シスプリ古泉 古泉編(キョン+古泉)

 何もかもが嫌だった。世界中が自分の敵のようにさえ感じていた。
 というよりも当時の僕にとって世界は涼宮ハルヒそのもので、僕を理不尽に怯えさせ、僕の意志を無視して使役する恐ろしいものと映っていた。
 ならばいっそ、自分を苦しめるこんな世界なんて滅んでしまえ! という自棄と、だけどやっぱりそれは怖い、家族とか小学校の頃の友達とか、僕の身近な人々はどうなるんだろう、という不安と。
 世界の代わりに自分が消えてしまえばこんな苦しみとはおさらばだと自殺未遂までやらかすヤケクソさと、だけど確実に即死できる方法で実行に移すことまではできない臆病さと。
 安定と破滅、生と死と。どちらの軸も選び取ることができずに僕は宙ぶらりんで立ちつくし、一人でスネてイジケてふてくされていた。
 その後『機関』に所属するようになり、いくつかの閉鎖空間の中で神人を屠った、その後でさえも。
 ひたすら逃げ続けていた所に、手をさしのべてくれた同じ力を持つという大人たちへの安堵と信頼はあったけれど、だけど彼らが世界を救うために日夜戦うことを当たり前の責務のように感じているらしいこと、そのために僕を使役しようとすることへの不審と怒りを、どうしても捨てられずにいた。
 要するに、いつも不機嫌でひねくれた陰気な子供。それが当時の僕だった。



「古泉一樹くんですね。…信じてもらえないかもしれないけど、私はこの時代の人間ではありません。もっと未来から来ました」
 ある日、『機関』に指示された待ち合わせ場所にやってきたお色気むんむんのグラマー美人が僕にそう告げた時、僕はその言葉を実にあっさりと信じた。
 まあ、普通は信じないと思う。彼女の言うことはあまりにも常識から外れすぎていたし。
 だが彼女は『機関』の指示で引き合わされた人だった。
 だからどうせそういう超能力的涼宮ハルヒ的デタラメな世界の住人に決まってて、自分は体よくこき使われるんだ、という半ばなげやりな諦めがあったのだ。
「……そうですけど。それで、お姉さんの名前は?」
 僕は相変わらずふてくされてはいたけれど、それでも猫をかぶって口調だけは丁寧に対応した。別にそういう態度を取れと指示されていたわけではない。もちろん不信感は嫌というほど持っていた。
 単に、現れたのが僕の姿を嬉しそうに眺めるアイドルみたいに可愛いグラマー美人だったため、男として攻撃的に出にくかったのである。
 後に――彼女にとっては過去に――ただの知り合いとは言い難い、長い時間を共にすることになる彼女が僕のところに派遣されたのは、そんな理由もあったかもしれない。
「ごめんなさい、それは禁則事項なの」
「キンソクジコウ?」
「うーん……この時代のあなたが知っていてはいけないこと、と言えばいいのかな。だから言えないの。ごめんなさいね」
 今思っても胡散臭い話だ。
 だけど『機関』にもそういう部外者に口外を禁じられていること、というのはあったから、僕は素直に納得できた。理屈のわからない納得しがたい命令ってのはたくさんある。そういうものだろうと。
「あっそ。…じゃあいいけどさ。で、お姉さん、僕になにしろっての?」
「信じてくれるんですね?」
「青くてでっかい化け物が灰色の世界で暴れてるからお前倒してこい、なんてデタラメを信じられる程度には信じられますよ」
「…そうですか……ごめんなさい。実はこのままでは歴史が変わって、世界が滅んでしまうの。だからあなたに助けてほしいの……手伝ってもらえますか?」
 そらきた。あまりにも予想通りの台詞に、僕はうんざりした。
 ほんの一年前、あるいはそれよりもっと前なら、この申し出を信じられると思えた瞬間、僕はきっと二つ返事で受けていたことだろう。
 ある日突然未来人とか宇宙人とか超能力戦隊とか、あるいは異世界人なんかが迎えにやってきて、世界を救う勇者に指名される。世界中の子供たちが、一度は妄想したことのあるヒロイックサーガのお決まりのプロローグだ。
 だけど僕は、もうすでに世界を救う超能力戦隊に引きずり込まれていて……それはちっとも楽しいことではないと、嫌と言うほど知っていた。
 少し想像してみてもらいたい。
 たとえばある夜、ふと目が覚めたら世界中がモノクロの死の世界になっていて、いきなり自分の家が半分ごっそり粉砕されてしまい、ガレキの向こうで破壊活動を続ける巨人と目が合ってしまったら。その瞬間に自分がこいつと命がけでも戦わなきゃ世界が滅んでしまうことだとか、この空間と化け物がたった一人の同い年の女の子の超個人的なイライラが原因で発生しているとか、そんなことを理解できてしまったら。
 それでも世界を守るために日夜戦うヒーローに憧れられるものだろうか?
 ヒーローというのはあくまで自分がそうではないから憧れられるものであって、本当にそんな立場に立たされたら断固拒否したくなるものなのである。そして、拒否したくはなるものの実際拒否権なんぞないものでもある。今ならこういう時にぴったりの台詞を知っている。「やれやれ…」だ。
「……嫌だって言ってもどうせ連れて行くんでしょ?」
「ええ…ごめんなさい。既定事項なので…」
「…キテイジコウってなんですか?」
「あ、ごめんなさい、つまりわたしたちから見て、歴史的事実として確定していることとでも言えばいいのかな…。だから絶対にそれは起きなくてはいけないことで、起きないようなら起さなくてはいけないんです。この場合、わたしたちの介入なしでは絶対に起きないことですから、それでわたしが来ました」
 わかったようなわからないような、というのがその時の感想だ。考えているうちに鶏が先か卵が先かの無限ループに陥って、僕はすぐに考えるのを放棄し彼女の話の先を促した。
「それで……実はこの時間平面…わかりにくいですね、今この時点からおよそ3年後の未来で、かつてない大規模な閉鎖空間が発生するんです。それはあまりにも大規模すぎて、その時代のあなたたちだけでは対処しきれないの。だから…3年後のあなたたちを手伝ってほしいんです」
 やたらグラマーなお姉さんの台詞を聞きながら、今の閉鎖空間でもいっぱいいっぱいだというのに、そんなところに行って自分が役に立つんだろうかとか、役に立つとしても行きたくないとか、だけどどうせ強制的に連行されるんだろうなとか、僕は妙に冷めたことを考えていた。
「……わかりました。行きます」
 正直なところ、行きます、の後に行けばいいんでしょ、行けば! とか付け足したい気分だったのだが、かぶった猫が邪魔をした。美人の前では多少なり格好をつけたくなるものだ。特に中学男子などという生き物は。
「ありがとう! じゃあよろしくね、……面倒なことをお願いしてごめんなさい」
 だがそんな冷めた気分はあまり長くは続かなかった。
 ぎゅっと豊かな胸を押しつけられる格好で抱きしめられて頭をなでくりまわされたからだ。甘くていい匂いがした。
 おかげで、こういうボーナスがあるなら、ちょっとぐらいいいかな、とか一生このままでいたい、とかそういうことで頭がいっぱいになってしまった。
「…ではこれから行く未来のことを説明しますね。そこは厳密に言うと、高校1年生の…ちょうど3年後のあなたの家です。…実は12年分のあなたたち…あなただけではなくて能力者の皆さん全員ですけど、を呼んでいるんです。もちろんこれから行く場所にその全員はいませんけど。みんなで協力してがんばってください」
「……12年分!?」
 それを聞いた僕は彼女の胸の感触も忘れて愕然とし、絶望した。こんな地獄みたいな生活は、1年もあれば終わるものだと漠然と信じていたからだ。
 ほら、大抵のゲームやファンタジーなんかじゃ、主人公たちの冒険は短ければ1日とか、長くたって数ヶ月や最大でも1年程度で終わっているじゃないか? 登場人物が年を取らない程度の時間で悪の魔王を倒したりしてめでたしめでたし。
 なのにどうして俺の戦いだけがそんなに長々と続かなきゃならないんだ? 12年って!
 …と。
「ええ。ですからそこには23才の12年後のあなたもいます。それから高校1年生のあなたと、そのお友達、その3人。仲良くしてくださいね。年上のあなたたちは事情をよく知ってるから、お任せすれば大丈夫です」
 なんだソレは、というのが正直な感想だった。
 ソレというのは友達とやらのことだ。高1の僕と23才の僕はまだいい。何でただ『友達』なんて呼ばれるような部外者っぽいモノがそこにいるんだろうかとか、本当に俺に将来友達なんてできるのかよ、とか色々と。
「その友達って何なんです?」
「未来のあなたのお友達です。別に何か能力を持っているとか、わたしたちの仲間とか、宇宙人とか、『機関』に関わる人とか…そういう人ではないんですけど……、普通の人ですけど、でもとても大切な人なの」
 説明になっていない。とにかく何でもない一般人なのだということだけは理解したものの、正直言って余計不信感が増しただけだった。
 とは言っても、やっぱり掴みかかってなんだよそれ! だとかいつもの調子で噛みついたりはできなかったのだけれど。
「…で、お姉さんは?」
「私は、閉鎖空間の処理には何の役にも立てませんから…あなたを説得して、未来へ連れて行くのだけが仕事なんです。もちろん、終わったらお迎えに来ますけど」
 ――無責任すぎる。
「……ああ、そうですか。で、どうやって未来に行くんですか? まさか机の引き出しからじゃありませんよね?」
「ううん、少し目をつぶっていてくれれば…」
 柔らかでしっとりした手のひらが瞼の上に覆い被さって――…それから僕はすさまじい目眩を感じた。


