古→キョン? 二日酔い

 

「ほら、つきましたよ。」
おぼつかない足取りの彼を支えながら階段を上がり、彼にあてがわれた部屋の前まで来て、そう呼びかける。
対する返事は、俯いたままだからか、アルコールに慣れない喉が無理をしているせいか、くぐもった唸り声を一つ上げただけだ。
声を出すのも少し苦しそうで、それはあれだけのワインを摂取すれば、まぁ当然と言えた。
「失礼しますよ。」
肩越しに部屋の主へ一言断ってから、ドアノブに手をかけて扉を開ける。
自力で立てなくなった人間というのは割かし重いもので、すっかり酔いつぶれた彼を、しっかりしてください、などと呼びかけながらベッドまで連れるだけで意外と骨が折れた。
少し大変だが、支えていた彼をベッドに座らせ、それから丁寧に横たえる。
途中、仰向けになった彼の顔を見ると、いつもよりいっそう眉根を寄せて、不機嫌そうな表情をしていた。
彼は高校生で、当然ワインなど初めて飲んだと言っていたから、アルコールから後効きのジャブでも喰らった気分になっているんだろう。悪酔いの辛さは知っている。
このまま寝てしまっても大丈夫なように、上に薄い布団をかけてやり、
「それでは。できるだけ良い夢を。」
そう言って立ち去ろうとしたとき、左腕に自分以外の力で負荷が掛かったことに気づいた。
振り返ってみると、中途半端に起き上がった彼が、僕の左手首あたりを掴んでいる。
「どうか、なさいました?」
掴まれたところから立ち上ってくる熱に、相手の体温の高さを感じながら、そう問いかける。
彼は、相変わらずむすりとした顔つきのままで、しばらく逡巡すると、俯き加減に
「……水。」
とだけ答えた。
「ああ、飲み水ですね。了解しました。」
そう言って笑みを返すと、彼は何か気に入らないものでも見たかのように、フイと顔を背ける。
彼のことだから恐らく、自分がこんな酔態を晒していることに、若干の恥を感じているのだろう。
いつもは涼宮ハルヒのストッパー役を自負している彼が、一緒になって酒に呑まれたあげくに前後不覚に陥り、こうして日ごろ邪険にしている男に面倒を見られているのだ。気分を害するのも無理はない。
「ちょっと待っていてください。」
ようやく手を離した彼に背を向け部屋を出ると、1階に降り、食堂で水をもらう。
チラリと伺った限りでは、宴会のテーブルでは未だにどんちゃん騒ぎが行われているようだった。
少しばかり溜息をつきつつ、コップを手に彼の部屋へ戻る。
「持って来ましたよ。一杯では足りませんかね。」
ぐってりと上体を起こしたままの彼に、飲めますか、とコップを渡す。
彼はそれを黙って受け取り、考え事でもしている風に、ちびちびと飲みはじめた。
どうしたものかとしばらく迷い、とりあえず彼が水を飲み終わり、カップを返してくるまで動かないことにする。
わけもなく彼の様子を眺めていると、視線に気づいたのか、動きを止めて睨みを利かせてきた。
ああ、お気になさらず。そう意味を込めて微笑み返すと、さらに渋面になった彼は、カップを傾けて残りの水を一気に飲み干すと、その勢いのままこちらに振り返り、
「気に入らん。」
僕にガンを飛ばして言い切った。
「え…と、何が、でしょうか?」
なんというか、常時耳にする彼の声とは、どこか感じが違う気がするのだが……。
いやいや実のところ、こちらを睨んでいる双眸にはみなぎらんばかりの迫力を湛えているし、喉の奥から吐き出されたような声音はドスが利いていて、普段の彼からは想像も出来ない凄味があった。
どうやら彼にとって、アルコールはこのような方向に作用したらしい。
「お前の顔が、気に入らん。」
まっすぐに僕の目を見つめながら、彼はぶっきらぼうに繰り返す。
「それは…すみませんね。顔ばかりは、どうにも。」
いつもに増して直球だな。そう思いながら、さすがに一瞬リアクションに困り、戸惑いながら微笑する。
その応対が芳しくなかったのだろうか。
彼は手にしたカップをこちらに突きつけると、
「飲み直す。お前も付き合え。」
有無を言わせぬ態度で、そう僕に命令した。

 

