと……!」
「だから、さっきの出来事は忘れてください…」

それ以上の言葉は、出ないようだった。
相変わらず古泉は笑顔を顔面にはりつけていたが、手は震えたままで声さえ僅かにかすれている。
そんな古泉を見ていると、奴がさっき見せたあれほどの激情を心の中に強引に押し込めようとしている事が、
急に腹立たしくなった。

「…そうやってお前は自分の心を閉じ込めたままにするつもりなのか」

なんだか古泉と俺自身にカツを入れたくて、俺は思わず声を荒げた。
「は?」
俺の言った言葉の意味を図りかねるように古泉は疑問の声を上げた。

「お前はいつまでもそのにやけた笑顔で自分をごまかし続ける気なのか!?」
「……」
「お前はずっと自分を隠して『涼宮ハルヒの望む古泉一樹』を演じ続ける気なのか!!」
「それは…」
古泉の顔からは再び笑顔が消え、眉を顰めて俯いている。ぎゅっと引き締まった口元に
古泉の中で渦巻いている葛藤を俺ははっきりと見た。
「もういい、忘れる…ってのは無理だろうから、覚えておくぞ」
「え…」
一転して俺は優しい口調になる。俺の言葉でもうそれ以上古泉を苦しめたくはなかった。
想像していない答えだったのか、古泉は今度はポカンとした表情で俺を見ていた。

「俺を、好きなんだろうが」

「……」

「お前の好きと俺の好きは違うかも知れん。だが、一つだけ確かなのは、
俺はお前のことがまだ嫌いじゃないって事だ」
「僕があなたに対して性的な感情を抱いていてもですか?」
「それを承知で言っている。それに…」
さすがにその先は少し言いよどむ。
「それに…なんですか?」

「さっきのキス……少し……気持ちよかった……」

「そうですか」
古泉は、多分世間の女が見たら一発で参ってしまいそうな優しい、しかし泣きそうな顔で微笑んだ。
なぜだろう。そのいつもの白々しい笑顔がなんだかとても愛しく感じる。
「…帰るか」
俺は自分の鞄をつかんだ。
「はい」
穏やかな声で古泉から返事が返ってきた。

教室を片付けて後にすると、手近な便所で顔を洗う。古泉は、黙って俺の背中の後ろに立っていた。
二人で校舎を出てしばらく歩いたところで、俺は古泉のほうに振り返った。
「なあ、なんで俺だったんだ?」
「といいますと?」
「お前ならその、男はともかく女の子もより取り見取りだろうに。なんで俺なんかを選んだんだ?」
全く正直な感想だ。例えお前に同性愛の気があるとしても、俺よりハンサムやらマッチョマンやらは
何人もいるはずだ。お前のその容姿なら、いくらでもそいつらを落せるだろうに。

「羨ましかったからでしょうね」

「羨ましい?」
ハルヒに尻に引かれるようにして引っ張りまわされ、お前たちの揉め事で命を落しそうになる
俺のどこが羨ましいってんだ。
「いうまでもなく僕たち『機関』は必死になって涼宮ハルヒを研究し、彼女を制御できないことに
頭を痛めています。なのに、そんな彼女の懐にいとも容易に入って信頼関係を勝ち取ってしまった、
そんなあなたが羨ましかったんです」
こんな立場なら、いくらでも換わってやりたいがね。
「だから、僕もあなたと心からお近づきになりたかったんですよ」
「お前とハルヒは全然違うぞ」
「ええ、分かっています」
「……お前の望みとは違うかもしれないが、たぶん、お前とはもう少し親しくなれるような気がする」
「ありがとうございます」
いつもの胡散臭い笑顔ではない、真実の微笑を古泉は浮かべる。



その時古泉が見せた笑顔は、今までの俺の人生で見た笑顔で一番美しい、そう感じた。


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Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:18:05