「うぇ……、気持ち悪……」
 手のひらが離れたのでぐらぐらする頭を押さえながら当たりを見回すと、俺はなんだか冴えない普通の台所にいた。流しにカップ麺とかパンを食べた後っぽい皿とかが乗っている。どうやら未来の俺はえらく投げやりな食生活をしているらしい。
 ガリガリで顔色の悪い冴えないおっさんとかが未来の俺だって名乗って出てきたらどうしよう。
「ごめんなさいね、慣れない人は気分を悪くしてしまうの」
 そういうことは先に言ってほしいんだけど。
「それじゃ、がんばってね」
 未来人は容赦なく、ごくごく普通の台所の、ごくごく平凡なドアを開けて、これまた一人暮らしの若い男の部屋としてはごくごく当たり前な感じの部屋にまだフラついてる俺を放り込んだ。
 まだうまくピントが合わない目を細めて眺め回すと、なるほど、高1の俺と23の俺…だろうな、と納得できる若い男が二人並んで座っている。似たような顔した高校のブレザー姿の若い男と、それより年上っぽい私服の男。どうやら食生活がどうでも割とまともな感じに育つみたいだ。割とというかかなり顔はいいし、ガリガリヒョロヒョロでもないし、背も低くない…というか、でかい。高1の方もでかいが23才はさらにでかい。まだ今の俺は160cmもなくてそれを気にしてるんだけど、どうやら身長の心配はしなくて良さそうだ。
 …頭の中身は心配した方がいいかもしれないけどな。なんだこのユルいニヤケ面は。
 それからこいつが友達なんだろう…、一人だけ似ても似つかない地味な顔で高1の俺らしき人物とお揃いのブレザーを着た高校生が一人、ベッドに腰掛けて俺をうさんくさそうに見ている。俺だってお前を胡散臭いと思うよ。なんなんだお前は。何のためにいるんだ。
「じゃ、私はこれで。みんな、よろしくね」
 年上の俺たちは何が楽しいのか二人揃って脳天気にニコニコしながら無責任未来人に手を振っている。ああ、毎年恒例だから顔なじみなんだな、つまり俺は毎年このお姉さんに拉致されるのか、と思ったらもういきなり鬱だ。やってらんねえ。
「待っ……」
 だけど自称未来人のお姉さんは平然と俺を置き去りにしてご退場しやがった。天使みたいな顔してあいつは鬼か。
 思いっきり空気が重い。アホみたいにニコニコしっぱなしの俺×2、状況が飲み込めずに混乱状態の俺と『友達』とか言う高校生。なんだよこれは。
「すみませんね、ちょっとした都合でね…。未来人の皆さんとの共同戦線を張る必要がありましてこんなことに」
「いやあ、おかしなことにおつきあい頂きまして申し訳ない」
 敬語? なんで二人揃って敬語? なあ、どうして俺敬語喋ってんだ? 相手は俺(高1)の友達なんだろ? 普通さあ、仮にも友達ならもっと普通に喋るんじゃないのか?
 いったいどういう関係なんだこいつらは。不気味だし意味わかんないし。
「で? 俺に何しろってんだ?」
 いきなり『友達』がそう言って嫌そうに首をかしげた。
 これから説明かよ。俺が来る前に済ませとけっつの。要領悪いな未来の俺は。ってかこんな普通っぽい高校生に何やらす気なんだろうか。実際普通らしいし。
「……いえ、あなたには特別なことをしていただく必要はないのですが。それより、主に大変なのはこの時代の僕です」
 じゃあなんで呼んだんだよ! と心の中で激しくツッコんでいると、その高校生も同じことを考えたらしくきっちりツッコんでくれた。どうやら未来の俺はボケ担当みたいだな。自分じゃどっちかいうとツッコミの方だと思ってたんだけど。
「えー…それは既定事項なんですよ。それから、高1の僕の手助けをしてあげて欲しいということで。よろしくお願いします」
 なんでこんなどうでも良さそうな奴を巻き込むのが既定事項なんだかな。だいたいこいつにできる手助けってなんだ。
 しかし俺(23)はよっぽどそいつがお気に入りなのか、気色悪いことに手を握って嬉しそうに話しかけている。そして当然その高校生はもの凄く引いている。そりゃ嫌だろうな。俺だってあれが未来の自分かと思うと恥ずかしいやら申し訳ないやらでいたたまれないぐらいだ。
 ああもう、なんで未来に強制労働に連行されてきたあげく自分の恥ずかしい未来まで見なくちゃいけないんだ?
「で、それは何なんだよ? 古泉は…ややこしいな、今の古泉は中1の経験があるから言わなくていいんだろうが、俺は知っておきたいぞ」
 嫌そうに俺(23)の手を振り払って、そいつは俺(高1)に話しかけた…が、どうやら高校生の俺もダメな人だったらしい。男同士で会話するとしてはあり得ないほどべったり顔を近づけて何かボソボソ話し出した。
 そりゃまあ、なんか内密でしたい話なのかもしれないけどそこまで顔を近づける意味があるんだかどうなんだか。さっきの俺(23)の行動を見ている限り、ただの趣味っぽくてものすごく嫌だ。しかもくっつかれている友達とやらも嫌そうにはしているものの、どうも慣れてしまっている様子だ。未来の俺はいったい、日頃こいつとどういうつきあい方をしてるんだろうか。
 ああはなりたくない、けどたぶんああなるんだ俺は。ああ…知りたくなかった。
「……あ、ちょっとごめん、僕ら出てくるから。23才、勝手はわかってるよね?冷蔵庫の中身とか勝手に食べてていいから、中1をよろしく」
 密着しすぎの内緒話を打ち切って俺と俺(23)に言い残すと、俺(高1)は『友達』を引っ張って家を出て行ってしまった。
「……ジュースか何か、飲む?」
「………いらない」
 正直言って怖い。12年後の自分と二人っきりって状況の異常さもさることながら、なにしろこいつは男にやたらすり寄る変質者だ。
 俺が中1であろうが過去の自分自身であろうが、お構いなしに青少年保護育成条例にひっかかるようなことをされてしまうんじゃあるまいかと猛烈に不安だ。ジュースになんか仕込まれるんじゃないか?
「…緊張してるね」
 くすっと笑って俺(23)が俺の肩に手を置いた。触るなっての! ビクッと肩をすくめると、面白そうに笑われた。うるせえよ、お前のせいだ。
「そりゃ、普通するだろ…」
 変質者と二人きりだぞ? そもそもそういう意味じゃなくても緊張はするだろ、普通。3年後の未来なんてワケわかんないところに放り込まれてまったりリラックスできる方がおかしいんだ。
「……そうだね、僕も緊張したからね」
 そういやよくよく考えるとこいつは今俺が何考えてるかとか、だいたい覚えてるわけなんだよな。じゃあ変なことはされないか。
「怖い?」
 考えていたら俺(23)は笑顔を引っ込めて、心配そうに問いかけてきた。割と、声はいいなと思う。安心するっていうか、聞いてると落ち着く声だ。声変わりしてこうなるんならそれはいいなと思ったりする。変態になるのは嫌だけど。ものすごく嫌だけど。
「…知ってて聞くなよ」
 怖いに決まってるだろ。普通の閉鎖空間だって怖いのに、「かつてない大規模な閉鎖空間」なんて。俺がどれだけ怖がってたか、わかってるはずじゃないか。
「……そうだな。怖かったな。…ねえ、聞いて欲しいんだけど」
「何を」
「君は今、戦いたくないし逃げ出したいって思ってるだろ。……だけど逃げられないし戦わなきゃいけないんだって思ってる」
 わかってるじゃないか? わかってるならぐだぐだご託を並べたりしないで俺を無理矢理閉鎖空間に放り込んだらいいんだ。
「でも自棄を起さないでほしい。君は……この経験を通じて、きっといい方向に変わることができるから」
「うるせぇよ!」
 思いっきり手を振り払い、立ち上がって怒鳴った。
 まったく、お為ごかしなこと言いやがって。
「今の俺の気持ちとか、全部わかっててよくそんな台詞が言えるよな! 俺は怖いんだよ、経験を通じてとかどうでもいいんだ、今俺は怖いんだよ!」
 怒鳴ってるうちにどんどん気持ちが高ぶってきて、涙が出てきた。
 怖い。逃げちゃダメだ。悔しい。なんで俺が。畜生ふざけんな。
 頭の中で断片的な言葉がぐるぐる回る。
「……だけど…、だけどやんなきゃ世界が滅びるとか言われて、そりゃ俺だって3年後に死んだり消えたり世界がワケわかんない風に変わったりとかすんのヤだし、だから戦わなきゃいけないってわかってる! ……説教臭い台詞なんて聞きたくねぇよ……! ……ちくしょう、もうやだ、やっぱ帰る! 帰ってやる!!」
 喉の奥がひくついて、言葉が喉にひっかかる。ああわかってる、言ってることは支離滅裂だ。自覚はあるけどもうどうにもならない。
 それでもしゃくりあげながらなんとか、喉にひっかかってた言葉を吐き出したら……いきなりぎゅっと抱きしめられた。
 未来人のお姉さんにそうされた時の心地よさとは正反対の、ゴツくて大きくて熱い身体。甘い匂いなんて全然しない、普通の若い男の匂いしかしない。いや甘い匂いがしたらもっと気持ち悪いけどな。どっちにしろ気色悪い。
 身震いして腕から逃れようとしたら、「落ち着いて」とやけに優しい声で囁かれた。落ち着けるか!
「やだ、もうこんなのやだ…!」
「……大丈夫、僕らが守るよ、だから安心して、それに今帰る手段はないんだよ」
 うるせえ、こっちはそれどころじゃないんだよ! 触るな、話しかけんな、ウザい!
 腕から逃げようと暴れていたら、玄関で何か物音がした。
 振り返ると俺(高1)とその友達が、開けっ放しのキッチンのドアの前で棒立ちだ。正確には友達だけが棒立ちだな。口半開きで。
 思いっきり泣き顔晒したのも恥ずかしけりゃ、小学生とか小さな子供みたいに抱っこされてよしよしされてるのも恥ずかしい。トドメにホモくさいこいつ(しかもそれは未来の俺だ)にそれをされてたってので倍率ドンさらに倍はらたいらさんに3000点だ。ああ死にたい。絶対なんか誤解された。もうマジで帰りたい。
「あ、お帰りなさい」
 なのに俺(23)は平然とにっこり笑って手を振っている。よくもまあこんな恥ずかしいシーンを見られて平気でいられるよな!? この変態野郎!
「事情は説明しといたから。あとは…。……あ、あなたはもう今日は結構ですよ、お帰りになって頂いて構いません。明日明後日は彼女は忌引きでしょうから、その間も普通に生活して頂いて結構です。あとは、さっき言った通りです。ご迷惑でしょうがお願いします、すみません」
「すみませんね、本当に」
 大あわてで大人の俺から逃げた俺の羞恥心とか異常な構図の事情とか、色々思いっきりスルーして俺(高1)は事務的な話を続け、俺(23)は一緒ににこにこ笑って謝ってる。…これは単にこいつらがアホなのかこいつらなりの気遣いなのかどっちなんだろう。周りはみんな全部分ってるのに自分一人だけ何もかもが初体験で勝手が分らないってのはあんまりいい気分がしない。
 で、帰れと言われたからさっさと帰るのかと思った『友達』は、何故か俺を睨み付けると、
「おい、ちょっとお前、顔貸せ」
 とか言い出した。なんなんだよ、帰っていいって言ってんだろ、帰れよ!
「なんであんたみたいのと…!」
 だいたい何者なのかもわからん奴と二人になんかなりたくない。未来の俺の友達かもしれないが、こんな話に巻き込まれてるような奴だ。どうせロクなもんじゃない。
 なのに抵抗する俺を普通に無視して年上の俺たちは、はいはいとか適当なことを言いながら俺を無理矢理そいつにくっつけて家から追い出した。なんなんだよ!