そういうわけで、なぜだか僕はワインのボトルを片手に、もう一度彼の部屋の前に立っている。
飲みすぎはいけない、とか、後で辛いのはご自分ですよ、とか、色々と進言に奮闘したのだが、今の彼の前では、それら全ての言葉は虚しく一蹴されて終わった。
どうにも彼の真意が掴めず、酔いに負けた人間の行動なんてそんなものかな、と納得もしつつ、とりあえず流されるしかない現状、顔に苦笑を浮かべながら、ドアを軽くノックして部屋へ入った。
彼はすでに布団をはねのけて、ベッドの縁に腰掛けている。
お待たせしました。そう言いながらテーブルにボトルとグラスを置き、傍らの椅子に腰を下ろす。
慣れた手つきで栓を抜き、葡萄酒をグラスに満たしていると、その手元に視線が注がれている気がした。
視線の元を辿ってみると、やはり彼が、つまらなそうな顔をしながら僕の所作を見ている。
「…慣れてんのな。普段からワインなんか飲むのかよ。」
「しょっちゅうというわけではありませんよ。ただ、付き合い程度にたしなむことはあります。」
今日みたいにね、と付け足して笑みを漏らす。
「ふぅん…」
彼はそれ以上は喋らず、いましがた注ぎ終えたばかりのグラスを乱暴に取り上げると、遠慮も何もないようにゴクゴクと飲みはじめた。
「そんな風に飲むものじゃありませんよ。」
苦笑混じりに忠告すると、彼は睨みを利かせ、いいからお前も飲め、と語気を荒げた。
それでは、とグラスを傾けて一口ふくむと、味わうように飲み下す。
なんて優雅な時に浸っていたら、彼が呆れ半分怒り半分の語調で、もっとガバガバいけこの野郎、と、正月に親戚廻りに行ったときに宴会の席で子ども達に絡む酒飲み伯父のようなことを言い出した。
そんなに僕に飲ませたがって、一体彼は何を考えているのだろう。
当然の疑問が心に浮かんだが、この場でそれを問うわけにもいかず、とにかく言われるまま、彼の飲み方に心もち合わせて、いつもよりハイペースにグラスを空けてゆく。
しばらくそんな時間が続いた。そろそろボトルの中身も終わりに近い。
途中、相変わらずの無茶なペースで飲み続ける彼が心配になったが、だんだんと、人を気に掛けるばかりでもいられなくなってきた。
「そろそろ、おしまいですね。」
何杯目かのグラスを空にして静かにテーブルに置くと、そう口火を切る。
自分にも、酔いが回ってきていた。これ以上はいけないな、と理性的に判断する。自分のことだから分かる。
そろそろ切り上げないと、なんとなく浮かされてきた気分に抑制が効かなくなるだろう。
そうなれば、近いうちに何か情けない醜態を披露しかねない。
注意に注意を重ね、さきほどの宴会の席では、本当にたしなみ程度の量で済ませておいたのだが、この予想外の誘いのおかげで、程よく酒が入ってしまったのだ。
まだしっかりと平常通りの自分。けれどもう少しいったら、そんな自分がまるごと瓦解してしまいそうな状態の自分。
この辺りで打ち止めしておくのが賢明だと、理性的な自分は見当をつけ、グラスから手を離した。
「なんだよ。まだ残ってるだろ。」
そうとう呂律が怪しくなってきている彼が、そう抗議する。
そういうあなたこそ、もう本当に止めておいたほうが良いですよ。
やんわりと切り返し、さりげなくこの催しを終わらせようとしたのだが、彼は何の不満があるのか、軽くなったボトルを傾けて、僕のグラスに残りを注ごうとしてくる。
「別に全部飲まなくてもいいじゃないですか。」
内心あせって、しかし声には表れないようにしながらその手を押しとどめると、彼は観念したように抵抗をやめ、ボトルを元の位置に戻した。それからテーブルにグラスを置く。
まだ2くち分くらい中身の残ったそれから手を離し、溜め込んでいたかのような長い溜息をついた。
なんだか分からないけど、これでようやく終わったんだな。と、雰囲気から読み取って、
「本当に、今日はどうしたんですか。」
そう言いながら腰を浮かす。なるべくいつも通りに見えるよう、余裕の微笑を浮かべて。
ぴくり、と彼の眉が吊り上がったのを、後ろを向いた僕は気づくことが出来なかった。
このまま飲みさしのワインやらグラスやらを食堂に持ち込んで、万一まだ騒いでいる彼女に見られでもしたら、今度こそ酔いつぶれるまで飲まされるかも知れない。今日は悪いが、このままにして部屋に戻ろう――。
そんなことを考えつつドアに向かおうとした僕の左腕を、変わらず熱を持った彼の手が思いきり掴んで、
振り向いた僕の目の前に、彼の顔が近づいてきて

僕の唇に、彼の唇が押し当てられた。

直後、重ねられたところから彼の舌が進入して来て、硬直した口唇をこじ開けられる。
驚く、ことにさえ意識が追いつかなかった。
思わず見開いたままの両目が、近すぎる彼の顔をはっきりと映す。固く目を瞑って、少し汗ばんだ顔。
ざらりとした舌の感触とともに、生ぬるい液体が口内を満たすのを感じる。
息が苦しくなり、わけも分からぬまま、流し込まれたそれを飲み下す。彼の口から移された、葡萄酒を。
僕が飲み込んだのを確認してか、彼はゆっくりと唇を離した。近かった顔が、遠ざかってゆく。
「……っ!?」
頭の中で、次々と無意味な言葉が浮かんでは霧散してゆく。それに、喉がひくついて声も出ない。
うまく息継ぎが出来ないのは、酸欠のためか、急激に上がった体温のためか、それとも。
目の前を凝視したまま混乱の極みにある僕を見て、彼はこともなげに、飲んだな、と確認し
「よーやく見られたぜ。」
空になったグラスを片手に、そう言ってニヤリと笑った。