 無理矢理腕を引っ張られて連れて行かれたのは、家から割と近い公園だった。道すがら見た風景に見覚えはない。いったい今どこに住んでんだ俺。
 『友達』がさっさとベンチに座ったので、結局俺もなんとなく隣に座る羽目になった。ここから逃げ帰るのに成功しても普通に追いかけられそうだし、無事に家に到着しても普通に大人の俺たちに追い返されそうだし。
 かと行って逃げて行くあてもないんだと気付いたら猛烈に心細くなってきた。
 …マジでなんでこんなことになってんだろ?
「……お前さ、戦いたくないんだろ」
 しばらく黙って並んでいたら、奴はいきなり間抜けな発言をしやがった。アホか。分かり切ったこと聞くなボケ。
「……当たり前だろ。あんたこんなワケのわかんないトコでワケわかんないまま戦いたいとか思うか?」
 俺はどこを見ていいかわからなくて地面を睨んだまま言い返した。そしたら、
「んー…いや、まあお前が普通なんだろうな。でも俺の知ってる古泉は滅茶苦茶不条理な目に遭ってもニコニコしてるからな、気色悪いが」
 と来た。ああ、そうだろうな未来の俺ってそういうキャラっぽいよな。俺も正直気色悪い。あんたには関係ないことだけどな。
「気色悪いんだろ。じゃあ別に俺ぐらいニコニコしてなくてもいいだろ」
 3人揃ってニコニコしてたら本気で気色悪いと思う。俺ぐらい仏頂面でいいじゃないか。だいたいこの状況で何を笑えってんだ? 笑えることなんて一つもない。
 未来人に未来に拉致られたりとか、その目的がただでさえ怖い閉鎖空間のパワーアップバージョンで戦って来いってことだったりとか、将来の自分が二人揃ってホモくさいとか、もう笑える条件なんて一つもないじゃないか。
「別にニコニコしてろってワケじゃない。だが、ある程度話は聞いてきてるんだろ? たぶん俺より知ってることは少ないんだろうが」
「……まあ、ある程度はな」
 わかんないことだらけだけど、でもとりあえず何のために連れてこられて何をしなきゃいけないのかはわかってる。
「だから納得もしてる、ただちょっと嫌なだけだよ。それでいいだろ」
 ホントほっといてくれよ、未来の俺と友達やってるだけあって無駄にお節介な奴だ。四六時中ニヤニヤしてないのが救いだけどな。
「どっからどう見たって納得してる奴のする顔じゃないぜ、古泉よ」
 納得してるっつってんだろうがこのボケが!
「うっさいなあ、あんたに関係ないだろ! ちゃんとやれって言われたことはやるよ、それが俺の仕事だからな。それでも文句があるって何様のつもりだあんたは!」
 頭に来るったらない。なんなんだこいつは。
「いや…文句があるわけじゃない。ただなあ…ちょっと大丈夫なのかって不安でな。愚痴ぐらい聞いてやろうかと思ったんだ」
 なだめてるつもりなんだろうが逆効果だ。大人の余裕でも見せてるつもりか? だいたい怖い思いをすることも、痛い思いをすることもない平和に生きてるただの一般人に何言えってんだ? 俺の気持ちなんかわかりっこないクセに偉そうな口叩きやがって。
「余計なお世話だよ。あんたに愚痴ってどうなるってんだ、あんた超能力者でも未来人でも宇宙人でもないんだろ? のほほんと生きてるただの役立たずに言う愚痴なんてねぇよ、俺はちゃんとやれる!」
「てめぇ…!」
 役立たず呼ばわりにはさすがのお節介野郎も怒ったらしい。胸ぐらを捕まれ拳を振り上げられた。
「……殴るのかよ」
 そりゃ殴られるのは怖いけど、神人より全然怖くない。殴りたかったら殴ればいい。
 抵抗せずに睨んでいたら、何故かあっさり解放された。
 なんだコイツ。生意気な中学生一人殴る度胸もないのか。役立たずの上に臆病者とかホントなんでこんな奴が「大切な人」なんだ?
「ふん、黙ってろ役立たずのチキン野郎」
 いちいちむかつくことばっかりだ。俺はお前に本気で殴られるよりもっとずっっっっっと怖いモノが沢山あってなあ、ぜんぜんそれどころじゃないんだよ!
 俺はチキン野郎を置き去りにして立ち上がり、やみくもに歩き出した。行き先は家しかないけど。
 家に帰るルートはわかっても、どこだかわからない未来の道を一人で歩くのは心細い。だから俺は途中から走り出し、足を止めたらもう家にたどり着けなくなるような気がしてきて、最後には全速力になっていた。速く、少しでも早く家に帰りたい。
 家に帰ったからって安心できるわけでもないけど、それでもまだ事情を知ってる知り合い(っていうか俺だけど)がいるだけいくらかマシな気がしたから。

「ああ、お帰り」
 チャイムを鳴らしたら、高校生の方の俺がにこにこ笑って出てきた。
「……うん、怖かったな、心細かったよな」
 俺が何か言う前に、俺(高1)はぽんぽん頭を撫でてくれて、不安でこわばった顔とか息切れしてる理由とかを問いつめたり、知ってるはずなのに『友達』に暴言吐いたことについて何か言ったりしなかった。
「まあとにかく上がれよ。そろそろ腹減ってるころだろ、23才が晩飯買い出しに行ったからコーヒーでも飲みながら待ってようぜ」
 インスタントだけどな、と言いながら俺(高1)は湯気の立ったカップを持ってきた。牛乳多め、砂糖抜き。注文をいちいち聞かなくてもオーダーが分るってのは未来の自分から過去の自分に食べ物や飲み物を出すとき便利なもんだ。
「……あんた普通に喋れるのな」
「ん? ……ああ、敬語じゃないってことな。そりゃ自分に敬語はおかしいだろ?」
 確かにそりゃ納得だ。自分に敬語はおかしい。だけどそれぐらい、同級生の友達に敬語もおかしいと思う。
「それはさ、涼宮ハルヒがそういう俺を望んでるからだよ。いつもにこにこしてて、敬語な俺をね。今俺たちは同じ学校に通って、……言ってみれば親しい友人として付き合ってる。さっきのあいつも一緒にな。だから普段学校の知り合いと話すときは全部敬語。それだけ」
 私生活まで涼宮ハルヒかよ! そんな生活が待ってるなんて、冗談じゃねえぞ!? いけ好かない奴だと思ったら、あいつも涼宮関係者か。くそっ、ホントにロクでもない。
「……ふふ、考えてることはわかるよ、覚えてるからね。でもな、口調とか態度なんてそれほど重要なものじゃない。そりゃあ『機関』の都合で言いたいことを言えないこともあるけどさ、あいつらとの友達づきあいそのものは別につらくないぞ」
「…………」
 どこまでホントだかわかったもんじゃない。俺をガキだと思って言いくるめようとしてんじゃないかと思う。だってどう考えたってお先真っ暗じゃないか? 今後12年間閉鎖空間と縁は切れないみたいだし、将来の自分は立派なホモに育ってて、……って、今考えたことも当然バレてるよな、別にリアルタイムで心読まれてるわけじゃないけどさ。少なくともホモ疑惑かけてんのはバレバレだろうな。
「……ああそうか、お前俺のことホモだと思ってたんだっけ?」
 ほらバレてた。笑うな、マジでホモ×2に囲まれる生活とか心配してんだぞ。
「それは違うよ。俺は男が好きなわけじゃない。ただ彼が大好きなだけ」
 ………それって、ホモと何が違うんだ?
「…まあ、わかんないだろうな、でもそのうちわかるよ。お前も必ず彼を好きになる」
 ……なりたくねぇよバカ。

 グダグダ喋ってたら俺(23)が3人前の弁当提げて帰ってきて、夕食ってことになった。もちろんオーダー聞かずに買ってきても外すことはないわけで、ホントに便利だ。
 飯の後は風呂、風呂のあとは時間潰しにって俺(高1)がUNO出してきた。同一人物×3でUNOとかバカじゃないか? まあ面白くないとは言わないけどさ。そもそもこういう普通の遊びを他人とやるのって久しぶりだし。
 んで10時を回った頃『機関』の迎えの車に乗って現場到着。現場は近くの山の山頂付近だった。えらいへんぴな所に発生するもんだ、と思った。

 ――しかし、人数12倍にしないと対処できない閉鎖空間って何なんだよ? 想像するのも怖い。手足が勝手に震え出す。ああ帰りたい帰りたいもう発生する前から帰りたい。
「…大丈夫、守るよ。落ち着いて」
 俺を挟んで立つ俺(23)と俺(高1)の囁く声がした。ステレオだ。嬉しくない。両手もぎゅっと温かくて大きな手に握られた。嬉しくないっての! …でもまあ、でかい手ってのはそのぶん強そうで、確かにちょっと安心はするんだけどさ……。
 その時、あの独特の嫌な感覚が体中を駆け抜けた。
「ひっ……」
 勝手に喉が変な音を出し、手を握る二つの手に力がこもる。
 そして目の前に透明で見えない壁がせり上がって行くのがはっきりと感じられた。
「行こうか」
 ぐいっと握った手から引っ張り込まれる格好でその壁を越える。
 瞬間、世界がすごい勢いでモノクロに染め変えられ、俺達以外の生命が消える。正確には俺達だけが閉鎖空間の中に入ったんだけど。
「なっ……なんだよ、なんだよあれぇ!! ウソだろ!?」
 見たこともない光景だった。閉鎖空間のおおよそ中央あたりだと思う――っていうか今日の閉鎖空間はあり得ない広さだ。いつもの10倍どころじゃない気がする。っていうか山の麓に広がる平野を、海まですっぽり全部覆い尽くしてる――場所から、次々と地面から湧いて出る青い光。どんどんどんどん増え続け、家を突き抜けビルを削りながら地面を埋めていく。
「……こんなの無理に決まってんじゃないか! 嫌だ! 俺帰る! 絶対帰る!!」
 マジで泣いた。泣くを通り越して胃がひっくり返ってコンビニ弁当を全部地面にぶちまけた。
「大丈夫だから」
 背中をさすって、涙と鼻水とヨダレと胃液でドロドロの顔を拭いてくれた上にミネラルウォーターのペットボトルまで渡してくれた、やたら準備のいい俺(高1)は、だけど俺が逃げないようにがっちり肩押さえてた。
 ああ、俺が今日ここで吐くのも逃げだそうとすんのもわかってるからな…。
「…行くよ」
 俺(23)がそして俺の手をぐっとひっぱり、静かに死刑宣告並みに嫌なことを言う。行けるかよ!
「行くよって、ちょっと、無理……」
「生身のままじゃ危ない」
 生身じゃなくても危ないだろ、これ。と言ってもどう考えても力を使う方が命の危険は減るわけで、俺は年上二人に続いてどうにかへっぴり腰で赤い光に包まれた。
 真っ直ぐ飛ぶのもやっとだ。怖すぎる。あちこちの山頂からわらわらと赤い光が飛んできて、味方もたくさんいるんだということはわかったけど。
 だけどちっとも安心できない。そりゃちゃんと攻撃すれば勝てる相手かもしれないけどそもそも絵的に不安になるんだからしょうがない。大きさが全然違う。俺達は神人に比べたら蚊トンボ並みに小さい。
「中1、君は今日は見てるだけでいい。高1は中1のバックアップについて。僕は行ってくる」
 今の俺には到底無理な急角度で高速旋回すると、俺(23)は神人の群れの中に突っ込んで行った。マジかよ……。
「良く見とけよ、動き方、効率のいい倒し方」
 見とけってそりゃ無理だって、怖いって! 地面の上を普通に歩いてる状態で言うなら、完全に腰が抜けてる。落ちずに空中に浮いているのがようやくだ。青く光るアレを直視するとか、ましてやその周りを飛び回る赤い光の動きを冷静に観察とか絶対無理だ。もう吐くものもないのに吐き気がする。
 不安定にフラフラ揺れてる俺の様子に気付いたのか思い出したのか知らないが、少し離れていた俺(高1)がすっと近寄ってきて俺の光の中に手を突っ込んで俺の手を握ってきた。
「目を閉じて、深呼吸しろ。怖くない、大丈夫。落ち着くまで目は開けなくていいからな。でも落ち着いたら目を開けて。俺がついてるから安心していい」
 俺は10分ぐらいはそれでも固く目を閉じたままブルブル震えてたと思う。ようやく目を開けると、赤い光の向こうで俺(高1)が笑っていた。なんで笑ってられるんだか。…ああ、先の展開を知ってるからか?
 周りを見ると、同じように遠巻きに浮いている光がいくつか見えた。ヘタクソなルーキーはみんな見学らしい。
「もう大丈夫か? じゃあちょっと解説するからな」
 俺(23)が戻ってくるまでの数時間、俺(高1)は飛ぶときのコツ、神人の弱点、倒すコツ、その他色々。俺(23)を初めとするその他大勢の動きを見ながら、懇切丁寧に説明し、実演し、飛び方の練習をさせてくれたりした。
 そして数時間後、閉鎖空間も神人もほったらかしで俺達はその場を後にした。なんでも当分消えないから、交代で中に入って持久戦をやるしかないんだとか。
 そこで俺達は帰宅…はしなかった。山を越えて市境を越え、その先の『機関』お抱え宿泊施設に送られた。
 俺達が家に帰ろうとすると漏れなく運転手が消えた車で神人大暴れのガレキの中に突っ込むことになるからな。