 

は?何が?見られた?What?
ぐるぐる回る頭の中身は全くまとまらないが、表面上だけはなんとか平静を取り繕い、
「…なんのことです?」
しかしやはり少し震える口調で、そう言葉を返した。心もち、責めるような視線とともに。
対して、こちらを眺める彼は、してやったりの表情を崩さない。そこで気づく。
こちらに向けられた彼の目が据わっている。頬はこれ以上ないほどに上気し、口元には、普段は決してしないような皮肉めいた笑み。明らかにおかしい。
完璧に出来上がっている。
悪酔いも何もかも通り越して、彼はアルコールの魔の手に、人格までも委ねてしまったらしい。
「いきなり、その、…穏やかではありませんね。」
先の出来事を思い返し、思わず目線を逸らしながら言う。
顔中が火照るのを感じる。彼の唇の、舌の感触が残っているようで、意識すると鼓動が早くなる。
彼は平然とし、自分だけが慌てているという事実が、情けなくもあった。
平時から、どんなに不測の事態が起こったとしても、それなりに冷静でいられる自信があったのだが…。
「お前がさ、」
そんな僕の様子を見つめたままだった彼は、フと口元から笑みを消し、
「酒飲んでも、平気な顔してるから。」
ぽつりと、そんなことを呟いた。
思わずぽかんと口を開けて、まじまじと顔を見てしまう。口を尖らせ、拗ねたように呟いた彼を視認して、閃いた。
これまでに彼が見せた態度や表情が、パズルのピースのように合わさって、心の疑念を解消してゆく。
つまり、こういうことか。
彼は僕が、酒に飲まれて余裕を無くした表情を見てみたかった、そういうことなのだろうか。
だから僕を飲みに誘って、僕に付き合わせるために自分も飲み続けて。
「俺は潰れてんのに、お前ばっか余裕で、なんか癪だろ。」
相変わらず目は据わったまま、つまらなそうに弁解する彼の言葉に、全身の力が抜ける。
酔いとは恐ろしい。そんなこと、普段の彼なら「忌々しい」の一言で流せてしまえそうなことなのに。
「そんなことで…?」
「んだよ、悪かったな。下らない理由で。」
決まりが悪そうに視線を落とし、持ったままだったグラスをテーブルに置いた彼は、ぶり返した気だるさに気が付いたように、どっかりとベッドに腰を下ろした。
そんな彼を見下ろしたまま、動くに動けなくて呆然としていると、フイに顔をあげた彼がこちらを指差し、
「お前、顔まっか。」
そう言って屈託なく笑った。
思わず頬に手をあて、その熱を確認して溜息をつく。
そりゃあね、流石にあれだけの量を飲んだら、僕だって赤くはなりますよ。
あなたの方こそ、のぼせたみたいに真っ赤っかじゃないですか。それなのに無理して、僕に飲ませようとして。
最後の、あれは何ですか。僕が断ったからって、無理やりですか。口移しで。
飲んだな、なんてそんなこと、関係ないじゃないですか。ええ、そうですよ。
この顔が赤いのは、動悸がこんなに激しいのは、頭が熱で浮かされたみたいに混乱しているのは、 アルコールのせいじゃない。
だって僕は。
「古泉?」
笑みをこぼしながら僕を呼ぶ彼の頬に、そっと歩み寄って手を触れる。
あなたには、自覚も何も無いかも知れないですけれど。

僕はとっくに、あなたに酔ってしまっているんですから。

あっけらかんと、僕を見上げる彼の瞳がいとおしい。
今の自分は、涼宮ハルヒが思い描いた紳士の顔ではない。けれど、
「こんな顔でよろしければ、いつでも見せて差し上げますよ。」
あなたが僕に望むのならば。


――まだしっかりと平常通りだった自分は、ひどくあっさりと瓦解してしまった。
たった一口の、彼に注がれたワインで。

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「なんで俺の部屋に、ワインとグラスのセットが置いてあるんだ。しかも空いてる。」
翌日、そう疑問を投げかけてきた彼に対して、怪しまれぬよう嘘を織り込み説明するのには、多少の努力が要った。
実際には二日酔いで鈍痛を引き起こしている頭にムチくれて、もっともらしい事実をでっちあげねばならなかったし、それを説明している間、なるべく昨日のことを思い出さないようにしなければならなかった。
(気を抜いたら、あなたの嫌いなこの顔が、崩れてしまいますからね。)
彼の怪訝な瞳に微笑みを返しながら、なんでもありません、と断って、作り話の続きをはじめる。
彼の顔が赤くなって、青くなって、そんな様子を見ているだけで、いまは良いと思う。

あなたのための、とっておきの表情は、いつかこの気持ちが伝えられたときに―――。

 


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Last-modified: 2008-01-30 (水) 23:17:02