 翌日からは飯と風呂と睡眠と休憩と閉鎖空間での戦闘と、がシフト制になった。『機関』の上の人が決めてるのか年長組の合議制だかわからないが、とにかく俺達は他の能力者の集団と同様に、シフトに従って動く。
 違う時間の自分3人が1チームを組んで、つまり能力者1人あたり4チームになるって状態で、基本的に能力者全員、別の時代の自分のどれかのチームが常に閉鎖空間内で戦ってるって感じになる。だから結局他の『俺達』もいることはいるんだけど、接触はあまりなかった。
 がんばれよとか励まされたり、一緒に飯食ったりとかちょこちょこ喋るぐらいのことはしたけど。ただしチーム内で最年長の連中同士は結構情報交換とかやってるみたいだった。でもそこに俺が近寄ると口を揃えて妙なぶりっこスマイルで「禁則事項です☆」とかやられて追い返されるんだけどな。未来人のマネすんな、気持ち悪いっての。あれはアイドルみたいに可愛いグラマーなお姉さんがやるから可愛いんだってのに。……正直将来の自分の性癖のみならずギャグセンスにも不安を感じざるを得ない。
 ただとにかく、あんまり喋ってなくてもこれだけは間違いなく言える。高校以上の俺は全員ニヤニヤしすぎ、中学の俺は二人ともやたら俺を哀れむような目で見やがって辛気くさい。
 まとめると、全員ウザい。性格悪いとかじゃないし優しいけど、生理的にウザい。
 それはともかく、2日目最終戦あたりからは俺もある程度他の人と連携を取ったりとか、戦力になるようになって、それなりに自信もついてきた。
 思った通りの急角度で神人に突っ込んでいけるようになると、楽しくさえなってくる。まあ、やっぱ腕がこっちに向かってきたり、うっかり神人と目が合ったりすると怖いことは怖いんだけどな。
 遠目には地上を埋め尽くしているように見えていた神人も、実際近づいてみれば数そのものはそれほどでもなく、要するに図体がでかいばかりにそう見えていたということもわかった。
 きついのは、倒しても倒しても、次から次に湧いて出るということだけ。
 それでも4日目あたりから目に見えてその速度は鈍って、神人の増殖速度はゼロ、つまり俺達が倒す速度と奴らが湧く速度がおおよそ同じという状態になった。そして5日目には減少に向かい、閉鎖空間そのものも縮小に転じた。
 そして迎えた7日目の夜。もう閉鎖空間は通常の3倍程度ににまで縮小し、神人も増殖をやめていた。
「今日明日でカタがつきそうじゃん」
「……ああ、今日で終わりだよ、ご苦労様」
「よっしゃ! じゃあサクっとやっちまうか」
「……おい、お前あんま調子に乗りすぎんなよ…」
「調子なんか乗ってねーって」
 乗ってました、ごめんなさい。後で考えたらどう考えても調子に乗ってた。
 一気にカタをつけるってことで全能力者の全チーム投入、オールスター戦とあいなった。ものすごい人数だ。これなら1時間とかからないだろう。
 もう俺は、負ける気とか全然しなかった。それが落とし穴だった。
「バカ、左見ろ……!」
 調子よく神人に向けてきりもみ急降下をやってる途中、急に俺の誰かの叫ぶ声が聞こえた。
「何……?」
 振り返った時はもう遅かった。目の前は一面の輝く青。そして身体に重い衝撃。みんなの悲鳴。
 狙っていたのと別の神人に思いっきりぶん殴られたんだ、と気付いたのは吹っ飛ばされて、崩れかけのビルの内壁に激突した時だった。
 そしてそこで動揺して集中が途切れたのが運の尽きだった。バウンドして生身の身体で壁か何かにぶち当たり、ガレキに体中を引っかかれながら一気に滑り落ちていく。
 ただ体中をかきむしる鋭い痛みと胃が持ち上がるような嫌な落下の感触だけが全てだった。そしてブラックアウト。
「……ろ! ……きろ! ………起きろ!」
 叫び声で目を覚ましたら、脳天まで突き抜けるような、今まで一度も経験したことのない冷えた痛みが全身を走って俺は悲鳴を上げた。いや、悲鳴は上げてないな。なんか喉からひ、とかそんな音が出ただけだった。
 痛い、ものすごく痛い。どこが痛いのかもわからないぐらい全身痛い。痛いを通り越して熱い。息ができない。口の中が鉄錆臭くて気持ち悪い。体中がやけにぬるぬる生暖かい――…。
「逃げろ! 早く!」
 頭上から叫び声が聞こえる。かすむ目を無理矢理こじあけると、崩れた壁の向こう側で、青く滲んだ大きな光の周りを、赤く滲んだ小さな頼りない光が集まって飛び回っているのがぼんやり見えた。
 こっちに向かって来ようとする神人を、近くにいたみんなは必死に止めている。
 神人の腕がこっちに伸びる、それを赤い光が止める、それの繰り返し。
 神人の目がこっちを向いたり、腕を伸ばしたり身体をぐっとこっちへ乗り出したりするたんびに、俺はぞっと背筋が凍った。みんなが止めてくれてるけど、もしあいつがこっちに来たら本当に死ぬ。
「おい、早く逃げろ!!」
 でも、逃げるったって、どこにどうやって逃げろって言うんだ?
「そこの白い塀の民家の2階だ、その<壁>を抜けろ! ……あいつが助けてくれる! 飛べ、飛べるはずだ!」
 民家? 振り返るとちょうどビルの2階あたりに俺はひっかかっていて、言われた民家とやら――というか半分が閉鎖空間の向こう側にあって、こちら側にある部分は辛うじて骨組みらしきものが残っている程度にまで粉砕されているガレキのカタマリ――はそこから…飛べば、飛ぶことができればの話だけど、すぐ目と鼻の先だった。飛ばなくてもものの5分とかからずにたどりつけるだろう。
 でもそんなトコまで飛べるのか、今の俺。っていうか飛ぶとか、そもそも動くとか、できるのか?
「お前は飛べる! 飛ぶんだ! 飛ばなきゃ死ぬぞ!」
 あいつら(全員俺)が飛べる、って言うんだから飛べるんだろうな、たぶん。
 必死で俺は集中しようとした。嫌だ死にたくない。死にたくないなら集中しろ。
 いつも簡単にできることがえらく難しい。怖い。頭がくらくらする、集中がむずかしい、たぶん血が足りなくなってきてる。これ以上モタモタしてたらマジに死ぬかも。
 集中しなきゃ、怖がるな、早く、少しでも早く逃げ出さなくちゃ。
 いいかげん頭が痛くなってくるころ、ようやく身体の周りに赤い光が広がった。集中を途切れさせないように、なるべくそーっと姿勢を変えないように気をつけて、身体を浮かせてみる。呼吸困難と激痛で冷や汗が滲む。このまま失神したい。というか、ちょっとでも気を抜いたら確実に失神する。目を開けてるのもつらい。つらいけど、失神したらそれまでだ。
「よし……行け…うわっ!」
 俺に声をかけて励ます誰かが、さっきの俺のように跳ね飛ばされたのが見えた。だけどその光は消えることなく空中で踏みとどまり、鋭角に曲がってすぐに真っ直ぐ神人へ向かう。
 あれができなかったから、俺はこうなったってワケだ。やっぱ調子に乗りすぎてた。
 俺はバカだった。
 自業自得を噛みしめながら、歩くよりは確実に速い、でも走ってるのと大差ない、そんな速度で俺はふらふらどうにか民家の方向へ向かい始めた。
 死にたくない。こんな暗くてうさんくさい嫌な世界の中で死ぬなんて、そんなのだけは絶対嫌だ。
「…だ、まっ……っ……いけ…」
 何か叫んでるのが聞こえる、でもそれどころじゃない。
 ここか、白い塀。他に白い塀っぽい残骸のがある家はみつかんない。たぶんこれだ。これでいいよな。間違ってても、そこん家の人が救急車ぐらい呼んでくれるだろ…。とにかく今は、この世界から逃げたい。それだけだ。
 <壁>を突き抜けようとした瞬間、背後で轟音が響き、反射的に振り返ると俺がいたビルがこっちに向かって倒れてくるのが見えた。ギリギリセーフ……

 <壁>を抜けると眩しい電灯の明かり、暖かそうなれんが色のカーペット。ここ、どこだ?
 急激に飛び込んできた光と色で目が眩む。身体に重さが戻る。そしてそれを支える足腰や背筋や…とにかく全身に激痛が走った。痛すぎて声も出ない。
「ちょ……お前、お前どうしたんだ!」
 耳に飛び込んできたのは役立たずのチキン野郎の声だ。ああ、助けてくれる「あいつ」ってのはこいつか。チキン野郎じゃないかどうかはわからないけど、それならとにかく役立たずじゃなかった。悪い事を言っちゃったな。
「ごめん、あんたが助けてくれるって……、あんなこと言ってごめんな…」
 どこまで伝わったかは分らない。声を出そうとすると咳き込んで、咳き込むと息が詰まる。頭がぐらぐらしてもう何も考えられない。
 崩れた俺の身体をチキン野郎はしっかり抱き留めてくれて、それから何かを叫ぶのが聞こえた。
 温かい、もう大丈夫だ。何の根拠もないけどすごく安心する。もうどこも痛くなくなった。
 …ああ、これってもう死ぬってことなのかな? 死にたくないな、だけどあの暗くて色のない世界でガレキに埋もれて一人で死ぬとか、神人に殴られた瞬間即死とか、そういうんじゃなくてホントに良かった。
「……い、おい…………ろ、……ぶ…から! ………からな! 古泉!」
 こいずみ、こいずみ、こいずみ。
 俺の名前を呼ぶ声と、強く俺の手を握る大きい手の温かさ。それにすごく安心して、そして俺は完全にダウンした。


 目蓋の向こうに光が見えた。息を吸ったら、普通に肺に空気が入ってくる。深呼吸しても痛くない。身体のどこも、本当に痛くない。ここはあの世か? 誰かが手を握ってる。
 目を開けたら、俺を覗き込む人のシルエットがぼんやり見えた。
 天使とか、三途の川の渡し守とか、なんかそんなようなもんだろうか?
 だけどその後ろに見えたのは普通の天井。それから電気。そして、逆光で見えにくかった人の影は役立たずじゃないチキンじゃないかもしれない野郎だってことがわかった。目が真っ赤で、ほっぺたとかベタベタになっている。手を握ってたのもこいつだった。
 俺はどうも何がどうなったんだか、奇跡的にも生きてるっぽい…。
「……あれ、絶対死んだと思ったのに…」
「死んでたら、未来のお前はいないだろ。だから死ななかったんだよ」
 言われてみればそれもそうか。
 どうやってだかよくわかんないけど、とにかく俺は生きてて、怪我も治ってる。血の臭いもしない。
 手とか足とかどうなってんのか見ようと思って起きあがろうとしたら、まだ起きるなと言われていきなり思いっきり抱きつかれた。
 体中べたべたまさぐられる。くすぐったい。まさかこいつまで高校以上の俺の病気が伝染ったんじゃないだろな? 命の次は貞操の危機か?
 しばらくすると手の動きが止って、チキンが俺の顔を胸にぎゅっと抱きしめて、俺の髪に顔突っ込んで震えだした。
「ちょっと、なんだよもう…」
「正直、お前が死ぬかと思って無茶苦茶怖かったんだ…」
 俺も死ぬと思った。ってか改めて考えたらホントにギリギリだったんじゃないか!? 崩れた壁や鉄骨の向こう側で俺を睨む目。俺に向けて伸びてくる腕。こっちに向かって倒れてきたビル。ぞっとする。
 あの時だって充分怖いと思ってたけど、それでも麻痺してたんだ。今になってから急に怖さが押し寄せてくる。まだ続く嫌な寒気、まだこの部屋の真ん中には見えない壁がある。
 そしてその向こうで、未来の俺達はまだ戦い続けてる……戻らなくちゃ、だけどでも怖い、怖い、怖い!
「……俺も…すげー怖かった…怖かったよぉ…!」
 耐えきれなくなって、俺は情けない声で、なんか迷子の幼稚園児みたいにわんわん泣き出した。恥ずかしいとかどうとか、そういうこと考える余裕もない。体中ぶるぶる震えだして止らない。怖くて怖くて、どうしていいかわからない。
 そしたら何故か、俺を抱いてる高校生まで同じぐらい情けない声でわあわあ泣き出して、結局小一時間二人で抱き合って泣き続けていた。
「…………」
「…………」
 我に返ってみると、ものすごく気まずい。恥ずかしい。照れくさい。
 でもその代わり、なんか思いっきり泣いたらやけにすっきりして落ち着いた。野郎の体温が気持ちいいとか野郎の腕に抱きしめられて落ち着くなんて、『機関』の人が俺をみつけてくれて「辛かったね」とか言ってくれた時以来だ。
「ちくしょう、ホント心配したんだぞ、俺は役立たずのチキン野郎だからな…滅茶苦茶心配したんだ、怖かったんだぞ」
 自称役立たずのチキン野郎はそう言ってふてくされたような顔をすると、ゴミ箱とティッシュを俺との間にどんと置いた。お互いティッシュを引っ張り出して目とか鼻とか拭いたり鼻かんだりしつつ会話スタートだ。
「……そんなこと言って悪かったよ、撤回する」
 とにかく役立たずじゃないのだけは確実だし、命の恩人だしな。
「…でさあ、なんであんたが怖がるんだよ…? あんた神人に殴られたりしてないじゃん」
 こいつは閉鎖空間を感知できるわけじゃないし、だから閉鎖空間の風景なんて俺達の手助けがなければ見えないし、だから神人も見てないし、つまりは泣くほど怖い思いなんてしてないと思う。なんだ? もらい泣きか? 優しいのは誰です?
 すると何故かチキン改め命の恩人様は、やけに不愉快そうな顔で断言した。
「決まってんだろ。お前は友達だからな。……いや正確に言うと、過去の時代の友達だから…なんか変だが意味はわかるよな?」
 わからなくはないよ、あんたの友達は俺の未来の姿なわけだから。でもなあ…
「泣くほど大事な?」
「……ああ、泣くほど大事な」
 即答かよ。こいつにとって俺ってそこまで大事な友達なのか? そんな友達がマジにできるのか、あの変態(自分だけどな!)に。
 ついでに自慢じゃないが、俺は超能力に目覚めてからまともに友達づきあいなんてできてないんだけど。なんかもう人間不信とか人間ていうより世界全部に不信感とかそんな感じの色々ぐっちゃぐちゃで。できるようになるのかな、あのニヤケ面が板につくころには。
「つーかな、大事な友達が血まみれで死にかかってたら滅茶苦茶怖いぞ、お前にそんな経験はまだないかも知れんがな。俺も生まれて初めて経験した。絶対泣くな、あれは。今の古泉がああなってたってたぶん泣く」
 相当怖かったんだろうな。高校にもなった男があんなわあわあ大声で泣くのなんか見たこともない。「私は優しい人ですよ、冷たい人間じゃないんですよ」ってなアピールのために、心にもない心配そうなそぶりを見せるやつってのは結構いるが、そういうのであそこまでは泣けないだろう。こいつは本気で滅茶苦茶俺を心配してくれてたんだ。たぶん間違いない。俺を騙して上手く使ってやろうとか、そういうことは考えてない。
「そっか…」
 なんかまた泣きそうになったんで、俺は鼻かんで誤魔化して思いっきりニッと笑ってやった。
 …あれ、よく考えたら俺、笑うの何ヶ月ぶりだろ?
「何だ?」
「俺の将来、案外悪くなさそうだな」
 こういう友達ができるんだったら、きっと悪くない。だからあいつら(って俺なんだけど)はニコニコしてられんのかもしれない。いくら涼宮ハルヒが望んでるからったって、敬語と一緒で俺たち同士で喋る時にまで持ち込む必要はないはずだ。それでも笑ってんだから……たぶん、あいつは結構幸せなんだろう。
「……ああ、悪くないぞ。お前らの『機関』とやらはよく知らんが、でも、これだけは言えるぜ。お前を待ってる未来の高校生活は、とてつもなく奇妙で奇天烈で無茶苦茶で突拍子もないが、楽しくて面白い。美少女に囲まれるときめきスクールライフが待ってるぞ」
 美少女に囲まれるのはいいな。奇妙奇天烈で無茶苦茶で突拍子もないのは困るけど。
 普通に学校行ってるのはわかってたけど、そんな楽しいとは思わなかった。12年後も閉鎖空間と縁が切れないとかもうお先真っ暗なんだと思ってた。
「そっか。……なんかさ、俺、23の俺に会うって聞かされた時、絶望したんだよな…。今後12年も戦い続けなのかよって。どんな暗い青春だよって。でも、そうでもなさそうだな、泣くほど心配してくれるような友達ができるんだったらさ」
「まあ、お前が期待してるほどいい友達かどうかはちょっと疑問だけどな、でも悪くはないと思うぜ。みんなで遊んだり、笑ったり、バカやったりしてさ。毎日俺と部室でオセロとか将棋とかモノポリーとかやるんだ」
 遊んだり笑ったりか。楽しそうだ。けど、未来の俺と、こいつだけじゃなくてそこには漏れなくあいつがついてくるんだよな…。諸悪の根元。
「……涼宮ハルヒと一緒に?」
「おう。涼宮ハルヒはな、とびっきり滅茶苦茶で、とびっきりの暴君だが……根は優しいいい奴だし、何よりとびっきりの美人だぞ。引っ張り回されて疲れはするが、それは嫌なもんじゃない。怒らせたりすると閉鎖空間が発生しちまうのが難点だけどな」
 ……美人だけど滅茶苦茶で暴君かよ。でも根は良くて優しい? 引っ張り回されて疲れても嫌じゃない? 悪い奴じゃないのか? 閉鎖空間発生させるのに? ……まあ、させようとしてさせてるわけじゃないのはわかるけど…。
「…じゃ、悪い人じゃないんだ」
 いまいち腑に落ちないけど、そんな感じだよな、こいつの口ぶりからしてバケモンみたいな女のこと言ってる感じじゃない。普通に仲良しの友達の話してる感じで、悪党とかバケモンとかそんなんじゃなさそうだ。
「ああ、それだけは確かだ。請け合うぜ。ハルヒは楽しくて面白くてワクワクするようないい女だ。だからさ、3年後、ハルヒに会うためにがんばろうぜ、俺も待ってる。未来は明るいぞ」
 背中をばんばん叩かれて、底抜けに幸せそうで楽しそうに笑われた。
 楽しくて、面白くて、ワクワクするようないい女か。こいつがそう言って、そこまでいい顔して笑えるんだったら、たぶんホントにそうなんだろうな。……きっと楽しみにしていいんだろう。
「そっか……じゃ、俺がんばるよ。それまでに世界崩壊したらあんたと会えなくなるかもしれないんだろ? ならがんばる…怖いけど」
 そう言ったらえらく心配そうな顔をされた。
「でも無理はすんなよ、なんせ死にかけたんだしな」
 心配そう、っていうか心配してくれてる。俺がちゃんと戦い続けないと、こいつに会えなくなる。それはわかってるからこいつも俺を止めようとはしないんだろうけど、正直言って戦わせたくないんだろうなってのがモロにわかる心配顔。『機関』の人とは立ち位置が違うこともあるんだろうけど、ここまで正面から心配されるってのはなんかこう、照れくさいけどすごく嬉しい。嬉しいけど照れくさくて困る。
 俺はニヤケそうになる顔を自信満々の笑顔になんとか方向転換させて、見えない神人にパンチを打ち込んだ。
「あの数とやりあったんじゃなかったらいくら俺でも死にかけないって。だからもう普段のヘボい数の神人なんか怖くねえし」
 怖いけどな。けど今までほどは怖くない。と思う……今日の神人思い出したらやっぱぞっとするけど。けどそんなこと恥ずかしくて言えない。怖い怖いって散々泣いたあとで見栄張るのもおかしいかもしれないけど、やっぱ恥ずかしいもんは恥ずかしいんだよ。
「いったいどんな数の神人がいたのか想像するだけでも怖いね。普段の神人がヘボく見えるってどんだけだよ……」
 こいつは神人がどんなふうなのか知ってるっぽい……っていうかそりゃそうか、閉鎖空間がどーのって話してたんだしな。こいつには見せたのかもしれない。こいつはあんなの見せられて、気持ち悪いとか怖いとか思わずに友達続けて泣くほど心配してくれる奴なんだな。
「すんごいんだぜ、倒しても倒しても倒しても、全然減らないの。なんていうのかなあ…もうさ、一面真っ青。びっちり神人。見た時ちびりそうになってマジで帰るってわめいたもん。あれに比べたら一匹や二匹どってことないって。瞬殺だな」
 瞬殺ってのは言い過ぎっていうか、やっぱ見たら腰が引けると思うけど、男の意地ってもんがある。だから思いっきり笑って言ってやった。あんだけ心配かけといて、さらにまた心配させるのも嫌だし。
「ホント無理すんなよ、この時代のお前は涼しい顔してえらい重たい荷物しょってたりするようなことがあるからさ、俺としちゃ心配なわけよ。無理だと思ったらちゃんと周りの人に言うんだぞ」
 すげ、こいつどこまで俺のことわかってんだろ。ってか俺高1になっても結構やせ我慢するのか。今の俺より強くなってるから、余計我慢できちゃうのかもしれないな。いっつもニコニコユルユル笑いっぱなしであんまりそういう感じしないけど。
 それにこいつに心配かけんのは何か嫌だって気持ちもわかる。俺も嫌だ。……俺(高1)、あんたすごいわ。マジで俺こいつのこと大好きになってる。
 あ、いやそういう意味じゃなくて。こいつはすごくいい奴だって意味だ。
「あんた心配性だな。大丈夫だって。それに『機関』には仲間もいるしさ、カウンセラーとかもいるんだぜ」
 だから万一あれがトラウマになって神人見たら腰抜かすようになってても大丈夫だろ。何もかもが怖くて部屋で布団かぶってブルブル震えるしかできなかった俺を、ここまでどうにか復活させられるぐらいには有能なカウンセラーと優しい仲間だったし。
 ……と思って言ったのに、また何故かやたら可哀想な子を見るような目で見られた。安心させようとしてるつもりなんだけどどうも失敗するな。これだけ読みが外れるとなると、なんかこいつとポーカーとかやったら連戦連敗しそうな予感がする…。
 ……あ、ひょっとして一般人ってのはウソで読心術かなんかできる能力者とかで全部俺の考えてることバレてるとかか?
 おい、聞こえてんだったら返事しろよ、この役立たずのチキン野郎! バーカバーカバーカ!
 …………。別に反応ないな。やっぱ気のせいか? マジに何の力もない一般人なのか? でもそれにしちゃ俺、傷どころか服の汚れも破けたところも全部なおってるしな。どうなってんだろ。
「……あのさ、ところでちょっと聞いていい?」
「ああ、禁則事項にひっかからない範囲で答えるぜ」
「俺、どうやって助かったの? あれ普通死ぬだろ、死ななくても病院送りで全治何ヶ月とかだろ?」
 答えは思ってたよりシンプルだった。
 こいつはやっぱ普通の人間なんだけど、友達にそういう何か得体の知れない力を持ってる奴がいる、という話だった。
 どうせ変な力ってんならそういうのが良かった。せめてスプーンぐらい曲げられる程度に自慢できる超能力が欲しかった。
「少なくとも3年後、確実に曲げられるようになるから心配するな。……力ずくでだけどな」
 一瞬でも期待した俺がバカだった。力ずくっておい。
 なんだよそれ超能力じゃないじゃん。まあ…強くなるのは嬉しいけどさ。背も伸びるみたいだし、悪くないけど。でもなあ、超能力者としちゃ意味ないってそれは。
 どうやら俺は少なくとも3年後も、中途半端な限定エスパーらしい。なんだかな。
 ……と思ってたら、和んでる間も俺の背中を突っつき続けてた嫌な重たい空気が急に消えた。そして、部屋に唐突に、二人お客さんが湧いて出た……どっちも俺だけど。
 閉鎖空間が消えたんだ。
「どうも、夜分遅くお邪魔します」
「どうもお世話になりました。もう閉鎖空間は消滅しましたよ。僕も明日から復帰できます」
 お前ら普通だなあ、俺死にかけたんだけど。まあ死なないの知ってるから心配するわけないか。
 あ、前言撤回、普通じゃないこいつら。変態だ。
 俺(高1)はいきなり『友達』の手を握って顔すり寄せてるし、俺(23)なんか抱きついてる。俺だってこいつのことは大好きだけどそこまではしないぞ、確かにこいつに抱きしめられてた時とか気持ちよくて温かくて落ち着いたし、したくないとは言わないけど、でもしないぞ。
 嫌がって抵抗しまくるこいつに謝りながら、未来の俺達は全然離れる様子もなく好き勝手やってる。俺(23)とかほおずりまでしてるし。やりすぎだって。それはないわ。さすがにこいつも怒るぞ…
 ほら見ろ、眉間にシワ、拳握って震えだした。
「というかだな、お前ら何なんだ!」
 腹の底から、って感じのすごい怒鳴り声。未来の俺たちより背も低いし、いかつい顔でもないけどやたら怖い。マジ切れだ。なあおい、あんたそれちょっと怒りすぎじゃないか? 気持ち悪いのは分るけどこないだとか同じようなことされてもそこまで怒ってなかったような気がすんだけど。
 ギリギリ歯を食いしばって、身体震わせて、目のフチ赤くして、そこまで怒ることなのか…?
「……無事助かることをわかってたとはいえ、過去の自分とはいえ、中1のガキがお前らのせいで死にかけたんだぞ!? ちょっとは心配してやれよ!」
 あ、そっちか。それで怒ってたのか。いや、別に怒らなくてもいいんだけどな、俺死なないのみんな知ってたんだし……。
 でもあんたはそんなの知らされてなかったんだろうな。だから本気で心配してくれて、心配したぶんだけ怒ってくれてる。怖かったって泣くほど心配してくれてたんだもんな。
「既定事項だかなんだか知らんがなあ、こんな小さな子供を戦いに連れ出して半殺しの目に遭わせて、それでよくけろっとしてられるもんだよな!」
 怒り狂って火を噴きそうに怒鳴りまくって、こいつは俺(高1)の襟首ひっ掴んで殴りかかった。
 そんなに怒らなくていいけど、怒ってくれてありがとな。うれしいよ。でもそいつも未来の俺だから、できたら殴らないでやってくれると助かるんだけど。
 しかしぼーっとした顔してこいつ、割と手が出やすいのか? 俺もこれやられかけたし。
 悪かった。チキン撤回だ。こりゃ本気で殴るな…と思ったらまたしてもこいつのパンチは途中で止った。でもチキンだからじゃない。俺(23)に止められたからだ。
 俺(23)強いな。ニコニコしたまんまがっちり腕掴んで余裕で止めてる。けどさあ、こういう修羅場の時ぐらい笑うのやめようとか思わないかな。気持ち悪いって。俺だけどさ。
「…放せよ!」
「放しません。明日彼…というか高1の僕の顔に、痣ができているという予定はありませんからね」
 いくら暴れても穏やかにニコニコしたまんまビクともしない俺(23)を悔しそうに睨み付けたあと、こいつは溜息ひとつついて俺(高1)から手を放した。
「……落ち着いて聞いて下さい」
 ようやく解放された俺(高1)が、同じく俺(23)の手からようやく解放され、まだ息の荒い奴の肩に手を置いて静かに話し始めた。
「僕らは中1が死にかけたことをどうでもいいと思っているわけではないんです。何度…まだ傍観者としての経験は3回目ですけど…経験しても、あの瞬間には血の気が引きます。僕より年上の僕たちも、本気で悲鳴を上げるんです。どれだけ怖いか、どれだけ痛いか思い出してしまいますし、小さな仲間が傷つくという意味でもつらいですから。……ですが今は彼がもう身体のどこにも痛みを感じていないことも、今この体験をどう感じているのかも、この後どうそれを消化していくのかも…すべて知っているから、だから僕らはもう心配はしていないし、心配のしようもないんです。むしろどちらかといえば嬉しい。そういうことなんです」
 ……俺(高1)クールだな。まあ実際今んとこ心配されるような状態じゃないのは事実で、後からジワジワくるかもしれないけど今から先回りして「大丈夫か!?」とか先を知ってる未来の俺たちに連発されてもウザいだけだ。大丈夫かどうかお前ら知ってんだろとしか思えないからなあ。
 こいつの気持ちは嬉しいけど、マジに俺は未来の俺達に心配とかしてほしいとは思わない。
「…そういやそうだ、俺が怒る義理はないよな。…すまん」
 謝らなくてもいいとは思うけどな、どっちかいうと嬉しいぐらいだし。
「いいんです、お手を上げてください」
 おお、ナイスフォローだぞ俺(23)。しかしこいつら俺の言いたいこと次々言ってくれるな。当たり前だけど。
「……実のところ、ここであなたが怒って高1を殴ろうとするのも…言ってみれば既定事項なんですよ」
 わかってんだったらなんとかしろよと言いたくなるけど俺が死にかけるのも既定事項。んでコイツがマジ切れすんのも既定事項。
 なんか頭こんがらがってくるけどそういうことなんだよなあ。なんか変な感じだけど、条件満たさないとなんか歴史変わるんだろうな、やっぱり。
「ここであなたが僕らを殴りたくなるほど怒ってくれたということも、中1の僕には嬉しいことなんですよ。僕は…すべての時代の僕らは、そういうあなたが大好きなんです」
 恥ずかしいこと言うなよ! そりゃそうだけど…好きだけど。大好きだけど。
 …ってあんたな、こっち見んなよ! 恥ずかしいだろ! ダメだ、もうこいつの顔直視できない。いやそういう意味じゃないけど。たぶん。
 とか恥ずかしい流れからもっと恥ずかしいことするなよ俺(23)!
 なんだこれ、なんでお別れ言いながら抱き合ってるのお前ら! やめろって、マジでやめてくれ……いや、いいか、恥ずかしいけどいつもの気持ち悪い感じじゃないし、普通に友情のハグって感じでなかなか感動的ないい風景……じゃなかった。ダメだ、ホント俺(23)ダメな人だ。
 普通さ、離れ際にキスとかするか? 男に。ないだろそれは。俺はやらんぞ。いややっぱやっちゃうのか? やっちゃうんだろうなあ、だってこいつ未来の俺だし。
「……うわあ…俺、こうなっちゃうんだ…」
 頭抱えてたら、そのまま捕まった宇宙人みたいに両手引っ張られて家から連れ出された。
 待てよ、俺はまださよなら言ってないぞ。また3年後に会えるだろうけどさ。
 待ってろよ、絶対また俺あんたに会うからな。んでオセロとかやるんだからな。俺にとっての「今」どこで何してるのかも名前も知らないけど、絶対会うからな。


 ――自分の時代に戻った僕は、閉鎖空間や神人や涼宮ハルヒへの嫌悪感や、世界や周囲の人間に対する怒りを失っていた。
 もちろんあの経験はしっかりトラウマ化していて、しばらくは閉鎖空間の発生に怯えて泣いたりもしたけれど、それでもまた戦おう、戦えると思えたのは彼のおかげだった。
 それから初めて僕は、恐怖や現状維持のためではなく希望や僕を待つ未来のために戦おうと思えるようになったのだった。
 どんなに怖くても辛くても、今僕は彼と彼の大切な世界を守っているのだと、それを誇りに思えたから。
 彼との出会いを楽しみに、やったこともなかったチェスや囲碁や、いまいち駒の動かし方を覚えていなかった将棋のルールや定石を暇をみつけては『機関』の人や能力者の同志につきあってもらって学び、その楽しさを覚えたりもした。
 そして2度のタイムトラベルを経て――、ついに高校1年生の初夏を迎えた。


 とてつもなく奇妙で奇天烈で無茶苦茶で突拍子もないが、楽しくて面白い、美少女に囲まれるときめきスクールライフ。 そう予言された北高への転校初日、いきなりそれはやってきた。
 目をきらきらさせて、まるで子犬のように飛んできた可愛い女の子。体中から光の粒を振りまくような眩しい満面の笑顔は、まるで真夏の太陽のようだ。
「あなたが謎の転校生ね! あたしは1年5組の涼宮ハルヒ。あなた、我がSOS団に入部しなさい!」
 高らかにそう言い放つと、彼女はいきなり僕の手を掴んで走り出した。SOS団とやらが何なのかの説明もせず、僕の返事なんか聞こうともしない。
 だいたい、謎の転校生って何なんだろう。
 ああなるほど、とびっきり滅茶苦茶で、とびっきりの暴君で、だけど楽しくて面白くてワクワクするようないい女、まさにその通りの人物像だ。会えて良かった。生きていて良かった。
 腕を引かれるままに階段を駆け下り渡り廊下を駆け抜けて、そして僕はその扉の前に立った。
 ――ああ、この扉の向こうに、彼がいるんだ。
 何の疑いもなく、僕はそう直感していた。そして。
「ヘイ、お待ち! 1年9組に本日やってきた、即戦力の転校生! その名も、」
「……古泉一樹です。よろしく」
 彼は確かにそこにいた。呆れたような顔で、ぽかんと立ちつくして。僕をうさんくさそうに見ている表情は、ちょうど初めて出会った時と同じだった。
 僕はこのとき、いつも微笑んでいて本心を明らかにしないという涼宮ハルヒ対策のキャラクター設定を、とても都合がいいと思った。
 そうでなければ、彼を見た瞬間にだらしなく笑み崩れるというおかしな反応を丸出しにしていたことだろうから。
 いつでも笑っているキャラクターならば、彼の側にいる時に嬉しくて笑ってしまっても、多少おかしな振る舞いをしても目立たない。

 彼の言葉どおり、SOS団はとてつもなく奇妙で奇天烈で無茶苦茶で突拍子もないが、楽しくて面白かった。それもむやみやたらに。任務でここにいるんだということを忘れるぐらい。
 ちっとも勝てない彼とのゲームも、猫の目のようにくるくる変わる涼宮ハルヒの様子を眺めるのも、朝比奈みくる鑑賞も、長門有希とのちょっとした会話も。もちろん、団としてのよくわからない様々な活動もだ。
 彼を信じて本当に良かったと思う。
 そして僕は、中学1年生の時にはあれほど嫌だと思っていたはずの、端から見れば立派な変態としか言いようのない行動をするようになってしまっていたのだった。
 彼の顔が、声が、体温が、全てが懐かしくて嬉しくて。少しでも近づきたい、少しでも触れたい。
 そうすることで、あの時の安堵と喜びが胸の奥で暖かく息づくのを感じるから。その幸せのためなら、他人にどう思われるかなんてどうでもいい。
 だから僕は今日も、
「気色悪い顔が近い息がかかるんだよ!」
 などと言われても、それでも性懲りもなく彼にくっついていたりする。
 それで本気で拒絶されることがないことも、彼がいずれ僕を大事な友達だと思ってくれることも、もう僕は知っているから。
 そしてあの閉鎖空間の発生を、僕のために本気で泣き、怒る彼の姿を、少しだけ心待ちにしていたりする。

 
  • GJすぎる!!!1 超感動しました… -- 2007-07-21 (土) 15:47:39
  • やべ、萌える!過去泉グッジョブです。 -- 2007-07-22 (日) 12:03:22
  • 何度読んでも涙が出る…古泉とキョンがもっと好きになる完成度の高い名作! -- 2007-07-31 (火) 05:17:04
  • 超すげえ……!感動しました萌えましたいい話…!!乙です -- 2007-08-03 (金) 01:39:22
  • 何という感動巨編 -- 2007-08-10 (金) 04:34:59
  • 名前からして絶対ギャグだと思ってたのに…すげー感動巨編!全米が泣いた!(AA略 -- 2008-02-10 (日) 16:22:35
  • GJ!!なんだこれ!萌え死ぬかと思った!!すごすぎ! -- 2008-02-11 (月) 23:00:26
  • めちゃめちゃ感動しました!!萌えまくるうう!全年齢古泉めっちゃ萌えです! -- 2008-03-02 (日) 03:13:37
  • 本気で号泣した…。古泉ガンガれ!超ガンガれ…! -- 2008-03-10 (月) 01:23:25
  • 萌えすぎて涙と笑い声まで漏れた。こんなキョンだったらそりゃ古泉も懐かしいわ好きだわでくっつきたいわな!中1のトゲトゲしつつも幼いとこや23の余裕っぷりも萌えて仕方ない。 -- 2008-08-25 (月) 05:11:08


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Last-modified: 2008-08-25 (月) 05:11:09